我ながら、20年近くサックス、フルートを教え続けてきて、時代の流れというものを感じるときがある。
熱心な生徒さんも多いのだが、昔よりも音感の発達が極めて開発途上の方が多い気がする。
僕の推理では、学校で移動読みを教えなくなって数十年が経過して、音の高低に対する感覚を発達させる場も、教師もきわめて少ないせいではないのか?
音感はほとんど無いか、有ってもきわめて貧弱な状態で(聞いただけでは、音が高いか低いか、それはどの音なのかが認識できない、認識能力が低い)、目で楽譜を見て、音の高さと指の位置だけの対応で楽器を演奏している人の如何に多いことか。残念だけどそれは音楽ではない。
アドリブしている状態とは、(一流の奏者の場合)
まず、今何のキーなのかが解っている。と言うことは転調や、一時的転調も鋭敏に察知する耳があるということ。
曲のコード進行が解っている。言葉で、Am.Dm7,G7,C・・等とも言えるし、その構成音を全部その場で吹けるし、スケールも解っている。
頭の中でコードが鳴っている状態だ。思いついたメロディを、そのコードに載せて吹ける。と言うことは、分散和音でも、スケールでも、思った通りの形に吹けると言うこと。
さあ、その段階に行くには、何が必要だろうか?それはまずいい耳だろう。
いい耳とは、歌だったら、聞いたとおりのメロディをその通りに歌うことは、感覚としてそんなに難しいことではない。
それにドレミを付けて、どんなメロディでも正確にドレミで歌うことは一朝一夕にはとても難しい。
この前作った教材では、「ドレ、ドミ」を区別するのを最初に持ってきて、生徒にやらせてみたけど、芳しくない。難しすぎたようだ。
その道20年(幼児音感教育)の江口寿子先生によると、「ドレ、ドミ」を区別するのは非常に高度な課題で、初心者はもっと幅の広い、「ド、ソ」の区別からやるべき、コード感を育成するには、「ドミソ、シレソ」の区別、ピアノで分散和音的メロディにわざとぶつかったコードを弾かせて直させるなど、彼女の著書からは参考になる手法が学べた。
試しに、生徒に「ド、ソ」の区別から「ドミソ」の組み合わせに入る教材を製作し試すとスムーズである。僕の学校はジャズ学校であるので、スイングするリズムパターンや、シンコペーションを入れると良いだろう。
ハ調の中の音程関係が、3,4,5,6度でも正確に取れてから、#、♭の付いたキーに進むのが無理が無くて良いのだろう。
しかしジャズのアドリブに進む前に、音楽の基礎力である、正確に聞き取る、正確に歌う、聞き取った音程に、正確にドレミを割り振る能力は、どのようして育成されていくのだろうか?
それは音楽に対する愛情、音楽を楽しむ気持ち、それにどうしたら、このような美しい音の組み合わせになるのか?という科学者的知的好奇心。
音楽の半分は算数、数学で出来ているのだから、理屈できれいに説明できることが好きな人も向いている。
良い曲には、人格というか、その曲の魂、人格、品格さえ感じられると思う。品良く、情感を込めて演奏してあげなくては、曲が可哀相だというものだ。
それには、指で間違った音を出して、違った、違った、隣の音だとやっていては駄目なのだ。
楽器無しで、まずメロディを
1.正確にラララで歌う、
2.正確にドレミで歌う。
3.それに正確に指を付けて練習。
この、3者が、うまく連動しないと、演奏自体がうまくできない。
それらが自動的に廻って、初めて楽器を持って練習、今度はタンギングなどアーティキュレイション、ダイナミクス、音楽表現の問題に取り組めるというものだ。
アドリブは更にその先の問題である。
耳を良くしていかないと、いくら楽器の演奏を譜面を見てやっても駄目!百年河清を待つの諺ではないが、黄河は何千年経っても濁ったままだ。
耳を良くしていかないと駄目だと、4年間レッスンを続けた上で気が付いた人もいる。気が付いたことは素晴らしいと言っていいのか、遅すぎるのか?
いやそんなことはない、それが解るのに彼はその時間が必要だったのだ、と思う。他の音楽ではない方法がそこそこうまく行っていたのだが壁に当たったのだろう。
私にとっては、まるで子供を育てるように根気の要る仕事。かんしゃくを起こさないで、よくぞ何年も耐えてやって居るなぁとも思う。(笑)

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