店の中に一歩足を踏み入れますと、なんだか、湿気た空気が流れており、お店というよりは洞窟の中のようでした。
ひろこ「快眠グッズのお店というより、ここでぐっすり眠れそうねえ暗くて涼しくて静かで。」
残暑厳しいはずなのですが、洞穴の中からは、天然なのか、エアコンなのかわからない冷たい風が流れてきます。中はランプだけの真っ黒けで自然に眠らそうです。サチコさんは慣れた様子で足元にあったランプを持つと奥へと歩き始めました。
サチコ「さ、行きましょう。」
ひろこさんは、ずいぶんと気味悪かったのですが、ランプを持ったサチコさんの後について行きました。
ランプを持って暗い中を歩くのは久しぶりでした。遠い記憶をたどってみるのですが、どうも、今までとは違った感じがしました。ランプを持って歩くなんて、めったにないことだからかもしれません。
ひろこ「子供のころに花火をするのに、ローソクを持って外にでたときが、こんな感じだったような気がしますわ。」
サチコ「ほら、ここよ。」
20メートルくらい進んだところでサチコさんは立ち止まりました。そこは、別段何も変わったことのないところのようでした、相変わらずの、洞穴の中のようでした。
サチコさんは、そこでランプの炎を吹き消しました。振り返っても入ってきた入り口も見えません。
ひろこ「うわ。真っ暗」ほんの少し心細くなりました。
サチコ「大丈夫、ほら、足元を見て。」
ひろこさんが足元を見ますと二人を丸く包み込む青い丸い光の輪がありました。蛍のようなその明かりはゆっくり点滅しています。その光を見ていると、何の不安もなくなり、むしろ楽しい気持ちになってきました。
ひろこさんは、時間のたつ感覚がなくなりかけていました。重力からも解放されたような感じでした。
ただ、サチコさんと手をつないでいるという感覚だけがありました。自分が掌になったような妙な感じがしていました。底が抜けて落ちているようでもあり、あるいは、天井を突き抜けているようでもあり、もし宇宙遊泳をしたならばこんな感じかも知れぬといったような感じなのでした。
ひろこさんは、突然思い出しました、自分が張り子の招き猫で、サチコさんは占い師であったことを。
夢から覚めて現実にたちもどったようでした。
現実に立ち返った証拠のように、ひろこはんの足元に堅い床がもどってきました、そうして辺りがだんだん明るくなってきたのです。
明るい店内には、枕やクッション、パジャマに湯たんぽ、小さな雑貨品が所狭しと並べられていました。
もちろんの目玉商品はスーパー耳栓でしたが・・
もちろん、のもちろんは、ひろこさんが、白い張り子の招き猫になっていることでした。
サチコ「ふー。やっと着いた。ひろこさん!ようこそ未来へ!」
ひろこ「え?未来?!」
サチコ「今日は9月13日。倉敷まねき猫まつりの日なんですよ!」
ひろこ「あっ!カムカム!」
その一言で棚に並んでいた、しましまの招き猫が一体ピョコンと降りてきて、いつものカムカムになりました。
カムカム「ひろこさーん。大変なんじゃ。」
ひろこ「どうしたの?何か訳があって未来に来たのね。」
カムカム「影がなくなるし、扉は閉まらんし。あー!ひろこさんにも影がない!」
ひろこ「えーないって?影?影影。影がない!」
サチコ「えー只今、9月10日よりタイムワープいたしまして9月13日倉敷まねき猫まつりの日にやってきております。8月の第二日曜日に開いた青い扉、なぜだかいまだに閉まっていません。おまけに、チョウの世界に行った私達の影がなくなってしまいました。ほら。」
サチコさんが足元を指差しました。
サチコ「影がなくなって、私の勘ははずれっぱなし・・商売になりません。」
ひろこさんも自分の足元を見て驚きました。影がありません。そのせいで、ランプを持って歩いたときの感じが、ぜんぜん違っていたのです。影がユーラユーラ揺れないのですから変だったんです。
ひろこ「影がない。扉も閉まらない。で、今日は、まねき猫祭りの日なのね。」
サチコ「影がなくなってね、どーも占い師として、自信ないのよね。でも考えてみると“まねき猫まつり”ってキーポイントだと思うのよね・・自信ないけど・・でここは阿智神社の神様の力を借りてタイムスリップしてのよね。」
ひろこ「なるほどね、困ったときの神頼みなのね。扉がしまってない、ということは、まだ黒いチョウの歌い手の影響があるってことよねえ。」
サチコ「ええ、きっとそうよ」
ひろこ「じゃあ、あのチョウの女王様のいってたように、黒いチョウの歌い手の名前を言い当てないと、扉は閉まらないんじゃないかしら?」
サチコ「ああ。名前あてね。チョウの女王様の名前が“スカイ・フライ・ブラック・バタフライ夫人”だなんて、たまたま聴いていた歌を覚えていたから答えられたけれど、ピカピカの女王様の名前がブラックなんて、普通なら絶対わからないわよ。難しいのよ。黒いチョウの歌い手の名前なんてわかりっこないわよ。」
ひろこ「そんなこといわないで、占い師のあなたの勘、信じているわ。」

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