子供の教育と私の成長  2) 滝つぼ体験談

子供の教育と私の成長 TB060

子供を育てていると、「あの頃の自分」を振り返り、「子供には自分よりもっと良い人生を送って欲しい」という欲も出て来るものです。子育てを通して私自身も成長し、変化していきました。 筆:滝つぼ

学歴偏重主義家庭

私の父は「東大に行かざる者は人ならず」という学歴偏重主義者だったので、私は「県で最高の高校そして国立大学に行けないようなら、生きる資格はなし」と言われて育ちました。私の成績が悪いと「子供が馬鹿なのはお前に似たからだ」と言って母を責める父への憎しみをエネルギー源にして「いつか父を見返してやりたい」という思いで必死に勉強した私です。

でもいくら頑張っても所詮、私が東大に入れるはずもなく、私は「父の失望」を浴びながら、滑り止めで受けた私大に入学し、そこでも悔しさをエネルギー源にしてESSに入部し、大学の4年間、徹底的に英語を勉強し、大活躍しましたが、それでも矢張り父には私を認めてもらう事はできませんでした。

いつしか私は学歴でしか人を判断する事ができない愚かな父を許す事ができるようになり、「そんなお父さんのささやかな夢を叶えてやる事ができなくて可愛そうな事をしたな」と父を気の毒にすら思えるようになりました。

呑気派の夫との出会い

当時は向上心と野心の塊で、リラックスしたり時間を無駄にする事に罪悪感すら感じられた私が「我が辞書に努力、忍耐、根性という文字はない」という呑気派の夫と知り合い、「人間こんな風にリラックスして生きてもいいんだ」という事を始めて知りました。

夫はイギリス人なので、夫とダラダラ過ごす時間も私にとっては英会話の時間であり、「自分の英語力が向上している」という安心感を持つ事ができたので、夫と一緒にリラックスする事も苦痛ではありませんでした。

いつしか私は「ゆとりを持った生き方」の素晴らしさを知り、自分に自信を持つ事によって、他人からの評価があまり気にならなくなって行きました。

教育ママゴン時代

ところが不思議なもので、自分で子供を持ってみると「子供をバイリンガルに育てたい、幼児の頃から脳に刺激を与えて英才教育をしないといけない」という焦燥感に苛まれ、私は「教育ママゴン」になってしまいました。

長男にやらせた習い事を数え上げればキリがありません。まだ幼児のうちから公文教室、タンブル・トット、ダンス、水泳、ピアノ、鈴木式バイオリン、空手、陶芸など「良い先生がいる」と聞けばどこまででも子供を連れて行き、子供のスケジュールは毎日ギッシリと詰まっていたものです。もちろん学校も近所で評判の良かった有名私立に3歳から入学させました。

お金を払っている、という焦りから、子供を毎日のようにしごいていました。子供が泣こうが嫌がろうが「子供のため」という大義名分と、「子供の学力=自分の評価」という焦燥感が私をどこまでも頑張らせ、追い詰めたのです。

いくら教えてもできるようにならないと苛々して子供が憎たらしくなってきて、声を上げたり時には子供をぶってしまう事もありました。こうして、いつの間にか気が付いてみれば、あんなに「理不尽だ」と思っていた父と私は同じ事を子供にしていたのです。

ギーギー鳥の誕生

そんな私が「教育ママゴン」に飽きてしまう要因となったのが、次男の誕生です。次男は生まれつき気性の烈しい性格で、とにかく24時間、私の身体に張り付いていなければ凄まじい声でギーギーと泣き喚くので、私は寝不足と重労働でいつも疲れていたものでした。

もし次男が初めての子供だったら、自分の子育てが原因かと落ち込んだ事だろうと思いますが、素直で穏やかな長男を育てた経験から「これもこの子の個性」と受けとめる事ができました。

そんな次男は3歳になるかならずで読み書きに興味を持ち始め、私が教えもしないのに、長男から教えてもらったとかで、いつの間にかアルファベットを全部覚えてしまいました。「もしやこの子は天才なのでは?」と私が期待したのは言うまでもありません。が、

