一年たちましたね。
今日は穏やかな海です。
どうぞ安らかに・・・お祈りします。
そして、毎日を精一杯生きておられるみなさん、わたしもがんばります。
スマイルプロジェクトで応援しているいわき市から避難してきた4人の友だちの作文を紹介します。
もっと遠くへ 6年 新谷侑太
平成23年3月11日14時46分、この日、だれもが忘れる言のできない、東日本大震災がぼくらの町をおそった。
ぼくは、大地震が来る時には、学校の3階にいて、みんなで帰ろうとした時に大地震がおきた。
少し地震がおさまった時に、みんなで一斉に階段をおりて靴をはいて走って校庭に出た。
その時はまだ揺れは続いていて泣いている人がたくさんいた。
先生方の話を聞いていると、町の人が「津波が来るぞー」「逃げろー」とさけんで教えてくれました。
僕は必死でお母さんを探していると、弟の倖生と迎えにきてくれて、車にできるだけ多くの友だちを乗せて高台へと避難をしました。そこの高台はちょうどぼくの家の近くでした。
だけど家の中は地震でぐちゃぐちゃでした。
夜はとても寒くて、家の中から布団を出してきて、車の中で一晩を過ごしました。
ぼくのお父さんは、その日福島原子力発電所で仕事をしていました。お母さんが何度も電話をかけてもつながらず、僕と弟が寝た後に帰ってきたそうです。
僕は起きてお父さんがいたのですごく安心できました。
その時はまだ電子力発電所の事など考えていませんでした。
でもすぐその時はやってきました。
おじいちゃんがラジオを聞いていると原子力発電所が水素爆発したと聞き、急いで逃げることにしました。
「遠くへ」、「もっと遠くへ」と車を走らせました。
ホテルや避難所を転々としました。
いつ戻れるか不安だった日々でした。
でもそこでたくさんの人たちに出会いました。
みんなとても親切にしてくれて、今その人達にすごく感謝しています。人生一人じゃ生きていけないことや人間の造り出した原発がいかにおそろしいかを知ることが出来ました。
福島県いわき市より北杜市へ
絵 矢吹なる 6
続きは・・・
「いままでを振りかえって」 4年 矢吹波音
1年 新谷倖生