音楽を聴くときに、我々ジャズ、ポピュラー系の音楽家は、メロディとコード進行を同時に聞いていると思う。長年そういう訓練をして、そういう風に音楽を捉えるので、僕は絶対音感は無いので、何調と言い当てることは、すぐには出来ないけど、その調のどの和音に行った、そしてメロディはこういう位置にいる・・・と言う風に聞くのである。ジャズだろうが、クラシックだろうが、J-popだろうが、歌謡曲、民謡だろうが、そう聞こえるのだ。
この前「クラシック名旋律全集/鈴木静茂編/ドレミ出版」という本を購入してみた。この本の良いところは、アルビニーノ、ヴィバルディからバッハ、モーツァルトはもちろんタルレガ、ボッケリーニ、ボロディン、ストラヴィンスキー・・・主立ったクラシック作曲家の作品の数百曲が、コード付きのCメロで載っていることだ。これは有り難い。
眺めてみて気が付いたのは、500曲以上はどこかで聞いたことのある音楽で、メロディが思い出せれば自然にコード進行も思い出せる数百曲は、メロディ+コードという形で記憶に収納されていると言うことだ。クラシック以外にも、ポピュラー、ジャズ、歌謡曲、民謡と生まれてから半世紀以上聴いた音楽は数え切れないから、何万曲?のメロディ+コード(+歌詞)が記憶に収納されていることになる。ジャズミュージシャンなら、自分がコピーしたアドリブが膨大に記憶されていることだろう。
バッハのパルティータは最近はフルートの日課練習として毎日味わって楽しんでいるが、その中の一節が「枯葉」やFly me to the moon と同じなのに気が付いた。ポピュラーの源流はやはりクラシックに有ったのだ。
素人の方々にこの話をすると、そんなに頭を使って音楽を聴くと疲れませんか?と言われることが多い。昨日も有る方にそう言われたが、それは、音楽脳が未発達の方の言うことで、人間経験していない世界のことは、想像するしかないのでそうなるのである(笑)。
答えはこうだ。「いいえ、あなた方より、たぶん数百倍は、音の動きの味わい、色彩、重力の動き等が良く解るので、たぶん数百倍深く楽しんでいるのですよ。」
音楽は数学的構造であるのだけど、同時に感覚でもあるので、例えばメジャーセブンは、単体だと気持ち悪い不協和音だけど、メジャーコードなど協和音に隠し味的に使うと豪華な感じが出てくるのである。
ウインナワルツだろうと、ファンクやヒップホップだろうと、腰を使って全身でそのリズムに合わせて体を動かすと気持ちいいのである。歌って踊って、演奏するのは人間だけの本能的な行動なのだろう。踊る犬とか猫は見たことがない(笑)。
例えばドビュッシーの月の光とジョージシアリングのブロックコード、グレンミラー楽団のサックスセクションのサウンドには共通点があるし、チックコリアのボイシング(音の積み方)は、バルトークなど現代のサウンドに共通点がある。
僕の大好きな黒人の歌手たち、オーティス、アレサ、チャカ・・・などの歌と、オペラのフレミング、カレーラス・・などの歌にも共通点がある。日本民謡の大塚文雄、歌謡曲の三橋美智也などもスタイルは違うが、インパクトと言うことでは僕には同じ比重で偉大な存在である。
以前コンサートでお手伝いさせて頂いた由紀さおりさんが、いまや世界的に売れ始めているという。ますます音楽に国境はなくなっていくに違いない。後は、日本発のジャズが世界を席巻するオリジナリティを発揮すればよいのだが・・。

0