16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2021/1/25
兵庫県にも緊急事態宣言が出て
在宅勤務はまだまだ続きそう。
ジョギング行って、仕事して、
買い物行って、ジム行って。
日々を淡々と繰り返す一方で
時々あふれそうになる寂しさ。
胸が締め付けられるような切なさ。

(前はよくひなたぼっこしてた、みいみ)
あんなに愛していたみいみを
私なりに精いっぱい愛し尽くして
丁寧にお返しできたのだから
後悔することはない筈なのに。
最期の時のつらさ、苦しさから
みいみはすべて解放されて
もう苦しんでいないのだから
胸を痛めることはない筈なのに。
それでもこんなにも胸が痛い。
2ヶ月経っても、胸が寂しい。
今はまだ平気なふりをして
日々を過ごすのが精いっぱい。
ああもう、私はなんて情けない。
いつまでも情けないままで、
グダグダ、べそべそしてるけど
でも、それほど愛せたことを
宝物のような年月があったことを
忘れることだけはしまいと思う。

8
2020/12/29
今年は今日が仕事納め。
最後の最後までバタバタだったけど
どうにか無理やり幕を下ろしました。
残りは年明けに持ち越すことにして。
今年は世界も大変だったけど
私には大切なものを失った年。
随分号泣発作は収まってきたけど
最期の日のことを思い出すと
胸が苦しくなってつらくなる。
でも、そんな時に思い出すのは、
みいみが長くないと覚悟した頃に読んだ
「猫とさいごの日まで幸せに暮らす本」の
表紙の帯に記してあったこの言葉。
この言葉、本当にそのとおりだと思う。
最期を看取れない哀しみに比べたら
最期を看取れたことは、確かに幸せ。
最期をちゃんと看取ってやれたことで
みいみと暮らしたこの上ない幸せを、
ちゃんと完結させられたに違いない。
みいみへの尽きることのない愛を
ちゃんと全うさせられたに違いない。
それはとても哀しいし、寂しいけど、
同時にとても幸せなことだということを
自分に何度も何度も言い聞かせてる。
そしてこの言葉をしっかり胸に抱いて、
2020年を静かに終えたいと思います。

14
2020/12/22
先日、みいみの四十九日も過ぎ、
いつの間にか年の瀬が押し迫って
私もあと1週間程で仕事納め。
心にぽっかり空いた穴を抱えたまま
朝はジョギング、日中は仕事と
表面的には日常生活が戻っています。
今年は帰省も自粛することになり、
いつにもまして静かな年末年始。
どんな年越しになるのか、
自分でも想像がつかなくて。
これまではみいみがいたから、
年末年始と言えどいつものリズム。
何時に寝ようと、外出しようと、
朝は6時半に起きてインシュリン。
夜も6時半にはインシュリン。
私には海のような存在だったな。
いつも変わることなくそこにいて、
一定のリズムで寄せては返す、
波のような、大いなる恒常性。
大自然に繋がる恒常性そのもの。
それは私を縛りもしたけど
それ以上に支えもしてくれた。
変わることのない恒常性が
ともすれば揺らぎ、崩れそうな
精神と生活を安定させていた。
でもそれを失った、今。
みいみのいない「自由」は寂しく
自分の軸をどこに置いていいのか
それすらも分からないでいるけど
年末年始は少しずつ手探りしながら
自分を立て直す時間となりそうです。

14
2020/12/14
みいみの体調が悪くなってから
ほぼ毎朝のスロージョギングは
私にとってはお百度参りだった。
わたしが苦しい思いをするぶん、
みいみの食欲が戻りますよう、
少しでも元気になりますよう、
苦しい思いをしませんよう、
そんな願いをこめてのプチ苦行。
助けてやれないと分かっても
みいみのために何かしたくて。
何か出来ると思いたくて。
ジョギングしたことないくせに。
文科系の虚弱体質のくせに。
ウォーキングの人に抜かされるような
スピードでしか走れないくせに。
みいみが天に召された今も
相変わらず走っているのは、
多少でも供養になると思いたくて。
あの子のためにまだ何か私に
出来ることがあると思いたくて。
水ごりするほどの体力はないけど、
走ることくらいなら、私にだって。
私にとっては、今も祈りと同じこと。
寒くても、しんどくても走りますから
どうかどうか、あの世でみいみが
痛み、苦しみから解放されて、
光と温もりに包まれていますように。
みいみの四十九日は、もうすぐ。

