昨日は、珍しく、オーケストラの演奏会を鑑賞。場所は、六本木のアークヒルズの中のサントリーホール。東京フィルハーモニー交響楽団定期演奏会、指揮ミヒャエル・ボーダー、演目は、ヨハン・シュトラウスの交響詩「死と変容」、マーラーの交響曲5番 C# マイナー。
夕方まで、週末のライブに向けてのバンドリハーサル、食事だったので、開演ぎりぎりになってしまったのだが、何とか駆け込みで間に合って、S 席の定位置に座ると、チューニングが終わり、指揮者が楽屋から登場するところであった。その時、隣のオヤジの足を、軽く踏んでしまった。(笑)もちろん謝ったが・・
私はもちろん、クラシックは大好きだが、好きな作家は、普通のクラシックファンから見ると、偏っているかも知れない。まず、バロックは大好き、ビバルディや、クープラン、そしてバッハは、ジャズミュージシャンは皆好きだろう。モーツァルトは、聞いていると淡々と美しく流れているが、演奏する方が数倍楽しい。ベートーベンは、世間のベートーベンファンの皆さんごめんなさい。重苦しくて、コルトレーン後期のように、精気が有るときでないと対決がしんどいところが・・
ロマン派は、まあまあ、聴けないわけではないけど、チャイコフスキーや、ロシア5人組など、メロディが美しいか、民族色があって、色彩に溢れた映像的な音楽が昔から好きなんだな?
時代が下ると、もちろん、ドビュッシー、ラベルなどフランス近代、リムスキーコルサコフや、その弟子のストラビンスキーのペトルーシュカ、春の祭典などは一時はまっていたし、コダーイ、バルトークなど現代音楽の黎明期の作品も好き。要するに、色彩的か、民族チックか、ダンス音楽そして宗教音楽が好きと言うことだろう。
今日のヨハン・シュトラウスの交響詩「死と変容」も、ベートーベンに通じる、重苦しい音楽で、一心に集中して聞くのだが、どうも、クソまじめな人の人生観を延々と聞き続けるような重苦しさで、解説文を読んでいたら、休み時間に、隣の席の足を踏んだオヤジに、「演奏中に、解説を読むなど言語道断、止めてください。非常識にもほどがあるだろう?」と怒気を帯びた啖呵を切られてしまった(笑)。
にっこりしつつ、眉毛を上げただけの私の脳裏に浮かんだものは・・・・
★ 怒っている人は、如何に自分が無力であるかを、大声で訴えているのだ(バシャール)。無力であるから、何も出来ないが故に、吠えている。弱い犬ほど、吠えるというものね?(笑)
★ 精神的に成熟した人は、目の前で怒った人を見ても、動じないものだ。自分の心こそ自分の領土であり、誰も静かに平和な気持ちでいることを妨げることは出来ないのだ。(マーフィー博士)
★ これは後で思いついたことだが、
「どこのどなたか存じませぬが、用があるなら、表で、個人的に、お話ししましょう。私をどのような者とおおもいでせうか?」
(誰だかしらねぇが、コラァ、おもてぇ、出ろ、俺を誰だと思ってんだ・・と言う意味)
と話しかける、いう選択肢も昔だったら考えたかな?と(笑)。
クラシック音楽はこういう風に聞くべきだと、誰が定めたのでしょう?人に迷惑をかけぬかぎり、どのように聞こうと、自分なりに自由に聞いて良いと思うのだけど・・・
そうそう、マーラーの交響曲5番 C# マイナーは大好きなアダージオが聴けて感激。1992年のサックス・マシーンズ旗揚げ公演の回前のBGMがこの曲だったし、マーラーの伝記映画も何回も見た。このロマンチックなメロディは妻アルマへの、愛だったと。
オヤジさん、怒ると愛の気分を味わえないですよ。可愛そうだけど・・・・ねっ?
東京フィルの演奏はさすがで安心して聴けました。

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