「地元で生きる」つづきです。
ワインを飲みながら、記念日を祝おうとしていたのに、そんな話で少し暗くなったが、気を取り直して、
「いや、だから、みんなにショウタを知ってもらうんよ。僕らにできることは、僕らが死ぬまでに、少しでも多くの地元の人に、ここにショウタがいますよって、ことを知らしていくことだよ。」
そんな話を夫婦でしました。
いまお友達はたくさんいます。地元の保育所に。
小学校が同じなら、その子たちとお友達のまま進学できます。
そして、将来、大人になったショウタの周りに「おう!ショウタ、飲みにいこや」とか、「風邪引いて寝込んどるってきいたけど、大丈夫かショウタ」
と、日常の中で声をかけられながら生活ができる。
それが親としての希望です。
先日、地元の人らと一杯やっていました。
そこで何の話だったか子供の話になった。
話の流れでわたしは「うちの子は障害じゃけん」という言葉を出しました。
「何が障害ぞ」ある人が言いました。
「どこが障害ぞ」
その人は男気のある人というか、とにかく自分の家族を悪くいうのを嫌う人で、親父の文句なんかいうと、「それは言うたらいかん」と、何度も叱られたことがあります。
その人はショウタが本当にダウン症であることを知らなかった。だから単に悪口として私が言っていると思ったようで・・・
「どこが障害ぞ、他の子と一緒じゃが」
「いや、いまは、そこまでわからんかもしれんが、うちの子はダウン症じゃ」
「はあ?どこが障害ぞ?」
「だから、うちの子はダウン症で、いまはわからんかもしれんけど、これから小学校に上がり6才、7歳、10歳・・・と年齢が上がれば、違いは出てくるんよ。だんじり(祭り)のたいこも叩けんかもしれん・・・」
と、そこまで言ったとき、その人は私の言葉をさえぎり
「何歳になっても、わしは変わらん。何歳になっても、わしは変わらん」
ショウタが何歳になっても、ショウタを見る目は変わらない。ということでした。
さすがにこれには泣かされました。
他のメンバーもいいました。
「だんじりのたいこなら、俺が教えてやる」
また泣きました。
うれし泣きです。
みんな寝てしまっている家に帰った私
これでいいんだ。これでいいんだ。
そうおもい、また涙で枕を濡らしました。
さっきから、地元の小学校の支援体制は大丈夫かなんてこと言っていますが、すべてを教育や行政、また支援をしてくれる方々に任せても、ショウタの将来はそんなに幸せなものにはならないと思う。
人に頼む前にやっぱり親として、できることをしていく。
地元の行事や、祭りなんかにもどんどん参加させて、みんなにショウタのことを知ってもらう。
ショウタがダウン症であるってことはみんな知っている。
でも、だれもそれを意識せずに、仲間の一人として見てくれる。
そんな地元での暮らしを、親として準備してあげなくてはならない。
そしたら、黙っておいても「ショウタ、たいこはこう叩くんじゃ」とか、「寄り道せんと早よ帰れよ」とみんなが見守ってくれる。
そんな理想をもっています。
もしかすると、今日お越しの皆様の周りにも、地元のイベントやお祭りに参加している障害のお子さんがいるかもしれません。
おそらく、その障害を持ったお子さんのの親御さんも、この子を地元に受け入れてもらおう。そんな願いで、もしかしたら、様々な葛藤もあったかもしれないけど、それを乗り越え、その場に来ているのでしょう。
それを見たとき、みなさま方もいろいろな思いが浮かんでくるでしょうが、できれば気負わず、必要な時に必要な声を掛けてあげてください。
必要な時に必要な手をさしのべて上げてください。
そうすることで、その障害児やその家族も、出てきてよかった。参加してよかった。そんなふうに感じるのではないでしょうか。
つづく

昨年の祭りの後片づけ。座っているのがショウタ。地元の子らに囲まれて。

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