カピラ国の王子として生まれたゴータマ・シッダルタは、あるとき、お城の東の門から出かけて老人に出会い、南の門を出ては病人に出会い、西の門から出かけて弔いの行列に出会い、この世の苦しみや悲しみを目の当りにしました。そして北の門から出かけたときに修行者に出会って、29歳のとき、人々の苦しみを救う決意のもと出家したと、釈尊伝は語っています。
お城の中で何不自由なく暮らし、武芸や学問も最高の権威から仕込まれました。しかし、まったく正反対の境遇にある人々、お城の生活を支えるために奴隷のように働く人々の苦しみを受け止めることではじめて、その苦しみと自分自身がつながって、生老病死の現実に目覚めたのです。
お城の中にいるだけでは、自分たちが踏みつけ、搾取し、不都合なものを押し付けている周囲の苦しみに対して、勝手な論理や解釈で切り捨てたり、せいぜい憐れみを感じるまでです。力の側の高みから見下ろし、交わることがなければ、問題の本質に出会うことなく、自分自身のありようを見極めることもできなかったでしょう。
私自身、アジアやアフリカとかかわり、NGOのメンバーとして現地の人々の苦しみに接し、試行錯誤を共にしてはじめて、世界の暴力性に気づき、そこに取り込まれた自分自身の愚直さ罪深さ、業の深さを思い知らされました。しかしそこから、希望と新たな意志が芽生えたのです。
絶望の闇でこそ見出すことができた小さな光の導き、困難のなかでこそ搾りだされた渾身の一歩。その確かさと大切さは、体感した者でなければわからないかもしれません。しかしそれは、暴力的な無理解とご都合主義の前に、あまりにもか弱い希望と意志であることも身に沁みています。
力を振りかざす者の論理より、いのちの土俵際からの願いの方が圧倒的に真実に近いのです。苦しみに寄り添うことで、その人々の微かな変化を感じたとき、私たち自身を含めた人間と人間社会の可能性と生きる道を発見するのです。不遜に聞こえるかもしれませんが、釈尊に倣った、私の“信仰体験”でもあります。
釈尊は、人々の不幸の現実に大きな責任を持つ「権力」の側から「出家」し、苦しみの側に身を置くことで真理に到達しました。今の日本のいじめや教育論議においても、子どもたちをも食い物にしてきた商業主義やマスメディアの支配から、私たち自身が解放されなければ、めざすべき未来は見出せません。
この議論は後に回すとして、最近のガザの状況に対する声明を出しました。
◆声明◆ガザの犠牲をこれ以上増やさないため、国際社会は介入を
「パレスチナ子どものキャンペーン」では、今月ガザのハンユニスから支援事業のパートナーNGOのスタッフであるマジダ・アルサッカさんを日本に招き、各地で報告会を予定していますが、外界への唯一の出口であるラファの検問所も閉じられたままになり、来日が遅れています。それで釈尊伝の「四門出遊」に引っ掛けたわけではありませんが、巨大な“ゲットー”となり攻撃に晒される人々への理解と支援を呼びかけるものです。

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