最近強く感じていること、とは言うものの、実は前から感じていたが、どうも成果主義に関してうさん臭さを感じざるを得ない。
成果主義、といえば、仕事の出来を査定してその結果として給料の配分が変動する雇用のシステムである。終身雇用制では世界的な競争に勝てないと判断した各企業が、それぞれの分野で有能な人材を確保するため導入を進めているのである。
しかし、実際はどうなのだろうか?まず思うことは、いったい誰が評価を下しどのように査定するかだ。本当ならば外部から仕事内容を査定して判断を下し給与を選定するのが最もこの方式には適している。なぜならば全く会社の内部に関して中立であり、かつ感情的な査定をせず理論的な査定が可能だからだ。
しかし、大概の企業は自分の会社の給料は自分の会社で決める。実際にはそうではないか。となるとどうなるか?出来のいい社長がいて仕事の内容を理論的に査定把握出来る人間が人事に携わっていたらそれは十分可能だろう。しかし本当のところはどうか?
実際のところは会社は必ずしも1枚岩ではない。会社内部でも派閥争いがある。となると必然的に出て来るのが「派閥内の囲い込み」だ。すなわち、企業内で優位なポジションを示している派閥の場合、その派閥により給与が多く舞い込んで来る。もし冷や飯を食っている派閥であるならば即座リストラの対象、社内いじめや嫌がらせの対象になる。
最近の企業同士の合併にしてもそうであるが、合併に対して主導権を得ている側がどちらか、という面にも似ている。となると、「成果主義」は「論功勲章」の別用語にも聞こえる。
しかも、場合によってはその派閥側、もしくは社長に対しておべんちゃらを言ったり御機嫌をする人間も出てくる。いわゆる「胡麻擂り」だ。一見「成果主義」と似ても似つかぬ言葉のように見えるが、実は査定が不透明でその理解が出来ていないところ程「胡麻擂り」が「成果主義」と同義語になってくる。
となると、今までの「成果主義」とは何何だ?と言うことにもなりかねない。いや、「成果主義」という言葉こそが「カルト」的妄想に過ぎないのだ、と断言していい。
(しかし、何でかな・・・。このような「怪しげな」言葉に惑わされる状況が悲しい・・・。)

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