昨年も紹介したが、八木ヶ谷妙子さんの出会いをきっかけにこの問題をもっと知らねばと思い、王希天事件が寿光院のある小松川からほど近い亀戸・大島で起きていたことを知りショックを受けた。20年も前のことであるが。
しかしいま、
「関東大震災の子どもの証言集における朝鮮人虐殺の記述は改ざん・削除されていた−国会図書館にあった原本からわかったこと(西崎雅夫)」を読み、さらにショックを受けた。
この証言集の中に、私が育った小石川の子どもの証言もあり、あらためて大きな欠落を感じている。つまり、そのような地域の重大な教訓となるべき話をきちんと伝えない教育のあり方にますます疑問を感じる。
虐殺や(流言を含めた)暴力を目撃した子どもたちも、そのことに向き合いつつトラウマを克服し、人間としての善悪を掘り起こすようなケアや教育が行われることなく、隠蔽の意図のなかに押し込められたのだろう。そしてその子どもたちがやがて、戦争の加害者になり、被害者になっていく。
数年前、江戸川で起きた死亡事件をきっかけに、子ども・若者たちと虐待問題に取り組んだとき、子どもたちは自然な怒りや悲しみを感じた後、虐待を無くすために自分たち(子ども)には何ができるか、社会はどうあるべきか、そしてさらには加害者がなぜそのようなことをしてしまうのかということも真剣に考えはじめた。他人事でなく、自分も虐待をしてしまうかもしれないという認識を持って。
私たちは、今の私たちの問題として、過去をありのまま素直に受け止め、人間の業(ごう)として罪と悲しみを共有し、厳しく悲しい真実の中から、本当の希望の光を見出していかねばならない。

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