


ダリ美術館とピカソ美術館のはしごを予告していたが、それはかなわず、パリ最終日はダリ美術館のみとなった。
http://www.daliparis.com/
だが、内容は予想以上に満足のいくものだった。降り立ったアベス駅から、美術館を目指すも、なかなか見つからない。通りにある商店のアラブ系若者に聞いたら、親切に教えてくれたが、近寄ったときに感じたのはその強烈な体臭。
・・・むむ、これを快適に感じる日本人は少ないだろうな?簡単に言うと、あまりお風呂に入っていない臭いというか(笑)、路上生活者の皆さんのそれに近いかも。
サルコジ大統領も、こういう多民族をまとめ上げる大変さを思った。そうか、フランス人そのものがあまりお風呂に入る習慣がないので香水が発達したとも聞いているが・・・これは、ヨーロッパ皆そうだが、植民地を持っていた国は、昔の植民地が独立して、その住民が、みな本国(宗主国)に、流れ込んでくると言う現象だろう。ほとんど日本人しか居ない日本では想像できない、人種間の緊張を電車に乗っていると肌で感じた。
さて、サルバトーレ・ダリは、シュールリアリズム、無意識下の何百万年の人類の記憶の集大成から、豊かな色々な心象風景を汲み上げて我々にも解るように見せてくれるアーティスト。昔からどうも気なる存在であった。
作品群を見てるうちに、これは今回のパリ旅行の一番の収穫だと直感した。たとえば、お腹や胸から引き出しの出たビーナスや、ミシュランのタイヤを履いたビーナス。お高く止まっている、今までの常識、教科書的な考えを見事にうち破ってくれる。
毛虫やカタツムリと人間が同等に扱われていたり、子供のような感受性と、高い宗教性とユーモア、デザイン性、その現代的表現、直接入ってくる、魂の栄養は、もっとも洗練されたレベルの高いものだ。
ゴッホの時もそうだったが、どうして彼らが凄いのかようやく見て解った。本物なのだ!幼子でも、中学生でも解る、亜流と、神の直感を受けて制作している人の違いとでも言うのだろうか。
その高貴な精神性と、宗教性と、ポップアートのような俗っぽさが共存しているし、世界のデザイナー、クリエーターが、インスピレーションの源泉にしているのがよく解る。さらに言うと、アィデアを直接盗用している人も居るのが解った。
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帰国して、一日休んで昨日は、夕方、新聞で見つけた写真展に出かけた。
中南米、ペルーなどの写真。興味深かった。嬉しそうに母親の乳を飲む赤子の写真が可愛い。ペルー、マチュピチュの遺跡の写真では、どうやってあの高地に、宮殿を建設できたのかの謎を空想してみる。(今日まで)
鈴木貞弘『マチュ・ピチュにて』〈「中南米の旅」より〉(2002年)
http://sankei.jp.msn.com/photos/culture/arts/080519/art0805190800000-p1.htm
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その後は池袋プラザホールに足を運び、クラシックのコンサート。
斎藤和志(fl)、坪川真理子(gt)
ブエノスアイレスの雲、イストワール(イベール)、アマジア(L.プートロ)海へ(竹満徹)タンゴの歴史・・・
斎藤君は、クラシックの有名コンクール上位入賞総なめの他、日本フィルという一流オケで活躍している人だが、ジャズにも興味があり、僕の所にも数回習いに来ていたことがある。フルートは僕より、数百倍はうまい人。
豊かな音楽性を感じるコンサートだったが、武満徹氏の音楽は、まったく理解できなかった(笑)。Novenver steps は素晴らしかったが・・・僕の耳では、和声の進行や、メロディが感じられないのだ。僕の耳は現代には届いていないらしい(自嘲)。
世界的な作曲家なそうなのだが、氏の親友の井上陽水の言葉「武満さんは、気持ち良くない音の並び方を追求してる人、自分だったら、こうした方が気持ち良いのになぁという音を全て避けて音楽を作っている」の方に賛同です。
現代という時代は、その気持ち良くない音の並びを味わう必要にある時代なのかも知れないが・・・でも斎藤君の演奏は、文句なく素晴らしかった。素晴らしいコンサートでした。

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