もう、かれこれ13〜4年前になりますかね。フロリダを旅したことがありました。
長嶋一茂さんが、ヤクルトに所属していてドジャーズの3A「ベロビーチドジャーズ」に留学していたときのことです。
今みたいに、インターネットなんて普及していなくて、一茂さんが出場する試合のスケジュールがわかりません。日本のスポーツ新聞社に問い合わせて、ようやくスケジュール把握して、出かけました。
オーランドまで飛行機での長旅。そこからレンタカーでベロビーチへ・・・。今考えるとよく行ったものだと思います。宿も何も決めずに、気ままな一人旅。
ベロビーチの球場にいましたね。長嶋一茂さんが。
そこで見たものは、マイナーリーグの悲哀というか現実でした。
ユニフォームは、メジャーリーグのお下がり、ズボンなんてツギがあたっていました。背番号の上にある名前は、あて布してその上から名前が入っていました。
厳しいな・・・それが実感でした。
球場には、お客さんなんてほんの少し。もちろん日本人なんていません。
でも、そのような中で一人の日本人が私を見つけて声をかけてきました。当時、報知新聞の長嶋番記者だった「柏英樹さん」でした。
ベロビーチの田舎まで、いくら長嶋ファンといえども来る人などいない。おそらく、日本の三流週刊誌のライターが、一茂さんのゴシップ探して取材に来たのだろ・・・と思ったそうです。
純粋に一茂さんに会いに来たんだ!とお話しすると、そのまま一茂さんに報告した様子でした。それに感激した一茂さんは、翌日、私を食事に誘ってくれたのでした。
ベロビーチでは、2試合。隣町のセントルーシーでは「メッツ戦」を2試合、見ることが出来ました。一茂さんは、このとき大当たりで、四試合で本塁打3本だった記憶があります。
そのほか、近くの町だったと思うのですが「ベースボールシティ」という地名の町までありました。何でも、カンサスシティ・ロイヤルズのキャンプ地とか・・・。ひとつの所にメイン球場を含めて15面くらいの球場があったのを覚えています。
今、連日、メジャーリーグのオープン戦の報道がされていますが、そのときフロリダで見た風景が思い出されて、懐かしい限りです。
このときの旅は、そのあとシカゴに行き「カブス戦」を観戦、そのあとデビュークという、やはりアメリカの田舎町まで飛び、映画「フィールド・オブ・ドリームス」のロケ地を訪ね、最後はニューヨークで「ヤンキース戦」「メッツ戦」を見て、一ヶ月の長旅でした。
機会があったら、その辺の思い出も「つぶやいて」見たいと思います。

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