全てを吐き出すと、言うことは何も無くなるようである。9/12目黒音の箱ライブは、盛況の内に幕。詰めかけてくれて多くのお客様に感謝。
Rinda ☆(perc)、久米雅之(drs)の二人はサンバ、ブラジル音楽の専門家なので、ボサノバ、サンバ系の曲をたくさん。独特のタメと訛りが楽しい。
他のメンバー、菅原正宣(b)、出口 誠(p)もいつもながら良い演奏をしてくれた。
最近アルトサックスも、自分のボイスに特徴がよりはっきり出てきたような気がする。生徒では、牛尾君、遠藤理史君を始めたくさん、それとファンのかたたちで盛り上がった。
また15人の大集団を連れて聞きに来てくれたU子さん夫妻も有り難う。霊能者でヒーラーのもう一人のU子さんも熱心なファンの一人。ますますグレードアップしますね?は嬉しい言葉である。
久米雅之君には、KOSEさんは、いいタイミングで吹くね?とのお褒めの言葉を頂いた。牛尾君の日記にも、僕のタイム感への感想が載っている。
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=931825082&owner_id=3109284
・・・相変わらず彼にしかできない大きなタイム感と気品のある音。お酒が進む(笑)今日はとくにアルトが素晴らしかった。
アルトでもテナーとは違う自分だけのトーンで聞かせてくれる。・・・
そうだ、良くアマチュァのリズムセクションとやると、僕の演奏を聞きながら弾いていると遅くなる奴が居たっけ。僕は、ゆったりとビートに乗るのが好きなので、もう5年もやっている菅原は、今でもつられないよう、つっこみ気味に弾いていると話している。彼のビート無しに僕の演奏はあり得ない。
先日パーティの仕事でお世話になったS女性社長とその娘さんもご招待したのだが、逆に御祝儀までまた頂き恐縮である。
S社長は、建物を建てるときの地質調査や地盤改良の会社で数人から10年で70名の会社に育て上げたと言うから大したものだ。父の事業を思い出す。
この日は、演奏で言いたいことを全て吐き出したような気持ちで、何も書く気が起こらなかった。
招待状を見て来てくれた、アマチュァのサックス、フルート吹きのEさんは、ザ・フルート別冊も購入してくれたが、ライブが終わって、帰る前の、最後の質問は、このバンドは自分のバンドですか?
????しばらく意味がよく解らなかったが、あれだけ僕はサックス、フルートを吹きまくって、一晩そのライブを聞いて、リーダーは他の人で僕はサイドマンに見えたのだろうか?
世の中には不思議な人はいるものだ。また一つ、自分の常識は全ての人に通用するわけではないと思った。
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救われた言葉
カントだったか、我思う、故に我有り・・とは、自分が存在すると言うことは、疑いようのない事実だ。そこから全てを考えるという立場がある。
自分が存在し、相手が存在している場合、そしてみな感じ方考え方が違う場合、ケンカにならないで、仲良く共存する道は、違う相手を認めることだと思っていた。
それには人生経験を積み、心の広い、悪に惑わされない高潔な人格を涵養しなくてはならないと思っていた。なかなかそうは出来なかったけれども・・
ところが、スリランカ初期仏教長老のスマナサーラ長老によると、仏教の立場は、自分という、変化しない実体は存在しないし、永遠不滅なるものは存在しないし、していてもそれは変化がないから認識できず無意味である。
自分は過去にこういう事をしたと思い煩うことも、相手は昨日、数年前こういう事をした、と憎んだり嫌ったりすることも無意味、つまり相手も自分も光速で、ものすごい勢いで変化しているので、自分というものにも実体はないし、全ての知識、愛憎に意味はないと言うこと。
そうか、未来の心配も過去の愛憎も、全く意味はないんだ。今やることだけを考えて、太陽が善人も悪人も全く分け隔て無く照らすように、良い音楽をいつも作り続けて、今に集中して生きていけばよいのだと気が付いた。
法律を破る人をほってはおけないけど、どんな人も赦してあげられたら心は平安になるだろう。いずれ皆死ぬ運命だ、この瞬間を充実して生きていきたいものだ。

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