16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2019/1/11
1月も仕事が始まり、十日戎も終わると
お正月がもう随分前のことのよう。
また家事に仕事に猫にとバタバタの日常。
一日、一日をこなすのが精いっぱい。
年末年始の食べ過ぎで疲れた胃腸と
寒さでガチガチになった体を抱えながら。
今年続けてみたいと思っているのが
マインドフルネス瞑想とストレッチ。
筋トレはカーブスでお茶を濁すとして
多少なりとも、心や体の不調を
自分でコントロール出来ればと。
数年前から時々はやっていたけれど
毎日のようにやった方がいいみたい。
(この動画もそのひとつ)
マインドフルネスは去年くらいから
色んな人に色んな場面で勧められました。
日本人にも外国人にも、男性にも女性にも。
まるでシンクロニシティのように続くから
これはやれっていうことだな、と感じて。
効果を実感できるかどうか分からないけど
まずは続けるよう努力してみます。

9
2018/12/28
早いもので今年ももう間もなく大晦日。
今年は頑張った1年だったというよりは
どうにかここまで来させて頂いた1年。
いろんな方の助けや出会いに支えられて
「やっとたどり着いた」感がいっぱい。
若いころは若気の至りと自信過剰で
自力で切り抜けてきたつもりでいたけど
それは単に周囲が見えていなかっただけ。
見えないところ、気づかないところで
今思えばどれだけ支えられてきたか。
「運が良かった!」と思うようなことも
実は誰かが裏で取り計らってくれたり
気を配ってくれたおかげだったりする。
それを気づきもせずに自分の運の良さを
自慢げに話してきたりしなかったかしら。
年齢とともに肉眼は衰えていくけれど
逆にこうして今まで見えなかったものが
見えたり、気づいたりし始める。
だから、ありふれた陳腐な言葉だけれど
今後ますます「謙虚さ」と「感謝」が
わたしの大切なテーマになりそうです。
そして皆さんもどうぞ良いお年を!

7
2016/9/19
この頃、ふと思うことがあって。
それは自分が思うほどに
自分は弱くないのじゃないかということ。
そして自分が思う以上に
多くの人々に支えられてきたことを
忘れすぎかもしれないということ。
例えば、わたしの左手の手首のあたりには
3歳の時にアイロンでやけどをした、
ダイヤ形にひきつれたやけどの痕がある。
かなり目立つところにあるのに、
一度もそのことでいじめられたことがない。
私自身がまったく気にすることなく、
隠しもしなかったせいもあるだろうけど
これまで出会った人々が優しかった。
子どもの頃は、残酷なものだから、
「気持ち悪い」と言われても仕方ないのに
思えば、誰一人、ただの一度も。
おかげでこのやけどの痕を
コンプレックスに思うことなく大人になれた。

(こんなお食事も余裕で完食)
それにわたしは小さい時から体が弱く、
今でも冷えればすぐ体調を崩すし、
体力もないので、無理はきかない。
20代、30代の頃は病院との縁が切れず
入院や手術も何度も経験したけど、
気がつけば、ここ10年くらいは
大きな病気も、入院もしていない。
普段は「体力のなさ」に気をとられ、
「どうにかこうにか元気」位に思っていたけど
同年代の知人・友人がつぎつぎと
大きな病気を経験したりしているのを聞くと
ひょっとしたら私は元気なのかも、と。
これまで自分の体力をずっと否定してきたけど
わたしは自分の体をもっと信じていいし、
自分の体力にもっと自信を持つべきかも。
病弱だったわたしが、この年まで
仕事をずっと続けてこれただけでも、
小さな小さな「奇跡」に等しいこと。
そして自分が優しい人々に囲まれてきたことを
あたり前ではなく、もっと「ありえないこと」、
「あり難いこと」と感謝しなくては。
ここに今のわたしが存在していられるのは
自分が強かったとか、運が良かったではなく、
たくさんの人々に支えられていたから。
これもまた、小さな「奇跡」にちがいない。
そんな当たり前で、大切なことを
日常に流され、忘れてしまうから、
グチったり、文句が出たりするのかも。
誰にでもあるそんな小さな奇跡を
これからはもっと大切にしなければ。