12
2020/12/5
みいみが逝ってしまってから
思い立ってTwitterを始めました。
猫とペットロス専門のアカウント。
行き場のない思いの行き場を探し、
悲しみや苦しみ、耐え難い寂しさを
吐露し、誰かと分かち合いたくて。
そこには私と同じ思いの人ばかり。
同じ悲しみの中にひたることでしか
悲しみが癒されない時期が続いて。
でもそこにはそれだけじゃなく、
私がみいみと暮らした16年半の
すべての瞬間もありました。
新たな子を迎え入れてはしゃぐ人、
可愛い子との幸せな日々を語る人、
病気が分かってショックを受ける人、
闘病中で必死に頑張っている人、
亡くなったばかりで涙にくれる人。
どれもみんな、昨日までのわたし。
心身に負担をかけてでも治療をすべきか、
家で無理なく旅立たせてやるべきか、
食べなくなった子に強制給餌すべきか、
嫌がることはやめて、寿命と思うべきか。
Twitter上にもあふれる苦しい問い。
でもきっと正解なんてものはなくて、
大切なのは、自分の執着からではなく
心からの愛から出した結論かどうか。
みいみが旅立って五七日が経ったけど、
みいみが今、苦しみから解放されて、
あの世で楽で幸せでいるのならば、
私が寂しいくらい、どうだっていい。
私が悲しいくらい、どうだっていい。
やっとそう思えるようになってきました。

13
2020/11/28
もう4週間が経ったというのに
日常から色彩と輝きが失われて
私はどっぷりと、ペットロス。
さみしさに耐えかねて、
涙がこぼれることも、しばしば。
うちに来て幸せだったかしら。
わたしは十分に愛せたかしら。
そればかりを何度も何度も
心の中で問いかけている。
痛みや苦しみから解放されて
天に帰って行った、みいみ。
立派にお役目を果たして
私にたくさんの愛と幸せを
届けてくれた、みいみ。
今ごろどうか神様からいっぱい
褒めてもらっていますように。
そして私との時間を幸せだったと
思ってくれていますように。

14
2020/11/15
ふと気が付けば最期の日々ばかりを
思い出しては涙ぐんでしまうから
意識して、元気だった頃のみいみを
思い出すように努力してる。
つらい思い出はほんの数か月だけど
幸せな思い出は16年分もあったから。
ジャンプ一発で調理台に乗ったこと。
私が読んでいる本の上に座り込んで
邪魔をするのが好きだったこと。
なかなか起きない私を起こそうと
顔や髪の毛を踏んづけたり
胸の上に飛び乗ってきたりしたこと。
この季節はひなたぼっこが大好きで、
いつもひだまりの床に転がってたこと。
わたしがテレビを見てるといつも
ブラウン管の上に乗っていたこと。
抱っこすると胸にしがみついてきて、
ゴロゴロ喉を鳴らしていたこと。
そう、みいみと過ごした年月は
楽しくて幸せなことが殆どだった。
みいみを思い出すときには
最期の弱々しいつらい姿ではなく
元気な姿を思い出してやらなきゃ。
くりくりのまん丸なおめめと
鮮やかなピンク色のおはな。
あずき色のむにゅむにゅの肉球と
おひさまの匂いの柔らかな被毛。
今はきっとその姿に戻って
走り回ってるに違いないから。

15
2020/11/13
これまで朝ジョギングに行く前に
欠かさず近所の神社でしていた願掛け。
「みいみが最期に苦しむことなく、
穏やかに安らかに旅立てますように。
そして私が看取ってやれますように。」
願いは両方とも叶えて頂けました。
でも叶えてくれたのは、私の思いを察した
みいみ自身だったのかもと思えてきて。
今はたまたま在宅勤務だからいいけど
通常勤務に戻ったら、と心配だった。
留守中はオムツも替えてやれないし、
発作になっても何もしてやれない。
ましてや最期の時を迎えたら・・・と
みいみの世話をしながらも心の中は
心配で不安で、押し潰されそうだった。

(動物病院や同僚からも頂いたお花)
その他にも、今はどうにかなるけど、
この先どうなるか心配なことが幾つも。
みいみは、それをみんな察して
私の不安や心配を全部一人で抱えて
わたしに一番いいタイミングで
旅立つことを選んだ気がしてきて。
私がみいみを溺愛してるつもりだったけど
より深い愛で愛してくれていたのは
みいみの方だったのかもしれない。
そう思ったら、悲しみの涙ではなく
感謝と愛からの涙が、ぽろぽろ。
みいみ、みいみ、みいみ、みいみ。
お前の「死」に手のひらで触れた時
貴くて美しい「いのち」そのものに
この手で触れたような気がしたよ。
「いのち」は「愛」そのものだね。
おまえの最期の最期の瞬間を
私に看取らせてくれてありがとう。
つらく悲しい経験だったけど
それでもこの私の手のひらの中で
旅だって行ってくれて、ありがとう。

