石巻で、ハンコ彫りのボランティアをしていて、いろいろな方に出会うことが出来ました。
今回は、石巻中学校の避難所にいたのですが、到着したときには約400人の方々がおられました。
体育館だけでは収容しきれなくて、教室にもおおくの方々が避難していました。
従って、学校の再開が出来ないでいたのです。そこで、二次避難という問題も出てきていました。
避難所での食事は、基本的におにぎりか菓子パンや調理パン。パンまたはおにぎり二個に牛乳。それに少しばかりのお菓子。それが基本的な食事。とても耐えられませんよね。温かいものなんて、口にすることは出来ません。
そのような中でも、パンやお茶菓子を、私のところにもってきてくれる人がいるんです。
ある時は、珍しく夕食に弁当が配布されました。もちろん被災者にとっては、弁当はうれしいはずです。でも、それを私のところに「私はいいから、食べてください。」と持ってきた青年がいたのです。
避難所の入り口に学校のテントを張って「喫茶スペース」を運営している青年でした。
何でも彼も被災者で、震災で家も職も失ったとか。その石巻中学校の校長先生に頼まれて、このスペースの運営に携わっているらしい。
喫茶スペースと言っても、そこの重要な仕事は「お湯」の供給でした。
食事に温かいものがありませんから、被災者の皆さんはこれまた支援物資として頂いた、保温ポットが大切な品物なのです。そのポットにお湯を供給しているのです。
一日12時間以上、大きな寸胴なベに、お湯を沸かし被災者が持ってくるポットにお湯を入れてあげるのが、彼の仕事です。
そのほか、そこにはお茶やコーヒーがいつでも飲めるように、また、簡単なお茶菓子も用意されています。

中央にいるのが、その彼です

「すだー」と濁るところがいいでしょ・・・
ハンコをお彫りしてあげたある年配のご婦人。
「逃げろ!逃げろってうるさいから、取り敢えず逃げたのね。この分じゃ、夕食の支度も出来ないから、帰りにコンビニでパンでも買って帰ろうと、小銭だけ持って逃げたんだよ。夜には家に帰れると思ったよ。」
そう話してくれたが、結局、家も家財もすべて流されてしまったという。
「はんこ屋さん、車の中で寝泊まり大変でしょ。体育館の和室は、まだスペースがあるよ。畳の上で寝たら。」そう言ってくれた。
避難所の入り口脇に「無料でハンコお彫りします」と、受付のテーブルを置かせてもらった。

その受付に、私がいると、人なつっこくよってきた「あいちゃん」小学校入学前の可愛い女の子。
お母さんといるところは、何度か見た。でも、お父さんらしき人は見かけたことがない。
「あいちゃん、お父さんは?」と、聞きたかったけど、怖くて聞けなかった。
そのような子が、他にもいっぱいいるんだろうな。
ハンコは、お一人につき一本とさせてもらった。あまりにも希望者が多いからだ。
ある青年がこういってきた。「弟の分もいいですか? 弟、この震災で怪我して入院してるんです。」
もちろん快く、弟さんの分までお彫りして差し上げた。
夜になって、彼が私の車に訪ねてきた。
「これ、宮城のおいしいお酒なんです。飲んでください。」
いかにも、大酒飲みのような風貌の私に、日本酒を持ってきてくれたのだ。
「二本もハンコを彫ってもらって・・・。」
聞けば、彼は、避難所の駐車場で、車の中に寝泊まりしているという。幸い職場は無事だってそうで、昼間は仕事に行っているという。職場の同僚が差し入れたくれたお酒だそうである。
お酒の飲めない私だが、ありがたくいただいた。
水戸ナンバーの私の車を見て、やはり私のところを訪ねてきた歯科医のボランティアの先生。潮来市のお隣、香取市から来ているという。
「私は、被災者の人に「がんばれ!」とは言いません。彼らはそれでなくともがんばっていますから。普通に接してあげることが大切なんですよ。」温かい心遣いだろう。
そのほか、本当に、皆さんに良くして頂いた。
津波で家も家財も、人によっては肉親も失ってしまった被災者の方々。
それでも、優しい温かい心までは、失っていなかった。
そのような温かい心優しい人たちに会いたくて、また今週末、石巻に行くことにした。
今週末といえば、エンジェルスは「ノーブルホームカップ代表決定戦」が待っている。
エンジェルスのみんな、見てあげることが出来なくてごめんね。

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