4
2016/9/7
85歳の
ナディア・ステアさんという女性の
すてきな詩を見つけました。
いろんな日本語が出回っているけれど
あまりにも多くのバージョンがあるので
原文から私が訳したものをご紹介。
「人生をもう一度やり直すとしたら、
今度はもっとたくさんの失敗をしよう。
肩の力を抜いて、のびやかに生きよう。
今よりももっと馬鹿げた人になって、
あまり深刻にならないで、
そしてチャンスを逃したりしないで。
もっとアイスクリームを食べ、
体にいい豆類はそこそこにして。
現実的な問題は増えるかもしれないけど、
頭の中の問題は減るはず。
私はこれまで常に良識ある人生を
あまりにもまともに生き過ぎたから。
(後略)」

(みみにゃんは「面白い人生」の良いお手本)
私はまだ85歳までには時間があるけど
なんだか身に染みてしまった。
小さな失敗はいっぱいあるけど
大失敗する勇気はなかったから。
小さなバカはいっぱいしてるけど
大ばか者になる勇気はなかったから。
いつか寿命が来て、この世を去る時に、
「ああ、どうにか無難に生きたなあ」より
「失敗だらけだったけど面白かったなあ」
そう思えたほうが、やっぱり幸せな気がして。
これから一度は「大ばか者」になって
ちっちゃな自分の殻を飛び出して
「大失敗」というものもしてみたいかも。
そうすると何だか面白い人生が
待っているような気がするから。

3
2016/7/2
「親や上司や教師がそばにいず、
社会というものもないとしたら、
あなたはなにをするだろうか?
自分以外のすべてのものをはぎとったら、
なにが残るだろうか?
そこに残るもの、
それがほんとうのあなただ。」
エリザベス・キューブラー・ロス博士の
「ライフレッスン」という本で見つけた一文。
考えたら当たり前のことなんだけど
ものすごい説得力があって、衝撃的。
家族も、友人も、仕事も、家もはぎとり、
「XX会社の○○」でも「XXの奥さん」でも
「XXをしている○○」でもなくなった時、
どんな自分が残るのだろう。

(確かにみみにゃんは何も持たないけれど幸せそう)
またロス博士はこうも言う。
「たいがいの人は幸福というものを、
ある出来事に対する反応として考えているが、
実際の幸福とはこころの状態のことであり、
周囲で起こることとは殆ど関係がない。」
「あなたが幸福であれば、
苦しんでいる人たちに
より多くのものを与えることができる。
充足していれば、
欲求や欠如から生まれる行動はしなくなる。
自分の時間を、自分自身を、
自分のお金を、自分の幸福を
誰かと分かちあえるようになる。」
「じつは、幸福な人は自己中心主義から
いちばん遠いところにいる人である。
幸福な人は不幸な人より親切であり、
愛と許しの力をもち、
しばしばボランティアなどで他者に奉仕している。
不幸な人は利己的な行動に走りやすいが、
幸福な人は自然に
利他的な行動をとるようになる。」
何もかもをはぎとった後、残るものが
「幸福で満ち足りたわたし」となれるよう、
自分を見つめ直してみたくなる本でした。

3
2013/12/17
こう見えても(見えないか)実はわたし、
意外に後で後悔したり、悩んだりするたち。
立ち直りも早いけど、落ち込むのも早い、
典型的な、B型気質というやつ。
それが「奇跡の脳」によれば
何かが起こった時に脳が反応して
怒りやよろこび、ショックなどを起こす
化学物質を無条件に放出するのは
わずか90秒間だけのことだとか。
その後の感情は、脳の反応ではなく
意図的に選んでいるものらしい。
つまりものすごく気分悪いことがあっても
脳が怒りの反応をみせるのは90秒だけで
その後は、好きで怒っているということ。
好きこのんで、怒ったり、ムカついたり、
精神衛生上悪いことをしていたなんて、
なんだか、バカバカしく思えてしまって。
とっさにムカッときたり、腹が立つのは
悟りとは程遠い人間だからしかたない。
でも最初の90秒の嵐が去ったら、
そのネガティブな感情がそれ以上
自分の中に留まらない選択をしたいな。
簡単ではないけれど、諦めずに努力すれば
いつか本当に感情を選べるようになるかも。