しかしその頃には末娘も誕生していたので、私は3人の子育てに追われ、次男の英才教育なんかやっているゆとりもなく、「ほっといてもできるみたいだから、ラクで良かったわ」という事で、次男の事は手抜きをしてしまいました。

私があれ程までに全身全霊を注ぎ、手塩にかけた長男は教えても教えても、ちっともできるようにはならず、私が何もしてやらなかった次男はちょっと教えただけでもドンドンできる。

確かに子供に手をかければそれなりの効果も出るので、「親の努力=子供の成績」という方程式がある程度は成り立つのも事実ですが、最終的には本人次第、親ができる事には限度があるものなのだ、という事をこの対照的な2人の子育てを通して痛感した私でした。


ワーキングマザーとなって

フランスに来てからはフランス語ができないので宿題をみてやる事もできないし、仕事にも復帰したので、今では子育ては放任状態となっています。

そんな私も時には「うちの子供達は、こんなんでいいんだろうか?」という焦燥感に襲われる事があり、「お母さんは仕事を辞めて、これからはあなた達の教育に専念するから」と突然、宣言する事があるのですが、私が「恐怖の教育ママゴン」だった時代を覚えている長男は顔面蒼白となり、「お母さん、せっかくだから仕事は続けた方がいいと思うよ。僕たちは大丈夫だから」と、私を説得にかかります。

「お母さんはあなたの年にはもっと勉強したわよ」と言えば、「そ〜。お母さんは苦労したんだねえ。」と私を慰めにかかる子供達。こんな呑気な子供達を見ていると、「フランス人達に混じって勉強しているんだから、落第さえしなきゃ、いいとするか。」と思えるようになってしまった私なのでした。


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子供の教育と私の成長  2) 滝つぼ体験談

子供の教育と私の成長 TB060

子供を育てていると、「あの頃の自分」を振り返り、「子供には自分よりもっと良い人生を送って欲しい」という欲も出て来るものです。子育てを通して私自身も成長し、変化していきました。 筆:滝つぼ

学歴偏重主義家庭

私の父は「東大に行かざる者は人ならず」という学歴偏重主義者だったので、私は「県で最高の高校そして国立大学に行けないようなら、生きる資格はなし」と言われて育ちました。私の成績が悪いと「子供が馬鹿なのはお前に似たからだ」と言って母を責める父への憎しみをエネルギー源にして「いつか父を見返してやりたい」という思いで必死に勉強した私です。

でもいくら頑張っても所詮、私が東大に入れるはずもなく、私は「父の失望」を浴びながら、滑り止めで受けた私大に入学し、そこでも悔しさをエネルギー源にしてESSに入部し、大学の4年間、徹底的に英語を勉強し、大活躍しましたが、それでも矢張り父には私を認めてもらう事はできませんでした。

いつしか私は学歴でしか人を判断する事ができない愚かな父を許す事ができるようになり、「そんなお父さんのささやかな夢を叶えてやる事ができなくて可愛そうな事をしたな」と父を気の毒にすら思えるようになりました。

呑気派の夫との出会い

当時は向上心と野心の塊で、リラックスしたり時間を無駄にする事に罪悪感すら感じられた私が「我が辞書に努力、忍耐、根性という文字はない」という呑気派の夫と知り合い、「人間こんな風にリラックスして生きてもいいんだ」という事を始めて知りました。

夫はイギリス人なので、夫とダラダラ過ごす時間も私にとっては英会話の時間であり、「自分の英語力が向上している」という安心感を持つ事ができたので、夫と一緒にリラックスする事も苦痛ではありませんでした。

いつしか私は「ゆとりを持った生き方」の素晴らしさを知り、自分に自信を持つ事によって、他人からの評価があまり気にならなくなって行きました。

教育ママゴン時代

ところが不思議なもので、自分で子供を持ってみると「子供をバイリンガルに育てたい、幼児の頃から脳に刺激を与えて英才教育をしないといけない」という焦燥感に苛まれ、私は「教育ママゴン」になってしまいました。

長男にやらせた習い事を数え上げればキリがありません。まだ幼児のうちから公文教室、タンブル・トット、ダンス、水泳、ピアノ、鈴木式バイオリン、空手、陶芸など「良い先生がいる」と聞けばどこまででも子供を連れて行き、子供のスケジュールは毎日ギッシリと詰まっていたものです。もちろん学校も近所で評判の良かった有名私立に3歳から入学させました。

