今日、1月31日をもって、近鉄藤井寺球場がその
長い歴史に幕を閉じました。
藤井寺球場は、皆様ご存知の通り、長年、近鉄バファローズが
本拠地としてきた由緒ある球場で、私が小学生の頃は、
近鉄南大阪線沿線に住んでいたので、試合のある日は、
普段とまらない急行電車が藤井寺に停車して、球場までの
道路が人でいっぱいになったものです。
小学校低学年ぐらいのときでしょうか?
夏の暑いある日、父親が大阪の仕事場から家に
電話をしてきました。今晩野球を見せてやるから
一つ年下の弟をつれて、藤井寺まで来いという
電話でした。私は母親から電車賃をもらい
弟を連れて地元の駅から藤井寺に向かいました。
父親と夕方ラッシュの藤井寺駅で待ち合わせ、
人だかりを掻き分けつつ球場へと向かいました。
ダフ屋や露店のある球場前をとおり、券を買って球場に
入ると、応援団が声を張り上げていました。
この球場は、鳴り物(ラッパや太鼓)が使用禁止のため
とにかく、声援と手拍子で皆、応援したものです。
父親はビールを、私たちはサイダーを買ってもらい、
それを手にそれまでテレビでしか見たことが無かった
西武と近鉄の試合に目を見張りました。
また、試合が始まると、どこからともなく聞こえてくる
ガラの悪い野次も、この球場独特でした。
「ゴルァ阿波野!
チンタラ走っとったら
ケツの毛ムシッて
ドタマかち割るど!」
(※河内弁がわからない方のための意訳:
なあ、阿波野さんよ、もしゆっくり
お走りになるのなら、私は貴方のお尻の
毛を引き抜いた上に、頭突きを食らわす
可能性がございます)
「ダイゴローバンザーイ!
ええぞ!そや、それやがな!
やったら出来んがなワレ!」
他球場では聞けない、ましてやテレビでは
流すことが出来ない、大変強力な野次と歓声が
球場にこだましていました。
ちなみに後者のは「大石”大二朗”」選手へのもので、
河内のおっちゃん達が河内弁で舌とクダを巻いて
夏の盛りの暑いとき、ビール片手に声を張り上げる
そのやり取りも楽しんだものです。
その後も数回、同じようにこの球場には父親と
足を運びました。あるときは、西武の選手が打ち上げた
ファウルボールが私のひざを直撃し、青あざが出来たのを
いまだに覚えています。飛んできた打球がほしかったので
グローブを持参していたのですが、ひざ小僧に当たっただけで
結局、ボールが取れなかったのが今も少し悔しかったりします。
平成に入り、近鉄球団は本拠地を大正区の大阪ドームへ
移転し、藤井寺球場は2軍の試合や高校野球地区大会の
球場として使われてきました。しかし老朽化が進んでいたのと
不景気から始まった球界再編、そして親会社の不景気で
私も含め、河内地方の人間にとって思い出深い球場は
その幕を閉じることになりました。
大阪球場・日生球場につづいてまた一つ、関西の伝統的
球場が役目を負えることは誠に寂しいことです。
藤井寺球場殿、いままで、ご苦労様でした。
元記事
「つむじ風バッファローズ」(R−Gray氏)

0