2008/3/2

ダスティ・スプリングフィールド  音楽(洋楽)

Amazon.co.jp: Back to Mine: Pet Shop Boys: 音楽

2005年に発売されたPSBの「Back to Mine」(アーティストが自分のお気に入りの曲を1枚のCDにしてリリースしたシリーズもの・・・まるでアーティストからCDを編集して焼いてもらったような気になる)は、ニール盤、クリス盤の2枚組みですが、その2枚は全く違います。この場で2人のお気に入りのレコードを紹介して分かるとおり、クリス盤はディスコっぽく、ニール盤はアンビエント&クラシックが中心。奥深くではつながっているとはいえ、かなり印象は違います。その中で、唯一カブるアーティストがダスティ・スプリングフィールド(ニールは「Goin’ back」を選曲、クリスは「I’d rather leave while I’m in love」を選曲)。

今日3月2日は、ダスティ・スプリングフィールドの命日です。
先日マーガレット通信vol.62でも書きましたけど、2人が愛してやまないダスティについて、おさらいいたしましょう。

ダスティはMary Isabel Catherine Bernadette O'Brienとして1939年、ロンドンのイーリングに生まれます。1960年に兄、友人とともにバンド、ザ・スプリングフィールズを結成し、その後ソロに。ガーリーな外見(内藤ルネさんの描く女の子みたい)とはうらはらのソウルフルかつパワフルな歌声で60年代にヒット曲をたて続けに出し、最終的にはロックの殿堂入りを果たします。ダスティの名を知らなくても、曲を聞けば誰もが「ああ、この曲知ってる!」って言うでしょう。初期のガーリーなイメージと、中期・1969年の「Son of a Preacher Man」(映画「パルプ・フィクション」にも使われてました)のロックの姉御のころは、ずいぶん雰囲気も違います。

ソロデビュー曲「I Only Want to Be with You」(‘64)は恐らく誰もが一度は聞いたことがある曲でしょう。私的には、この曲はなんだか、当時流行っていたフレンチ・ポップス(フランス・ギャルとかフランソワ・アルデーとかシルビー・ヴァルタンとか)と同じジャンルに入れたくなるほど、キュートでハッピーなガーリー・ソングです。




また、当時からダスティはレズビアン・アイコンでした。ただ、彼女自身はカミングアウトを明言していなくて、それは彼女の死後、バイセクシャルであったことが近親者の証言で明らかになっているようです。
ダスティがゲイ・アイコンであることに触れたインタビューでの答え(英語版ウィキより)

「みんなが、私を同性愛者、同性愛者、同性愛者、同性愛者、同性愛者、同性愛者、同性愛者、同性愛者だって言うのを知っているわ。 私は何ものでもない。 私はただの…。 人は所詮、他人。基本的にはストレートでありたいと思う… 私は男の子達から女の子達へと行ったり来たりだけど、私は気にしない。 キャッチフレーズは…” 私は男性を愛すことができない。愛すこと、ファンタスティックにベッドに行くこと・・・それは今の私のコンプレックス”。 でも、男性を愛すことは、私の一番の野望よ… 。彼らは私を怖がらせるから。」

80年代に入ると人気に陰りが見え、生活が荒れるのと同時に、あまり人前に出るのも少なくなったようですが(この時期、女性の恋人との間でトラブルがあったと言われています)、間違いなくPSBは彼女のカムバックの大きな力になりました。その後、PSBは彼女のアルバムもプロデュースしていることは周知のところ。PSBが書いた彼女の曲(映画「スキャンダル」で使用)「Nothing Has Been Proved」(‘90)のPVにニールとクリスもゲスト出演しています。まあ、PSBとダスティは音楽的には共通点はあまりないんですけど・・・つまり純粋にファンだったんですね・・・かわいいじゃないスか、乙女みたいで。ダスティは1999年、乳癌により59歳で亡くなりました。



こうして、(PSBにとって)愛するものが次々と天国に旅立つのですが、それにしてもPSBの周りって、死が多いような気がするわ。キャムプだわ。

ダスティの、もっと詳しくてわかりやすいバイオグラフィーは、Queer Music Experienceへ。
ダスティ・スプリングフィールド バイオグラフィー
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