仏教は平和の教えです。すべての存在、すべての命に対し、慈悲と敬意を以て接することを説きます。自分の心を清らかに、冷静に保ち、感情に揺さぶられず、表面的でなく深く物事を見極め、正しい願い、正しい判断と行動で人生を全うすることが、真の幸せです。
その真の生き方を阻害する要素は、三毒と言われる「むさぼり」と「怒り」と「無知」です。その三毒に支配されることにより、差別や戦争などの暴力を引き起こします。
そして仏教は「苦」を起点にします。自分の苦を正面から見据え、あるいは他者の苦しみにしっかり寄り添い、その苦の原因や構造、自分と他者(社会)との関係を深く追求します。
私は高度経済成長期に育ち、バブルに向かう時代に社会に出て、だからこそ国際貢献もしなくてはと、20代の頃からアジアや中東、アフリカを歩き、支援・開発事業に携わってきました。そこで出会った紛争に苦しむ人々、破壊される森林、追出される先住民、搾取的労働を強いられる若者、性産業に売られる少女・・・いずれも私たちの歴史や生活と深い関わりを持っていることを知り、「豊かな日本」がまさに「虚仮」であることを思い知らされました。
法然上人が自らを「凡夫」と認識する意味が初めて判った気がしました。法然上人は、罪人や遊女も切り捨てることなく、苦しみを抱える人の身になって、全ての人が共に救われる世界を信じました。罪を犯す人、差別される人、いずれの苦しみも計り知れない理由がある。そしてその同じ因縁の世界の中に自分自身もいる。その自覚から、共に真実の世界をめざす生き方が「念仏」に行き着きました。
見樹院にもいらしたことのある、世界的な仏教指導者で私の尊敬するタイのスラック師は、「仏教とは構造的暴力と戦うものである」と教えます。自らの内なる暴力(三毒)に打ち克ち、社会の不公正を正していくことこそが仏教徒の使命だということです。
私は宗教宗派を超えたネットワークの一員として、基地問題、原発問題、そして平和構築の活動に関わっています。そこで沖縄と福島、そして憲法の置かれた状況、問題の本質の共通性を実感します。人々が現実を知ろうともせず、自分たちの繁栄や利益のために切り捨て、生かし合わなくてはならない世界の一員としての責任を放棄していることがもたらした危機です。今の政権の言う「美しい国」「誇れる国」は、今の苦しみを招いた政策の延長線上にある虚構に過ぎないのではないでしょうか。
かつての戦争を止めることなく加担してきた歴史、経済至上・拝金主義にまみれた現実を重く受け止め、「占領軍」の傍若無人、差別的危険労働、被曝、文化・コミュニティ破壊等々に苦しむ人々や、声も出せずに踏みにじられるいのちに寄り添い、国内外の平和を希求する人々と連帯し、二度と悲劇を繰り返すことのないよう、宗教者として、法然門下としての本来のつとめを果たしたいと思います。
「極楽誕生会」はじめおつとめや法事では、三毒によって作ってきた罪を懺悔します。そこから、真実のいのちの願いをもって、明るく、正しく、慈しみ合って生きる世界を永遠に追求していく意志を、過去・現在・未来の縁者と共有し、見樹院のご本尊前から、世界へ発信していきます。
(
2013.6.8「見樹院ニュース」第60号)

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