お金を払っている、という焦りから、子供を毎日のようにしごいていました。子供が泣こうが嫌がろうが「子供のため」という大義名分と、「子供の学力=自分の評価」という焦燥感が私をどこまでも頑張らせ、追い詰めたのです。

いくら教えてもできるようにならないと苛々して子供が憎たらしくなってきて、声を上げたり時には子供をぶってしまう事もありました。こうして、いつの間にか気が付いてみれば、あんなに「理不尽だ」と思っていた父と私は同じ事を子供にしていたのです。

ギーギー鳥の誕生

そんな私が「教育ママゴン」に飽きてしまう要因となったのが、次男の誕生です。次男は生まれつき気性の烈しい性格で、とにかく24時間、私の身体に張り付いていなければ凄まじい声でギーギーと泣き喚くので、私は寝不足と重労働でいつも疲れていたものでした。

もし次男が初めての子供だったら、自分の子育てが原因かと落ち込んだ事だろうと思いますが、素直で穏やかな長男を育てた経験から「これもこの子の個性」と受けとめる事ができました。

そんな次男は3歳になるかならずで読み書きに興味を持ち始め、私が教えもしないのに、長男から教えてもらったとかで、いつの間にかアルファベットを全部覚えてしまいました。「もしやこの子は天才なのでは?」と私が期待したのは言うまでもありません。が、

しかしその頃には末娘も誕生していたので、私は3人の子育てに追われ、次男の英才教育なんかやっているゆとりもなく、「ほっといてもできるみたいだから、ラクで良かったわ」という事で、次男の事は手抜きをしてしまいました。

私があれ程までに全身全霊を注ぎ、手塩にかけた長男は教えても教えても、ちっともできるようにはならず、私が何もしてやらなかった次男はちょっと教えただけでもドンドンできる。

確かに子供に手をかければそれなりの効果も出るので、「親の努力=子供の成績」という方程式がある程度は成り立つのも事実ですが、最終的には本人次第、親ができる事には限度があるものなのだ、という事をこの対照的な2人の子育てを通して痛感した私でした。


ワーキングマザーとなって

フランスに来てからはフランス語ができないので宿題をみてやる事もできないし、仕事にも復帰したので、今では子育ては放任状態となっています。

そんな私も時には「うちの子供達は、こんなんでいいんだろうか?」という焦燥感に襲われる事があり、「お母さんは仕事を辞めて、これからはあなた達の教育に専念するから」と突然、宣言する事があるのですが、私が「恐怖の教育ママゴン」だった時代を覚えている長男は顔面蒼白となり、「お母さん、せっかくだから仕事は続けた方がいいと思うよ。僕たちは大丈夫だから」と、私を説得にかかります。

「お母さんはあなたの年にはもっと勉強したわよ」と言えば、「そ〜。お母さんは苦労したんだねえ。」と私を慰めにかかる子供達。こんな呑気な子供達を見ていると、「フランス人達に混じって勉強しているんだから、落第さえしなきゃ、いいとするか。」と思えるようになってしまった私なのでした。


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ビジネスと子育て  2) 滝つぼ体験談

ビジネスと子育て

下にやらせる忍耐


40代というとどこの会社でも部下と上司の両方の狭間に苦しむ中間管理職になる方が多くなる世代です。一匹狼でいる事が多かった私にとって一番難しい事は「下を育てる事」。特に私の場合、「自分でやった方が早い」という事で、人に頼まず、自分で仕事
を処理しちゃう、とい方法を選択する事がついつい多くなってしまいがち。

こういう方法を続けた場合、確かに目先の効率は良いですが、その代わり下が育たず、いつまでも自分がやならなければならない事になるわけです。先日、私はその事を上司から指摘され、「餃子作り」の事を思い出しました。

私の父は餃子が大好きだったので、私の家では毎週土曜日は餃子だったため、私は小さい頃から餃子を作る手伝いをしたものでした。小さい頃は上手にできなくて悔しい思いをし、お母さんみたいに早く上手に作れるようになりたいと、毎週頑張ったものでした。そして長年の努力の末、高校生になる頃には母より早く作れる程に上達しました。

