明日が88歳の誕生日、という父が
5月1日の深夜に旅立ちました。
3月初め、救急車に一緒に乗って病院へ。
緊急入院してから2カ月、絶食にも耐えてくれました。
病院のコロナ対策で、家族の面会もままならず、
私が会えたのは、旅立ちの6時間前。
しかも、新幹線でかけつけた私の体温は37.0℃・・・
37℃以上は面会できません・・・と。
心を落ち着かせて、測り直して36.9℃になり、
なんとか短時間の面会を許可してもらえました。
夜中に病院から呼び出しがあり、
姉とふたりで駆け付けると、呼吸が止まったところでした。
夜勤の看護師さんに死後の処置をしていただき、
遺体を搬送する車をベッドサイドで待ちました。
その間、布団の表面がフワフワッと波打つのを
姉と一緒に何度も見つめていました。
父の魂が漂っているのだと感じました。
遺体を3日間、実家の座敷に安置し、
孫もひ孫も、みーんなで、賑やかに見守りました。
納棺して、顔の廻りにきれいなお花を入れ、家族だけの通夜。
翌朝、大勢の村の人に見送っていただき、火葬場へ。
葬儀場のBGMには「いのちの歌」が流れ、祭壇にはたくさんの花。
コロナ対策中で、親族だけの参列でした。
父の遺影は、10年前に孫の結婚式で家人が撮った一枚から。
頬がピンク色に染まり、優しい笑顔で、幸せそう。
お酒を飲んだからだ・・・と気づいたのは葬儀中。
妙におかしくて、悲しくて、涙が溢れました。
東京に戻る新幹線内では、空を見ても、雲を見ても、
父を思い出し、涙がこぼれました。
・・・1カ月がたちました。
悲嘆のプロセスはずいぶん前から始まっていたので、
既に最終段階だと思います。
気を張っていても、まだ時折、涙が出ます。