庭にあるサクランボの木に実がなりました。
道路をはさんだ実家の庭ですが・・・。
うちの父(愛を込めてじじいとよぶ。)はお百姓チャレンジャーです。
畑にはキャベツ、ネギ、グリンピース、そらまめ、じゃがいも、たまねぎ、もう少し立ったらキューリにトマト、ナス、オクラ・・・季節の野菜は全てあります。
幼い頃の田んぼの記憶はありますが、当時勤めをしながらの管理は不可能でしたので、ずいぶん前からお米はやってません。
すいか、キーゥイ、ボタンキュー、すもも、みかん、いい香りのする、、何とかという果実。
梅畑もあります。
目の前は山ですので山の恵みもいただいています。
じじいは人が苦手です。
獣とは通じあえるらしいです。
土と語りながら、外が明るいうちはせっせと動いています。
それこそ、一年中です。
お天気の日はもちろん、雨の日も風の日も。
お酒が大好きです。
外では呑みません。
働き者の変わり者といわれています。
変なエピソードはいっぱいあります。
酒飲みとは一緒にならないと決めたのは、三交代で働いていた時の寝酒が子ども心にいやだったのでしょうね。
山師ともつき合っていたから、、呑む時は半端じゃなかったし。
疲れた体で呑んで、むしゃくしゃした時の父は恐かった。
そんなじじいがつくる野菜は無農薬、、いますよ、毛虫さんやなめくじさんがキャベツの中に。
当時は・・・いやでね。
そして、子どもが大好きなじじいは野菜じゃ喜ばない私たち兄弟に実のなる木を育ててくれました。
言葉では表せない愛情や、大切な事を伝えてくれます。
じじいはお金にも興味ありません。
お給料ためて買ったという自慢のあのカメラはどこへいったのでしょうね・・・ずいぶん昔の話。
幼い頃、どこに連れて行ってもらったわけでもありません。
ただただ、真っ黒に日焼けして土と向かい合い、山と語り、空を見上げ働いていました。
生きるのに必要な物はそんなにないのかもしれない・・・。
これはきっとじじの背中をみながら、自然の恵みと収穫の喜び、実のなる木にみた幸せからでた言葉。
実感。
じじいに教えてもらったように「木に宿る命の音」をたくさんの子どもたちに聞かせてあげなきゃって思うこの頃。
こんなにふり返っちゃってますが
今日もじじいは元気ですよ。