同じように今では3人の子供達に手伝ってもらいながら餃子を作ります。本当は手伝ってもらわない方が早くできるので、急いでいる時などは「手伝う」と言われないようにそっと作業をするのですが、誰か一人が見つけると、僕も私もとゾロゾロ参加者が増え、ひとつ作る毎に「見て見て上手でしょう」と言う子供達の相手をしながらの作業
となり、倍時間がかかってしまいます。

とは言え、何年もやるうちに今では10歳の末娘ですら、小粒ながら同じ形で均一に上手に作れるようになって来て、重宝な人材に育ってくれました。恐らく母も「手伝ってくれない方が早く終わるんだよね〜」と心の中で思いながら、「上手、上手」と言って私が成長するのを辛抱強く待ってくれたのだろうと思います。


ビジネス と 子育て

私は29歳で一人目を出産し、39歳で仕事に復帰するまでの10年間、3人の子供達の子育てに追われながら専業主婦をしていました。ビジネスで飛躍的成長を遂げるであろう貴重な30代に私は家庭にどっぷりと埋もれていたのです。あの頃の私はそれが当たり前だと思っていたし、仕事に戻りたいと思ってもいなかったので、「こんなんで私は良いのだろうか」などという焦りを感じた事もありませんでした。

しかし今思えば、あの頃、自分のすべてを子育てに投入した経験が結果的には今、私がビジネスをして行く上でも様々な側面で非常に役立っていると私は思っています。特に「人材教育」という側面においては、子育ての法則に学ぶところは多大です。


やる気を育てる

社員教育で最も難しく重要な事は「やる気を育てる事」だと思います。下に対して厳しくし過ぎれば萎縮するし、おだて過ぎれば付け上がり、指示が細かいと自主性が失われ、放任すれば不正に走る。何事にも「行き過ぎ」が禁物で、上手にバランスを取る事が必要なのは、ビジネスも子育ても共通するところだと思います。

先日こんな事がありました。末娘が電話で突然「お母さんは小さい時、お兄ちゃんをぶったの?」と聞くのです。「どうして?」と尋ねると「お兄ちゃんは私にピアノを教えながら、私が間違うと、昔お母さんはお兄ちゃんの事をこうやってぶったから、と言って、私の事をぶつのよ」と言いました。

長男に電話を代わってもらい話しをしたところ、「お母さんは僕の事だけを厳しく育てたけど、下の二人には甘すぎるから、代わりに僕がしごいているんだ。」という事でした。そう言えば昔の私は大変厳しい母親で、長男の事は厳しく育てたのでした。それが2人目、3人目と続けざまに出産し、やがて仕事に復帰してからの子育ては殆ど放任状態。私のその変貌振りに「不公平」と長男が思うのも無理はありません。

今の私は子供達と一緒に過ごせる時間が限られているため、厳しくして嫌われるよりも、優しいお母さんでいたいので、嫌われ役はもっぱら子供達といつも一緒にいる夫に任せています。

「あなたのためを思ってきつい事を言う」というのが苦手な私は、もっぱら八方美人に徹し、いつもニコニコしているのですが、ビジネスをしていると時には必要に迫られて、きつい人にならなければならない事もあるものです。そんな時は突如として、昔の教育ママゴンに変身する私なのでした。

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皆様からのコメント&質問にお応えして  2) 滝つぼ体験談

皆様からのコメント&質問にお応えして  TB039

シリーズで掲載している「セミリンガルの恐怖」。皆様からの反響も多く、色々な方々からご意見、ご質問などを頂き、ありがとうございます。

今回は「セミリンガル・スペシャル」として、皆様からのご意見等にお応えする視点から書きたいと思います。 


「他人の体験談」は「他人の体験」
「セミリンガルの恐怖」では私自身が自分の子育ての体験を通して発見した事や考えた事を書いています。これはあくまでも私とうちの子供達の個人的な体験です。

私の失敗談を読んで、「うちの子は大丈夫かしら?」と振り返る機会を持つのも時には良い事かも知れません。が、心配のあまり、バイリンガル教育を諦めてしまう必要はないと思います。

