昨日の日経の記事、「寄付の文化を定着させよう」
http://www.nikkei.com/article/DGKKZO94603300R01C15A2EA1000/
を読んで、伝統的に「お布施」で成り立っている寺の者として一言。
社会に山積する様々な課題に人々が関心を持ち、その解決に貢献しようと言う志しは尊い。しかし、本来、社会の責任として取り組むべき事柄を人々の「善意」に頼ろうとするのではいけない。
第一に、日本では、否応なく徴収される源泉所得税が国に吸い上げられ、その分配が政治献金によって決められているという現実が問題だ。
第二に、多くの「善意」が、情報と感情で動く現実がある。もっとも、世界でもほとんどのNGOは、ニュース性の高い大災害・紛争の「緊急募金」で収入の多くを得ている。権威に弱い日本の国民は特に、お金の流れがメディア、ひいては政府や大企業に支配されやすいことは肝に銘じておかねばならない。
そして、資金を提供するという行為には責任が伴う。それがどのように使われたか? 社会にどのようなインパクトを与えたのか? アンバランスや不公平を生み出していないか? 受益者の主体性を損なっていないか、などを見極めていかねばならない。
そのためには、単に問題の現象ではなく、その原因とメカニズムに至るまで社会を知り、募金を託す組織の実態や活動のやり方、全体の中での立ち位置も把握する必要がある。そう、良い買い物(寄付)をする目利きにならなくてはいけない。
見樹院は、お布施本来の意味「広く施す」に立ち返り、真の市民参加社会をめざし、ソーシャルジャスティス基金を応援している。
http://socialjustice.jp/p/aboutus/
新著『民主主義をつくるお金』http://machi-pot.org/uploads/sjf_minshushugi.pdf

0