昔、原発問題を話題にしようとしたとき、企業人である友人の「日本人には核アレルギーがあるから」という言葉で遮られた。
日本人は被爆体験により、原子力にネガティブなイメージを持っていて、合理的に考えられないと決め付ける。確かにほとんどの人々は、原爆の破壊性や放射能のリスクを科学的に理解しているわけではない。被爆者の手記や『はだしのゲン』のような語り部の訴えの前に足を止めて、初めて問題意識を持つ人が多いのだろう。
しかし原子力の「平和利用」のタイトルで国や産業界が推し進める政策に、学校もメディアも取り込まれている。科学的(に見える)情報は、圧倒的に推進側から人々に届く。
放射能のリスクや原発の問題を地道に追求している研究者や、全国民からすればごく一部の被害を実感する人々の声は、「核アレルギー」と言われて思考を停止する大衆が乗っかっている流れに抗すべくもない。
「核アレルギー」という言葉が広まると同時に、「原子力に反対するのは感情論に過ぎない」というイメージが定着する。
それと同じことが「風評被害」にも言える。
「本当は安全なのに、危ないという人がいるから困る」という問題にすり替えられていく。そして、「核アレルギー」が反対派や慎重派に「無知蒙昧」のレッテルを貼るように、「風評被害」という言葉が使われれば使われるほど、脱原発や放射能からいのちを守る活動を貶めていく。

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