子供の能力は個人差が大きく、兄弟でもまったく違いますし、また、何歳で来て、何年いて、何歳で帰るのか等によっても大きく左右されるので、様々なケースが存在します。

大切なのは、「バイリンガル教育というのはとても大変な事なのだ」という事を自覚した上で、親が常にアンテナを立て、子供の様子を把握しておく事だと思います。

くれぐれも「こうすれば誰でもバイリンガルになれる!」式の自慢話を鵜呑みにして、「じゃあ、うちの子も!」とその気にならないで下さい。

「インターナショナル・スクール」のブームに踊らされない
語学は「伝染病」ではないので「子供をインターナショナル・スクールに入れさえすれば簡単にバイリンガルになれる」と思うのはまったくの考え違いです。

これは「学齢並みの英語力を身につけさせる事」や「落ちて行く日本語力にどう対応して行くか」等、様々な問題を生む「苛酷な選択」である事を認識した上で選択すべき事だと思います。

また、世界各国から様々な国籍の子供達が混ざった環境の中、果たしてその学校では「正しい英語」が話されているのか、また、文化的にはどの国の影響を受け、最終的に子供は「なに人になるのか」という事まで考えた上で、学校を選択するべきだと思います。

子供の精神的な打撃は大きい
確かに語学は脳が柔軟な子供時代に身に付けさせた方が上達が早いのは確かですが、「言葉のわからない環境」にほうり込まれた経験が子供に与える精神的な打撃は想像以上に凄まじいものです。実際うちの長男も「あんな思いはもう二度としたくない」と言っています。

言葉ができない事が原因で苛められたり、仲間はずれになったりする事は「多かれ少なかれ必ず起こる事」と覚悟しておかなければなりません。

親は正しく判断できない
我が家のケースのように「子供の学校教育の言語」が「両親のどちらの母国語でもない」場合、親には「子供の語学力を正しく判断する能力が欠落している」わけですから、特に注意を払う必要があると思います。

親の目からはペラペラに見えても、思わぬ落とし穴があるものです。

マルチ・ナショナルな家庭では
国際結婚の中でも特に「夫婦の共通語」が「夫婦どちらの母国語でもない」場合、夫婦の両方ともが「外国語」を使って意思疎通をしなければならないのは大変な事だと思います。

語学力にもよりますが、「言葉が足らない事」による誤解や行き違いなどが生じる可能性も当然高くなるでしょうから、互いに歩み寄る努力が普通以上に必要になると思います。

ただ、いかなる場合であったとしても、「子供が親に自分の複雑な心境を話す時の言語」だけは、必ず確保しておくべきだと思います。

ポイントは「混ぜない事」と「日本語を磨く事」
「言葉がチャンポンになる現象」は外国語習得の過程において必ず誰もが経験する事だと思います。

これは「言葉が稚拙な段階」の方が多く起こり、語学力が上がるにつれ、脳の中で引き出しが次第に分かれて来るので、各言語の切り替えがきちんとできるようになってきます。

「そういう状態に早くなる」ためには「言語を混ぜない事」です。私も一時はチャンポンになりましたが、今は英語を使っている時は英語だけで考えているので、頭の中で「翻訳」というプロセスは踏みません。

また、これは疎かにされがちですが、「落ちて行く自分の日本語を磨く事」も極めて重要です。「日本語(もしくは母国語)力を向上させる事が、外国語を上達させるコツである」と私は思います。

「長所」と「短所」の両方を知る
語学習得は大変だからこそ、「子供をバイリンガルに育ててあげたい」というのは誰もが思う親心。しかし、それは想像以上に苛酷な道であり、弊害の大きい道でもあります。

ただ、何事もそうですが、物事には必ず長所と短所があるものです。長所だけに目を向けて有頂天になったり、逆に短所だけに目を向けて悲観したりせず、両方の側面を正しく把握した上で、「自分や家族にとって最良の方法」を選択して行けば良いのではないでしょうか。

