2007/3/30

ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ  映画&アート

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 97年、オフ・ブロードウェイで上演され、その後2001年、ほぼ同じキャストで映画化される。「21世紀のロッキー・ホラー・ショー」と言われ、熱狂的ファンを生む。作・主演はジョン・キャメロン・ミッチェル。当時の恋人スティーブン・トラスクが作曲。日本では2004年と2005年に三上博史の舞台版が上演され、今回は山本耕史が主演。ヘドウィグの夫イツハク役でシンガーの中村中(なかむらあたる)が初舞台を踏むのも話題になった。
 ヘドウィグは性転換した落ちぶれロック・シンガー。愛の片割れを信じ、探している。悲しいのに笑える、笑えるのに悲しい。けばけばしくゴージャス、なのに素朴でベタ。

 「ロッキー・ホラー・ショー」も「ヘドウィグ」も知らない、と言うタイプの人は、きっと最初からこのブログを訪れてはいないと思うけど、一応説明しておきました。
私は映画で知って、サントラもDVDも即購入したほど大好き。だからあえて以前の日本版を見なかったのだけど、今思えば、三上版のヘドウィグも見たかった。ずいぶん山本版とは違っていたと思う。ジョン・キャメロン・ミッチェルはゲイの内側からの視点でこれを書き、演じたが、ノンケで男らしい山本耕史がいったいどうやってこの怒れるドラーグ・クィーンを演じられるか、実はちょっと心配だった。でも、山本耕史を見くびってはいけなかった。女らしさはないけど、男前なヘドウィグだった。ゲイの人は概して、見かけが男らしい人は実は女らしく、ドラーグしているような人は、芯はめちゃくちゃ男らしいと思う。それは、実際に女性のほうが“いざとなったら強い”からだと思うが。男だ、女だ、というのは、この話にはあまり意味のないことだ。
 
この舞台は、映画とは違いキャストはヘドウィグとイツハクだけだ。映画では、イツハクは重要な役ではあるけど、ヘドウィグにないがしろにされていて、話さないし、ずっと登場しているわけでもない。ただ、ラストイツハクはとても重要な役割を担っている。オリジナルの舞台と映画では、このユダヤ人男性の役を、ミリアム・ショアという女優が演じている。今回の舞台でも女性シンガーである中村中が演じている。実際中村本人は「昔、男性だった」という実在のヘドウィグのような人だ。その中村の起用と、この舞台との関連はさだかではないけど、観客を“男と女の境界線の曖昧さ”を感じさせるには適役だった。女に見えない山本&男に見えない中村。おもしろい。
 ただ、映画ではすごく孤独だったヘドウィグだったが、舞台ではイツハクが出ずっぱりで、まるでカップルのようにコンビネーションがある(役では2人は一応夫婦だが、偽装っぽくて、心を通わせているようには思えない)。そこだけちょっと違和感。でも、ヘドウィグの母親も最初の夫も声だけで演じた中村の声の天分はすばらしい。芝居と言うよりほとんどロックコンサートだった。

 ところで、今回の芝居に限らず、私は芝居、舞台、コンサート、映画、なにかを観覧するとき、意外と冷静である。本当はその世界に没頭したいのに、なかなか没頭できない欠点がある。もちろん、没頭したものも過去にはあった。没頭できない=出来が良くない、と短絡的なことではないと思う。意外にただ私がお子ちゃまのように落ち着きがないだけだったりして。

私も現在”片割れ”を探す身。他人事じゃないわ。
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