【H25/3/7追記有り】
【h25/3/6元記事投稿】
無限に金があるなら、そりゃあ様々な政策を打ち出せるだろうよ。
福祉もしかり。
で、福祉を否定していると。
出てくるんだよね、「日本経済はだいじょうぶー」という様な連中が。
そういうのを見てると、
「こいつら、もしかして福祉という形で金をせびるのを続けたいのかな」
などと考えたりもする。
経済がやばいから福祉とかを切り捨てよう、と言うのだから、前提となる「経済がやばい」というのを否定すればいい、ってことなのかもしれん。
もちろん福祉だけを守りたいって分けじゃないんだろうけど。
でも、背負い込めない重荷はおろすしかないじゃん。
そもそも「国内の金を−」とか言うのが、日本の経済大丈夫ーと言ってる連中の意見に共通するところだけど。
国内で回せば大丈夫、とか言うのを実行したのソ連とかの共産主義経済じゃないんかね?
統制経済とか計画経済、というのがそれにあたるんではなかろうか。
で、失敗して現在があるわけですわな。
国内から借りてるから、ってそれでなんで大丈夫なのかもわからん。
政府が踏み倒したら、国内の金が根こそぎなくなるってんだから、やっぱり悲惨な事になるわな。
日本政府の借金は、どうも国内の銀行とかから借りてるもんらしいが。
それって、払えなくなったら俺らの預金残高がゼロに成るって事だわな。銀行の金って、俺らや企業とかが預けてる金なんだから。銀行自身の金ってのもあるだろうけど。
で、借金を払うために国民から金をとるしかないのが政府であるわけで。
払いきれなくなって増税とか言ってるのが今なわけで。
こんな状況でどうして「国内からの借金だから大丈夫」になるんだろ。
おかしな話だ。
というわけで。
美味い話なんかない、という生活の知恵である言葉で一蹴される程度の話が、「日本の借金は大丈夫だー」というものであろう。
信じてる連中がいるというのが俺には信じられん。
そこまでして守りたいのだろうか、政府の借金を。
【追記】
肝心の部分が消えていた、というか飛んでいた。
これではタイトル通りにならん。
まずは、元々書いていたけど、書き込み忘れた部分を。
(ここから)
それらが支出を継続させるためにリフレというインフレを提唱してるのだろう。
インフレに効果があるかどうかなど関係無く、ただただ「だから大丈夫」「支出がなくなれば経済がやばい」と言ってるのはそのためだろう。
福祉に限ったことではないが、規制は支出を生みやすく、支出は利権になりやすい。
規制を無くしていく事が利権を潰す手段
安全性の確保のために必要な措置があるにしても、それは福祉ではない。
(ここまで)
んで、更に考えた事。同じ事の繰り返しだろうけど、気にせずにGO
借金してまで守りたいのは福祉ではなく、それによって維持されてる機構と、その機構に属してる事で得られる金じゃねえの、と思うのだが。
税金によって維持されてる機構と、その機構に属してる事で得られる金じゃねえの?
税金によって維持されてる機構と、その機構に属してる事で得られる金じゃねえの?
とまあ、大事な事なので繰り返してみた。
なんでもそうだけど、組織なり団体なり機構なりってのは、良かれ悪しかれ無駄を生み出してしまう。
個人での活動であってもそうなのかもしれないけど、組織的な活動ってのは図体が大きくなればなるほど裏金とか職権濫用を生み出すもんではなかろうか。
で、それらを維持する名目が、
「世のため人のため」
なのは別に珍しいもんでもなんでもない。
それらを維持する名目が、
「世のため人のため」
なのは別に珍しいもんでもなんでもない。
これも大事な事なので繰り返してみた。
善意の皮というのは糺弾しにくく、したらそれだけで悪党扱いされる。
が、本当の悪とは無駄を生み出す事そのものだる。
無駄は他の誰かへの負担となり、結局世の中をダメにする。
そんな無駄のお題目に使われるのが福祉である。
こういったものを取り除くためには、建前や善意なんてもんを排除していくしかなかろう。
福祉だって、福祉政策を行うんではなく、善意の誰かが行動するのを待つしかないだろう。
「そんなのを待ってられるか!」
という連中が多いかもしれんが、
「善意にすがらない限り誰もが損をする」
という現実がそこにあると思うのだが。
けど、善意や建前に弱い人にはこれがわからんのかもしれん。
非常に残念な事だが、こういった善意を盾にした利権の維持がより多くの者達への負担となり、負担がより大きな困窮を呼び込み、困窮が悲惨な生活を強いていく。
これもまた別に珍しい事でもなんでもない。
あらためて口にするような事でもない。
人類がこれまでの営みの中でいつでも見せつけてきた事ではなかろうか。
排除する手段は一つ。
政治が動かないこと。
誰かの金にすがらせない事。
善意なんか踏みにじる事。
本当に善意があるならば、他人の金(政府の金なども含む)にすがらないで、善意の者達が自力で行動する。
それだけが唯一すがれる福祉であり、それ以外の福祉はおそらく欺瞞と偽善に満ちた利権であろう。
商売としてやるのも当然含まれるし、これらが強制的に誰かの負担とならない限りは世の中の一部として確たる地位を得るだろう。
逆に言うと、商売として成り立たないなら、そんなもんはこの世に必要無い、という事。
商売として成り立つには、需要があるのが大前提。
その需要に応える事ができて、なおかつ供給側にそれなりの見返りが提供された時に存在価値を確立する。
何も福祉に限った事では無い。
だが、それが出来ないという事は、少なくとも現段階では存在価値がないし、あっても無駄が大きすぎる、という事なのだろう。
それを無理して維持しても世の中を損なうだけになろう。
無駄を続行した、無理を続けた結果は共産国家を見れば分かるかと。あれ、無駄と無理を続けた結果だ。
同じ事は政治体制だけでなく、他の様々な分野に言えるかと。
そんな無理してまで維持しようとするものを継続しても、結局は無駄な利権団体や集団を生み出すだけだし、それが無駄な費えになるのは論を待たないかと。
残念ながら、善意を建前にしたもんは何であれ無駄な費えに終わる事が多い。
これは俺の考えだが、それほど的外れではないと思っている。
あえて言おう、ランキングクリックしてー
拍手クリックもお願いー

にほんブログ村
にほんブログ村 政治ブログ

1