そして「最終的に目指すべき事」は「子供が幸せな人生を送る事」であった事を親が忘れてしまわないようにして欲しいと思います。


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子供に英語で話しかける勇気  2) 滝つぼ体験談

子供に英語で話しかける勇気 TB055

私の夫はイギリス人で、うちの子供は現在3歳半ですが、我が家では英語を子供の母国語と決め、私は英語で子供に話しかけています。

かつて大学の教育心理学の授業で、「バイリンガルは知能指数が劣る」というショッキングな事を聞き、それまでのバイリンガルに対する認識を覆された思いがしました。それは、「人間は考える時に言葉を使って考えるが、二つの言語を同時に発達させようとすると、その発達がどちらも浅くなり、深く複雑な内容を考えられない」というような内容だったと思います。

ところが、英国へ来て周りを見渡すと、母親または両親ともが日本人なのに日本語が話せない子供が大勢いて、独身だった私はどうしてそうなってしまうのか、まったく理解ができませんでした。自然と私の頭の中には「日本語で育てている人はいいお母さん、子供が英語しか喋れないのは、お母さんが怠けているから」という方程式が自然と成り立ってしまいました。

やがて私も母となり、我が子に日本語で話しかけていたのですが、出産ギリギリまで働いていた事や日本人があまり多く住んでいない地域だった事、その上、車の運転ができなかった事などから、私は子供がさい1歳以上になるまで、日本人のお友達を一人も見つける事ができませんでした。

子供を通す友達はすべてがイギリス人。英会話だけではく、英語の童謡や手遊び歌など、何も知らなかった私は必死で勉強しました。私の母も、初めての孫で気も回らなかったと見え、日本語の絵本やビデオなど一切送ってくれなかったので、すべての環境が英語なう絵、私は身体を壊し、住み込みのお手伝いさんや夫の姪が同居したりもし、いつしか家庭内の殆どの会話が英語一色となっていました。

このままではまったく日本語から離れてしまうと焦った私は、日本人のお友達作りに精を出し、公文の幼児教室に連れて行ったり、日本語の童謡やビデオ、本の読み聞かせなどを必死にやるうちに、子供も少しは日本語がわかるようになりました。

しかし、やれやれと思ったのも束の間。やがてナーサリー(幼稚園)に行くようになったりすると、今度は他の子供との英語面の発達が歴然としてきました。つまり長男は2つの言語が混ざり、頭の中で混乱してしまったのです。2歳半にして他人とのコニュニケーションの手段を持たない我が子は、自分の思う事がうまく表現できずに苛々したり、突然泣いたりするようになってきました。そして、赤ちゃんの頃から仲の良かった近所の子供に「この子の言っている事がわからないから、もう遊びたくない」と言われた時、「何とかしなければ」と思ったのです。

「子供がバイリンガルになる事は好ましい事かも知れない。でも、今この子にとって、b日本語ができるようになる事が、どれだけ重要なことだろう。それよりも何も言語を持たない弊害の方が余程大きいのではないだろうか。結局私は、自分がいいお母さんという評価を受けたかっただけなのではないだろうか」と気が付いたとき、この子の母国語を英語にしようと決心し、その日から英語だけで話しをする事にしました。

英語に絞ってからは、めきめきと英語が上達し、施行回路がすっきりしたと見え、精神的にも安定してきました。そして、英語に絞った事によって、日本語と英語の区別がはっきりし、かえって日本語も上達するという結果となりました。

私にとって勇気のいる決断でしたが、英語に絞って良かったと思っています。ただ、この事に対して世間の風当たりは想像以上に強く、義姉や近所の人、通りすがりの他人まで、「日本語を教えないとダメだ。後でやっても手遅れになる」と私に説教をするのです。母親の私がそばで見て、今のこのこに一番必要なことと判断しているのに、まったく余計なお世話で私は何度も非常に不愉快な思いをしたものでした。

ただ、私も現在、英語で話しかけているからと言って、日本語をまったく諦めてしまったわけでもなく、子供にとって一番得意な外国語として、さりげなく生活に取り入れて教育しています。

子供の素質や年齢、生活環境、何年こちらに住むのかといった事などで、日本語と英語の教育方針は各家庭で異なると思います。なかなか難しいことですが、世間の目や見栄などに囚われず、その時点でその子に一番適したことを実行する勇気を親が持つ事が、本当の意味での愛情なのではないだろうかと、つくづく思う、今日この頃の私です。


子供はまだ長男一人だけで、イギリスに住んでいた頃の私のエッセイです。(現在長男は16歳)

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