こんにちは。KOSE です。今日は書きたいことが二つ、まず感動した映画が二つそして自分の音楽について。
「シャイン」、いつか見ようと思っていた、天才ピアニスト、実在のオーストラリア出身のピアニストのデイヴィット・ヘルフゴットさんの半生を映画化したもの。思った通り、感動の嵐だった。
あまりにすごすぎる、ピアノの才能と、精神を病んでしまう天才の危うさ・・。一番心に残ったのは、厳格な父親の歪んだ愛情だろう。いや、実は、彼(父親)の愛情の仮面をかぶった、息子を自分の作品、または所有物のように扱う所有欲に見える。
思わず、お父さん、君は間違っているよ!とテレビの画面を指さしてしまったのだった。(笑)クマバチは飛ぶ(リムスキーコルサコフ)ラフマニノフのピアノ曲など、聴き応えのあるピアノ演奏は、デイヴィット・ヘルフゴットさん本人だというから驚きだ、おお・・とおてつもなく素晴らしいです。おすすめですね?
これは淀川長治さんによる解説のページ。
「奇跡の人」これはヘレン・ケラーとサリバン先生の記録。皆さんも知っている、見えない、聞こえない、しゃべれないという三重苦を乗り越えて、偉大な業績を残したヘレン・ケラーの幼い頃の話。やはり、生後6ヶ月でその三つを失った人というのは、普通に人格を形成することなど、所詮不可能と周りが思いこむのも無理はなく、自身が弱視をいう障害を乗り越えて、劣悪な施設出身で、生きてきたサリバン先生とヘレンというわがままいっぱいに育った小さな暴君との戦い。これも涙なしには見ることが出来ないが、両親の溺愛ではなく、サリバン先生の厳しい愛の戦いが最後に勝利するのである。最終シーンで、Water の綴りを手話で理解して、ついに、お父さん、お母さんと抱き合うところは、特に感動する。
私は音楽を生業にしているものとして、ヘレンが、全てのものに名前があるのだと言うことを悟って世界が広がったように・・、それを音楽の言葉に置き換えると、全ての音(の高さ)には、名前が有るのだと言うことを強く主張したい。
それも、調性(無調ではないと言うこと)のある音楽をやっている以上、そのキーの中で、正確に音程を確定できる、移動読みは、どうして廃れてしまったのだろうか?ゆとり教育の影響で、子供とたちの理科数学離れは進み、技術立国を旨とする、日本の産業界の先行きを危ぶむ声もするが、音楽教育においても、移動読みを廃した文部省の失策の罪は大きいと思う。現に40歳より若い人たちで移動読みが出来る人はほとんど居なくて、ジャズ教育者は皆困っている状態だ。
某君のブログでも、B♭マイナーを練習するのに、シ♭、ド、レ♭、ミ♭、ファ、ソ、ラ、シという風に感じていて・・・とあって、僕はそう言う面倒なことは生まれてこの方したことはなく、B♭をドに設定したら、後は、ド、レ、ミ♭、ファ、ソ、ラ、シ、ド・・と吹くのは簡単な事だ。
どうして、B♭マイナーをやっているのに、C major の音階を基準にして、その変化音という風に感じなくてはいけないのか、その理由はさっぱり解らない。新宿高層ビルも、ハワイのコンドミニアムも、実際の階数を無視して、標高(海面からの高さ)で表現して何の益があるというのか?実際の階に行くには何階かを知らなくてはいけないのに・・・一人でも多くのひとに移動読みをマスターして欲しいと思います。消え去れ、暗き、固定度の亡霊よ・・!でもね?固定読みの先生に習ったらそれは、固定読みにならあね?それは同情します。
ははは、つい語調が強くなってしまいました。(笑)もう一つは、音楽の勉強です。
何の勉強、修行でも、山を登って行くと視界が開け、眺望が広がるような気がすることがあるものです。最近の私がそうなのです。
きっかけは、いつも一緒にやっているピアニストから借りた自分の演奏 MD。自宅の MD デッキが不調なのと、ポータブル MD はついに限界が来て音が出なくなったので、最新でもないけど新たらしい ポータブル MD を購入したのです。音質の良さに愛着があった DAT 愛用者の私はどうせ MD を買うなら、それよりIpod?とも考えていたのですが、最近人から渡されるMDメディアも2倍速、4倍速のモードがあって、昨年の発表会のかりたMDなど聞けてなかったのです。一大決心をして購入(大げさ?)ついに聞けるようになりました。そこで2ヶ月前の自分の演奏をじっくり何回も聞きました。最初はアラばかり目立って、いろいろと反省をしていたのですが、むくむくと心の中にわき上がってきたものが有ります。
それは、音も、フレーズも関連性も思考速度も、リズム感も、有る程度出来たのだから、その上を目指そうと言うこと。つまりもっと深い表現です。私の尊敬するトランペッターの日野さんは言いました。「一音の中に君の人生が無ければ駄目なんだ」と。
その言葉を解って演奏した気でいました。でも、もっとしなくてはいけないのです。今まで何十年か生きてきた、その生きてきた内容を音にもっともっと反映させなければいけないのだと確信しました。たかだか数十年だけど、この星に生まれて日本という国で、両親と友達、先生にも恵まれ、いろいろな人に会っていろいろな素晴らしい仕事もさせていただきました。またいろいろな影響を受けて生きてきました。
振り返って、考えてみると伝えたいことや、分け合いたい気持ちは山のように有ります。それを音で表現していきたい。今までの出会った素晴らしい人たちや出来事に、感謝の気持ちで返したい。
いますぐに出来る深い表現は、「強弱」なのです。哲学的ダイナミクスを付けてみたい。それも自然で、心の、より深いとこらからわき上がる衝動によってそのダイナミクスを生じさせたい。天才ピアニスト、デイヴィット・ヘルフゴットさんの演奏のように、聞いている人を、体験したことのない世界へ連れて行ってあげたい。
新たらしい目標です。音楽をずっとやってきて良かった。ようやく出発地点に立てた。いま真っ白いキャンバスが僕の前にある。明日は菊川ナージュ最終回です。

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