押しつぶされる側から開発を考え
切り捨てられる側から宗教者の在り方を問う
原発立地で市民運動に取り組む 長田浩昭師(能都町・大谷派)
六ヶ所村からみえるもの
1995年7月、「原子力行政を問い直す宗教者の会」第三回全国集会が、青森県六ヶ所村で開かれた。下北半島の付け根、太平洋に面し漁業、酪農、畑作を中心とした人口1万2000人の六ヶ所村に、核燃サイクル施設――ウラン濃縮工場、放射性廃棄物埋設センター、再処理工場――が建設され、徐々に操業が始まりつつある。日本中の原発から出る放射性のゴミ(低レベル)や使用済み燃料の再処理によって生じる放射性廃棄物(高レベル)がこの村に運び込まれる。
核燃サイクル施設と平行して建設される立派な公共施設が象徴するように、核施設を誘致することで経済的に潤う人々もいるだろう。しかし、美しい自然や小さないのちを思う地元の人々、この土地で野菜を作り、漁をし、子どもを育てる人々にとって、大きな不安であることも間違いない。
この地に立つことで、今の日本の構造、別の言い方をすれば、私たちの生活や、それを支える精神文化の有り様をまざまざと見せつけられる。釈然としないまま、強い力で推し進められていく大きな流れ。既成事実を何となく受け入れながら、いつしかあたりまえとなり、手放すことのできない恩恵にあずかっている人々。一方で、大多数には見えない矛盾のしわ寄せを受ける人々。

1