昨日のアドボカシーカフェでOur Planet TV 白石さんの報告を聞き、あらためて考えさせられた。
ウクライナでは、放射能被害をめぐって日本の福島のような分断や差別、イジメはほとんど見られない。
それは、人々を一斉に避難させ、年間1mSv以上の放射能をもたらされた地域の住民に、避難と移住の権利を認め、補償している国の姿勢が背景にある。
子どもの命と健康を守ることが最重要課題と位置づけられていて、学校、医療機関、行政が連携して。健康相談や検査、治療体制が整備され、毎年一定期間の低線量地域での保養が確保される制度も充実している。
日本では、復興や経済発展が優先され、放射能汚染も「風評被害」という言葉に置き換えられ、健康影響はないという建前の社会では、不安を口にすることすらできない空気が、増えたといっても数千人に一人の甲状腺がんの子どもの苦しみを封印する。
事故はなくても原発周辺における小児白血病発生率の有意差を認めるドイツは脱原発に舵を切った。
公開された情報の上に、宗教哲学など倫理的な専門家を含め、様々な立場の人々によって構成される委員会が政策決定に大きな影響を与えたからだ。
経済至上主義、再稼働ありきの政権が規制委員会を組織し、「国営放送」もコントロールする。
命懸けで収束作業に当たる人々や、生活や将来を踏みにじられた人々の存在から目を逸らさせ、いまだ膨大な放射能を海へ、空へ、大地へふりまきながら「世界一安全な原発」と嘯くことで、本当の「国益」が守られるというのだろうか。
原発でも武器でもどんどん売って稼いでくれる国や企業にぶら下がる生き方ではなく、身近な小さな命を守り、だれもが安心できる地域を積み上げる先に、真の美しい国が見えてくるのだと思う。

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