仏教の「縁起」の思想は、一人ひとりが世界を変え、一瞬一瞬の行動が未来を変えていくと説きます。平和・人権・環境にかかわる活動を通し、足元から、そして現場主義をモットーに、言いたいことを言わせていただきます。
2005/6/1
歴史教科書問題や政治家の靖国神社参拝などをめぐって、中国や韓国で反日感情が噴出す出来事が相次ぎ、それを受けて日本国内でも両国政府や人々に対する反感が盛り上がりました。どのような人々がどんな理由や理屈で怒っているのか、デモや抗議行動がどのような仕組みで起こったのか、そして実際に何がどう問題なのかということは、実は十分に検証されていないし、理解している人は少ないと言えます。新聞、テレビ、週刊誌などメディアは、客観的で正確な情報や分析よりも、人々の感情を刺激することで人々を煽っています。
事件や摩擦を引き起こし、不安と憎悪を煽ることで軍国主義やナショナリズムを台頭させるしくみに、日本の人々がまんまと乗せられているのを、イスラエルを長年見てきた私は、とても歯がゆい思いで見ています。
それに対抗するのは、感情に流されることなく、物事を正しく捉え、理性に基づいて行動することです。それを邪魔するのが、欲と怒りと無知であることを自覚し、そもそもの原因を冷静に分析することから問題は解決されます。
そこで大切なことは、明確なビジョンを持つことです。それぞれの立場や文化を認め合う共生の社会。暴力ではなく信頼を築くことで解決する社会。収奪や欠乏のない公正な分配が行われる社会。一朝一夕で達成されるものではありませんが、理想が絵に描いた餅にならぬよう、一人ひとりが意志を持って積み上げていかなくてはなりません。
人種や文化、価値観や宗教は違っても、お互いを尊重し合い、助け合って共存する社会をめざすことは可能です。これまでカンボジア、アフリカ、中東で、現地の人々と共に、保健や教育、福祉、環境、人権擁護等の活動を行ってきて実感します。
それに対し、武力をはじめとする力でねじ伏せようとする行為は、多大な命の犠牲ももちろんのこと、排除と抹殺の発想で、人々の社会を切り刻み、破壊します。そのような方向へ向かわせないためには、現代の人間として、冷静な知性と理性をもって世界に向き合うことが必要です。

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