所属している水戸学の勉強会「吉田塾」の十二月例会が、先日行われた。
今回の例会は公開講座として、一般にも開放され、場所を弘道館(元・水戸藩校)の至善堂に移して開催された。
余談だが、十二月の弘道館は暖房もなく、障子なども開放されたままの講義、寒いのなんの、江戸時代はいつもこうだったのかな?なんて思っていました。
さて、今回のテーマは「山岡鉄舟先生」
山岡鉄舟と言えば、明治新政府の初代茨城県知事です。
「剣」「禅」「書」の達人と言われ、幕末に数々の偉業を成し遂げた方、特に江戸城無血開城を決定した勝海舟と西郷隆盛の会談の、事前交渉をしたことで有名です。
その西郷さんをして
「名誉も地位もいらぬ、金もいらぬ、ましてや命もいらぬと言う人間は始末が悪い。しかしそのような人間でないと、国のために仕事が出来る奴はいない・・・」とまで、言わせた人物である。
その山岡鉄舟先生が、15才の時に書いたというのが、以下の「修身二十則」
一. 嘘を言うべからず
一. 君の御恩忘れるべからず
一. 父母の御恩忘れるべからず
一. 師の御恩忘れるべからず
一. 人の御恩忘れるべからず
一. 神仏ならびに長者を粗末にすべからず
一. 幼者を侮(あなど)るべからず
一. 己に心よからず事 他人に求めるべからず
一. 腹をたつるは道にあらず
一. 何事も不幸を喜ぶべからず
一. 力の及ぶ限りは善き方に尽くすべし
一. 他を顧して自分の善ばかりするべからず
一. 食する度に農業の艱難(かんなん)をおもうべし 草木土石にても粗末にすべからず
一. 殊更に着物を飾りあるいはうわべをつくろうものは心濁りあるものと心得べし
一. 礼儀をみだるべからず
一. 何時何人に接するも客人に接するよう心得べし
一. 己の知らざることは何人にてもならうべし
一. 名利のため学問技芸すべからず
一. 人にはすべて能不能あり、いちがいに人を捨て、あるいは笑うべからず
一. 己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし
15才の人間が、このようなこと決められますか?
たとえ書けたとして、それを守ることは至難の業。
しかし、山岡先生は、一生、この修身二十則を貫いたと言います。
特に最後の「己の善行を誇り人に知らしむべからず すべて我心に努むるべし 」と言う項目、肝に銘じていかなければと思った。
山岡先生は、自分の業績や功績を書き残すことを、特に嫌がったそうである。事実、そのような文書は、全くと言って良いほどないそうだ。
正月には、ゆっくり山岡先生の本でも読んで、人間の生き方を勉強したいと思っている。

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