「夢」これは、眠っている時に見る夢の話です。
人類の進歩にも、お金にもならない話題です。
以前、日記のカテゴリーにも少し書いた、夢へのこだわりの始まりからのお話でございます。
改めましてのお話です。
まず、「夢」に興味を持ち始めたのが、小学生の低学年でございます。
いわゆる「おねしょ」というのが、記憶に残るぐらい大きくなってもございました。
幼稚園ぐらいが、最後の「おねしょ」体験でしょうか?
イヤ、小学3年生ぐらいだったかもしれません。
経験のある方ならおわかりでしょうが・・ひとり、ひとり違うかな?
私の場合は、おねしょをすると、決まって目が覚めるのです。
気持ち悪いですからね。バツも悪い。しかし、おかーちゃんに報告しなければ、イカンわけです。
ビチャビチャのまま、おかーちゃんのところにいくわけです。
すると、まあ、怒られることはないんですが、おかーちゃんは眠たそうだったりしましたなあ。
着替えさせてもらって、シーツをとって、そこに新聞紙をひきます。これで完了。
再び眠るのですが、こう、寝返りを打ちますと、ガサゴソガサゴソと、新聞紙が、いうわけです。
そのとき、おねしょするとき、決まって「トイレ」に行く夢をみているんですね。
子供なりに「おねしょは、なんとかせんといけん!」と思うのです。
「どうすればいいか?」
どうも「トイレの夢が良くない」んじゃないかな、と子供ながら考えまして。
「本当のトイレってどんなんだ?」と
現実の世界で、おトイレに行く時、トイレの中を観察するんです。
「ふーん。我が家のトイレはこんなふうになっているんだ・・」と、記憶するんですね。
それから次に「夢の中でトイレに行く時」・・本人は夢だと、このときわかっていないんですね。現実の時と同じように、トイレの中を観察するんです。すると、「あれ?天井の片隅が、ぼやけている」とか、違いを発見できるようになるんです。
そこで、「あっ。夢じゃが!あぶない、あぶない!」と目を覚ますんです。
そうこうするうちに、夢のほうも考えて「我が家のトイレではない、スチュエーション」をあみだしてくるんです。
で、また、失敗するんです。「ちくしょう!やられた!」
となるわけです。
このように、何度も「ちくしょう!」とやられるわけです。
そのうち、「我が家のトイレ」以外のトイレも出現しはじめるのです。
「我が家のトイレでなくても、気をつけなければいけない。」と、なるんです。
「○○ちゃん家のトイレ」であっても、油断は禁物なのです。
「なんで、私は、ここに来たんだろうか?よく考えろ。だいたい○○ちゃん家には、用事がねえじゃねーか。こりゃ夢じゃ。あぶない、あぶない。」と進歩していくんです。
その間に、夢はどんどんリアルに進化していき、だます腕も上がってくるんです。
そうこうしているうちに、体が成長してきて、おしっこをしている夢なのに、おねしょは、しなくなるんです。夢の中で、ジャージャーおしっこするんですが、おねしょにならない。目が覚めるんです。
こうして、やっと、おねしょから、卒業できたわけです。
そうですねえ、子供がおねしょをしても叱らないでほしいですね。
私は、ラッキーなことに叱られませんでしたが、そうとう本人も「しまった」と感じているはずですから。
とまあ、夢に興味を持つようになったのは、なにをかくそう「おねしょ」がきっかけでありました。

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