3
2013/12/2
先日、週末の2日間を利用して
心理カウンセラー養成講座を受講。
カウンセラーを目指す訳ではないけど
以前から何となく興味があったから。
9時から17時までの2日間の集中講座。
すごく面白くて勉強になりました。
中でも一番わたしの心に残ったのは、
答えは本人の中にしかないってこと。
そして、人は自分で気付かない限り
決して変わらないっていうこと。
だからカウンセラーがすることは、
相談者に答えを与えることのではなく
相談者、自らの気付きをうながして、
本人が持ってる答えを導きだす手助けだけ。
そう思うと、わたしはこれまで
いいカウンセラーじゃなかったなあ。
友人から相談された時にいつも
自分の意見を言うばかりで。
「大人とは、一人荒野にたたずんでも
生きていける人である」という
アルバート・エリスの言葉も心に響く。
あらゆるものに依存することなく
生きていけるのが、大人なのだとか。
それが愛するものや仕事、健康であっても。
私の心には失うことの恐れが常にあるから
これはひどく厳しい言葉なのだけれど
いつか、大切なものをなくした時に
わたしを支えてくれる言葉になる気がして。
大人であることは大変なことだけど
でも大人なら誰でもそうする力があると
励ましてくれている言葉のような気もして。

3
2013/11/7
この週末に実家に帰った際、
母に促されてアルバムを整理。
就職する前までのアルバムが
まだ全部実家に残されていて。
分厚いアルバムのままでは
持って帰るのも大変だから
必要なものだけ一枚ずつはがして
薄いプラスチックのアルバムに入れ替え。
大変だけど、楽しい作業でした。

(姉から届いた、大きな柿)
ほとんど忘れていた時間や景色、
出会った人々や、訪れた場所が
写真1枚1枚で、よみがえる。
忘れていた、しあわせな時間が
ページの間にひっそりと残っていて。
どれも大切でいとおしい時間を
まだ全部ではないけれど
こちらに連れて帰ってきました。
と同時に、その写真の中にいた、
無邪気で一生懸命なわたしも
少し私の中に戻ってきたみたい。
「お帰り」忘れていた、わたし。

1
2013/9/10
以前「
脱・断捨離」なんて書いたけど
相変わらず捨てるのは下手なまま。
この夏も首がよれてきたTシャツを
いつ捨てようかと迷い続けて
今まで持ち越してしまったくらい。

(前から見るとこんな絵柄)
このTシャツは友人Oさんからかなり昔に
(十年?十二年?もっと前かも)
ハワイ土産か何かでもらったもの。
本人も覚えてないかもしれないけれど
気に入って大切に着ているうちに
こんなに年月が経ってしまって。

(背中の絵柄はこんな感じ)
夏の終わりにいよいよ別れを決意して
記念に写真に残すことにしました。
裏に猫の後ろ姿が並んでいるところが
わたしの何よりのお気に入りでした。
長い間ありがとう。お世話になりました。

2
2013/6/24
ほめられるのは、性格であれ、
見た目であれ、うれしいものだけど
先日、生まれて初めてほめられたのが
な、なんと、耳のかたち。
自分ではアップで見たことがないし
髪で隠れていることも多いから
自覚したことも、言われたことも
一度もなかったのだけれど。
「きれいな耳のかたちね〜」と言われ、
「そ、そこ?」と思いながらも
それなりにうれしいのが、乙女心。
自分では見たことない、と言ったら
わざわざ写真に撮って見せてくれて。
確かにこじんまりして素直なかたち。
ネットで公開するほどではないにしても。
人は誰でも自慢できる体のパーツが
1つや2つはあるものだなあ。
今まで年齢が出やすいと言われる首に
シワもスジもないと褒められた事はあるけど
これからは、「自慢は?」と聞かれたら
「耳のかたち」と答えることにしよう。

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