昨年秋、あることを通じて旧常澄村の議員さんだった方と知り合うことが出来ました。
お歳は、70歳を超える方でしたがとても元気な方です。
私が少年野球チームの指導をしているという話をしたところ、その方も「私も野球をやっていたんですよ・・・。」と野球の話をはじめられました。
そういえば、昔の方なのに体は、がっしりしているし、胸板なども厚く、見るからに優秀な野球選手だったんだろうな・・・と思えました。
「私は、飛田穂洲さんに野球を教わった最後の人間かも知れませんよ。」と話し始められたんです。
何でも、飛田先生は早稲田の監督を退いてから、郷里に戻り村長をしていたそうです。当時、小学生だったその方は、放課後に学校のグランドで毎日のように野球を教わったそうです。懐かしそうにお話しするその姿に、私は引き込まれていきました。
本などで読むお話と違い、ひと言ひと言に重みがあり、説得力のあるお話しばかりでした。
いかにすばらしい指導者だったか!お話しの中でひしひしと伝わってきました。
旧常澄村の中には、その飛田先生ゆかりのところが何カ所かある・・・そう聞いて、そこを訪ね歩きました。
ご実家の跡にに立つ「一球入魂」の碑、近くのお寺にある「お墓」ダイダラボウ近くの「銅像」楽しい時間でした。
しかし、そこで思ったんです。私が、ひょんなきっかけでその方と知り合いになれましたけど、もしその方と出会わなければ、飛田先生の本当のすばらしさを知らずに終わっていたかも知れません。単なる、郷土の偉人と言うだけで終わっていたでしょう。
そして、その飛田先生の偉業をたたえる「資料館」や「記念館」は、どこにもありません。聞けば、飛田先生が亡くなられたときに、多くの貴重な資料は、早稲田大学関係の方が持って行かれたとか・・・。残念です!
春には、水戸市で
「飛田穂洲杯」という野球大会も開かれています。中学校の優秀なチームが参加してくる大会ですが、その選手達がどこまで飛田先生のことを知っているか?
郷土の野球の先輩として誇りを感じて野球をやっているか?疑問です。
今更、箱物を作れなんて野暮なことは言いません。
地元の大場小学校に一部屋ぐらい、空き教室がないですかね。そこを
「飛田穂洲記念室」と銘打って資料館にすれば良いんですよ。お金なんてかからないじゃないですか。
それで、多くの方が訪ねてくるようなら、立派な施設を作れば良いんですよ。
昨日、紹介したサトウハチロー先生の記念碑(水戸一高にある)は、まだ行く機会を持てません。と言うか、何となく水戸一高と言うだけでコンプレックスを感じてしまうんです。(昔、水戸一高に進学しようとしたら、来なくて良いと言われたんだよ・・・。なんて、普段は冗談を言っていますが。)
是非、早い機会にここへも行ってみたいと思っています。
それにしても、良い詩ですね。


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