11月20日の「世界こどもの日」にあたって、EAEのアブダビ政府が世界の宗教指導者と宗教NGOに呼びかけて「より安全なコミュニティのための諸宗教連合2018:オンラインにおける子どもの尊厳」が開催されています。
私も子どもの問題にかかわる仏教者として参加しています。これまで「ありがとうインターナショナル」の理事としてGNRC(子どものための世界宗教者ネットワーク)の会合で発表してきたことでお声がかかりました。
宗教者だけではなく、政府や国連の政策にかかわる人や、NGOメンバー,研究者、そしてマイクロソフトをはじめインターネット産業で取り組むい人などがそれぞれ発表しました。現状や可能性の話でヒントや希望もたくさんありましたが、世界的に対策がまだまだ現実に追い付いていません。
以下は今日、「宗教コミュニティができることは」というセッションで、「日本」の「大乗仏教」の僧侶として、と断ったうえでおこなったプレゼンテーションの日本語原稿です。
子どもの尊厳を守るために仏教的価値観を最善の方法で動員するために
仏教徒として社会問題にかかわる行動のベースはまず「慈悲」と「布施」にあります。その前提としての思想は「縁起」です。目の前の苦しみを救済することも大切ですが、その苦しみを生じさせる根本的な原因を深く見極めることが大切です。苦しみに寄り添い、当事者の視点からその原因とメカニズムを追及していくと、私たちは構造的な暴力という社会の現実を認識することができます。
つまり、私たち自身が築いてきた文化の中に、欲望を増大させる原因があり、不当な差別や人々を抑圧する習慣が潜んでいることに気づかされます。仏教者もその文化や価値観をもたらした責任の一端があります。しかしそのことは、私たち自身にそれを変えていく可能性があるということでもあります。
救済においても予防においても、性犯罪の被害者に原因があると責めるべきではないことは前提として、まずは子どもの声をしっかり聴くことが大切です。そこに寄り添い、一緒に考えていくことが必要なのです。説教や、押し付けはいけません。
子ども自身の言葉の中に、とても重要なヒントがあります。子ども自身が問題解決のための重要な社会資源であることがわかります。それを具体的な活動や制度として実現することで、子どもは、自信と大人への信頼を感じます。子どもの人格と能力を尊重し、自分を大切にする気持ちを支え、自分で自分を守れるようになることを支援すべきです。
自己肯定感の低さが、犯罪被害のリスクを高めると、知的障害者への性暴力被害の救済活動をする人は言います。
オンライン犯罪から子どもを守るため宗教者の役割
さて、オンライン犯罪から子どもを守るため宗教者の役割として、私の提言は2つです。
一つは子どもに対して、安心して相談できる大人になるということです。家族や友達、学校などから孤立した子どもの支えになりたいと思います。悪い行為や考えを世間の価値観で否定せず、まずは何でも受け容れ、良き理解者になりたいと思います。決して甘やかすのではありません。宗教者として子どもの力を信じるのです。このことは、オンラインや性暴力の被害リスクの高い家出少女を支援している若者の活動からも学びました。
2つ目は大人や社会に対して、究極には、経済優先の価値観から人々を解放することです。現代社会の匿名性は、人々を分断することで、ますますマネーに頼る世の中を形成しています。オンラインを利用したお金の流れは、無意味な消費を伴いつつ、ますます格差を広げ、質の悪い権力の力を増大させています。それがいかに非人間的で危険なことか、宗教宗派を超えて訴えていくことが私たちの役割だと思います。

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