ハワイの先住民族の知恵オポノポノは最近のベストセラーで僕もファンだが、ヒューレン博士によると、この世界は私が作った!と宣言しても良いという表現にぶつかる。えっ?どういう意味なんだろう?と思った。この世界は137億年前に、何も無い無の空間に、突然ビッグバンと呼ばれる想像を絶する爆発があり、針の先よりまだ小さい極微の大きさから全ての物質が生まれ、今の宇宙自体も端っこは光速で膨張し続けて居るのではなかったのか?
ヒューレン博士の理論によるとこうだ。世の中には、株式投資や、為替取引に一喜一憂するウォール街のような人たちも居れば、自給自足で貧しくても満ち足りて幸せなチベット人のような人々も居る。お金より芸術的価値に重きを置いて暮らしている人もいる。同じ事実が目の前にあっても、その意味が人によって違うのだから、この世界は、その人が認識できる範囲がその人にとっての世界といえるだろう。妙に納得させられる。詭弁とはいえないだろう。
思いつくことがある。全世界の水産資源がもっとも豊かだったときは、第一時、二次世界大戦中であったという。人間が戦争に明け暮れている間は、魚たちは、人間の捕食を免れてもっとも繁栄する時期を迎えていたのだ。
誰かが自分にひどいことをしたとしても、自分は完全に被害者だと周りに訴えることも出来るが、それは何か事情があって・・とか、愛情に恵まれない過酷な家庭環境がそうさせたのだからと、同情したり理解したりすることも出来るかもしれない。
私は音楽を演奏したり教えたりする仕事がメインだが、考えてみると3年前は、移動読みといって便利な音感トレーニングのシステムがあるのだが、30年以上も前に学校では教えなくなって、音の高さを認識するのはサボった状態で譜面だけは読めるという悪弊が日本の国に蔓延しているのを見て、××省の方針が悪い、××音楽教室の方針は間違っていると、本気で怒っていたのだが、考えてみると、学校でいくら教えても素質のある、音に興味がある人は、自分で音感を築いていくわけで、興味のないひと、素質のないひとはいくら教えても駄目だろう。誰かのせいにするのは間違っていることに遅ればせながら気がついた(笑)。
西洋には、バッハやベートーベン、ショパンほか偉大な作曲家がたくさん出ているが、全員音楽的能力が高いわけでもないし、黒人はみなリズム感が良くて、ジャズ的なアドリブが皆出来るわけでは決してない。人によるのである(笑)。な〜んだ。
そう気がついて、だったら、音感を良くする方法を考えて教えたらいいのである。そこで作ったのが、菊地康正の音感トレーニングメソッドなのだ。自信作、それも電子ブックである。
http://kose-sax-flute.jp/Onkan/onkan.htm
でもでも、買ったのに、忙しくてやり始めていないひと、もったいないですよ。本当に楽器がうまくなりたいのなら、最短の良い方法なのに、世界に先駆けて、菊地道場生だから持っているのにやらないなんて・・・。1000万円が口座にあるのに、忘れて銀行に行っていないようなものですよ。湯気の立った最高のシェフの美味しいご馳走が目の前にあるのに、カップヌードルは無いの?と思っているような・・
それから、我が教室「菊地康正サックス、フルート道場」では段位制を昨年から始めたのだが、これが好評なのである。学んでいる内容は以前と全く同じであるのにもかかわらず、ここまで出来ましたよ・・・と認定証をもらうのがやりがいになるのだという。
中世のキリスト教は、信者を教会へ向かわせるために、地獄の存在を説いたり、生まれ変わりは無いということにしたり、挙げ句の果ては免罪符を発行して、これがあると地獄へ行かなくてすむお札を売っていたらしい。
別に菊地康正サックス、フルート道場の××級、▲▲▲段免状を持っていたからといって、ジャムセッションでたくさん拍手がくるとか、お客さんがどんどん集まるかと言ったら直接の関連はないだろうけど、練習に当たって、達成度合いをきちんと認定して貰えるのは、教習所から、路上へ出ても良いよという仮免許を貰ったうれしさに違いない。音楽をやっていないひとも、是非我が道場の認定基準を眺めて、どれだけ訓練、練習をして音楽をやっているかを想像してみるの一興では無いだろうか?
菊地康正サックス、フルート道場段位認定基準のページ
http://kose-sax-flute.jp/Grade2010.htm
今後は、師範代といえども、ちゃんと段位が生徒に知れ渡ることにもなるので、良い意味で切磋琢磨して張り合って向上していってもらいたい。
今日は、彼女と多摩川の土手を散歩していたら、小学生の野球チームの試合があった。大人のコーチに大声で怒鳴られながらも懸命にプレイして、試合終了後お互いに有り難うございましたと挨拶をして、ギャラリーのお母さんたちや、周りの人たちグラウンドにも挨拶する姿を見て、年とともに緩くなった涙腺が、今日はますます緩くなるではないか(笑)。やはり感動してしまうのである。
スポーツは勝ち負けがはっきりしていて良いが、音楽は、知性と感情のバランスを取った演奏でいかに感動させられるかが勝負となる。
夕焼けの武蔵小杉駅は、高層ビルが建ち並び、昔手塚治虫の鉄腕アトムの近未来の都市の景観を思い起こさせるが、ビルの間からは、江戸時代も明治、大正、昭和も変わらぬ美しい富士山が夕日に映えて、今日も一日素晴らしい日を生きることが出来て、感謝の念がふつふつとわき上がる。

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