今日はショウタの学校では学習発表会がありました。
ショウタの学年はオリンピックにちなんだ内容のものでショウタは卓球日本代表選手!
ということは以前から聞いていたのですが、私は一日仕事で見に行くことができませんでした。
仕事から帰って、ママの撮ってきたビデオをみると、
まあ、何ともよくやっているではありませんか。
合唱は言葉が同じようにはついていけないので、きちんとは歌えてなかったけど、それ以外はまあ、完璧でした。
完璧というのは、なんというか、
ハッキリ言って他のこと変わらず演技ができていたということで使っています。
見劣りがしない、ということです。
少し話がそれますが、子供をを育てるに当たって、特に障害を持つ子には、他のこと比べる必要はない、という考え方があり、ある意味、それは大きな必要性を持つ感覚ではあると思います。
しかし、あえて今日の演技は、ほかの子と比べてみましょう。
ショウタの出番は他のお友達と二人で卓球の試合をしているという想定で、エアラリーをします。
ショウタも一生懸命ラケットを振っていました。
普通に、タイミング良くラケットを振っていました。
結果的にショウタが負けるというストーリーでしたが、
普通にできていました。
「ニッポン チャチャチャ オー!」
の手拍子も振り付けも
座ることも立つことも
他の子と比べて見ても、普通でした。
さっきから他の子と比べて何がいいたいのか。
それはこうです。
ショウタは事柄によっては、出来るんです、できるということです。
なので、障害児だから「ヨシヨシ、いい子だね」「よくできたよ、えらいえらい」
という感覚で何でもかんでも見る必要はないのではないか、今までの私はショウタが出来ないことが当たり前で、頑張ったから偉い、でき出したねすごいねえ、と見ていたことに気づいたのです。
できないのが当たり前で、できたらすごい!
すべてをそういう感覚で見てしまうのは実は間違っているのかもしれないということです。
実はできることはたくさんある。(親の欲目もあるでしょうけど。・。)
もっとも、今日の発表会に当たっては先生方の苦労もあったと思いますので、
普通にできたという私の勝ってな解釈は当てはまらないかもしれませんが、ショウタも普通にできることがある。
そう見ることで、これからのショウタの可能性はもっと広がって行くのかもしれません。
もっとショウタを知ってあげなくては。
そんなことをおもう発表会でした。
そうそう、それから、今回の発表会をショウタはものすごく楽しみにしていたのでしょう。
学校で書いて帰る「計画帳」に漢字で「学習発表会」と書いていました。先生が教えてくださったのでしょう。
それを、家でも紙に何度も書いていました。
@学習発表会
と。
漢字はなんとなくでしたが、それを楽しみにしている気持ちが伝わってきました。
※「普通って何ですか?みんな違って普通でしょ」とか、「普通って感覚が差別を生む」
という偏った人権屋さんへ。
普通は普通ですよ。昔からいう「普通」という感覚です。その感覚が持てることが普通で、それをああだこうだ言う人が普通ではないと思います。
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