16
2020/11/6
もうというかやっと1週間が経ち、
少しずつ取り戻しつつある日常。
朝ジョギングしたり、家事をしたり、
でもまだ号泣発作は収まらない。
家のかしこに残るみいみの痕跡に
ふいに嗚咽がこみ上げてしまう。
ジョギング中も思い出しては
目深にかぶった帽子に隠れて
泣いていることも、しばしば。
特につらいのは、朝目覚めたとき。
これまでは寝室のドアを開けると
みいみが、にゃーんって鳴くから、
オムツを替え、お薬を飲ませ、
昨夜の残りのフードボウルを洗い、
新たな流動食を入れて舐めさせ、
インシュリン注射を打って、
台所の蛇口からしか飲まない水を
みいみの頭を支えながら飲ませてた。
ぽっかり空いたその時間がそのまま
心の中の穴になって私を打ちのめす。
同じ時間に目は覚めてしまうのに。
みいみの具合が悪くなって以降、
私も食欲がなくなり、お腹もこわし、
夜も眠れなくなっていた上に、
みいみが息を引き取ってからは、
なぜかひどい寝違えと頭痛にもなり
一時は薬漬けになっていたけれど、
そんな体も少しずつ少しずつ回復。
早朝覚醒だけは時間がかかりそう。
みいみが心配するといけないから
嘆き悲しむのもいいかげんにしようと
みいみが元気なころの写真を何枚か、
部屋のあちこちに飾ってみました。
もう二度とあの柔らかな温もりを
抱っこすることは出来なくなったけど
みいみは今も、そしてこれからも、
私の心の中の一番やわらかなところに
そっとそっと息づいていることを
思い出すための、よすがとして。

19
2020/11/2
前回のブログをアップした翌日、
みいみは静かに旅立っていきました。
前日から急に足腰が立たなくなり、
それでも流動食をなめてくれたのに。
まだ1-2ヶ月は大丈夫だと思ったのに。
いつもは北側の部屋で寝てるのだけど
その日は目の届くところにいてほしくて
日の当たるリビングにベッドを置いて
仕事の合間合間に様子を見ていました。
正午頃、呼吸が急に乱れ始め、
異変を感じた私は、傍らにすわって
そっと撫でて、声をかけ続けていたら
次第に呼吸の間が飛ぶようになり、
やがてそのまま息を引き取りました。
穏やかで、静かな最後でした。
みいみは、うちに来て幸せだったかな。
みいみは、うちに来て楽しかったかな。
最後の30分間、ありがとう、大好きだよ、
いい子だったよ、よく頑張ったね、って
思いつく限りの言葉をかけ続けたけど
みいみにはちゃんと聞こえていたかな。

(眠るように旅立っていきました)
その夜は一晩、みいみの隣で眠り、
翌日、雲一つない美しい秋の朝に、
みいみは旅立っていきました。
いっぱいのお花に囲まれたみいみは
涙が出るくらい、可愛らしかった。
うちに来てから、16年と半年。
1歳ちょっとで尿路結石症になり、
12歳の秋には糖尿病になり、
15歳で鼻腔リンパ腫が発覚し、
16歳8ヶ月よく頑張ってくれました。
挨拶に行った時、担当の獣医さんも
「この子は本当に大変な子だったけど
この子のように手がかかった子ほど、
いなくなると寂しくてたまらないと
みなさん、おっしゃいますよ。」と。
確かに手はかかったかもしれないけど、
だからと言ってこの子の可愛らしさは
たとえ1mgだって減りはしなかったし、
この子が面倒だなんて思ったことは
誓って、ただの1秒だってなかった。
そのくらい、みいみはいい子だったし、
愛らしかったし、いっぱい癒してくれたし、
私の大切な大切なたからものだった。

(在りし日の、温かくて柔らかなみいみ)
雪が舞うような寒い冬の日も
みいみがいる部屋は温かく感じたし
疲れて帰る暗い夜道での足取りも
みいみが待ってると思うと軽やかになった。
みいみの寝顔を見れば嫌なことも忘れたし
みいみを抱っこすれば、心が温かくなった。
みいみを抱いて眠る冬のお布団の中は
心が愛で満たされる至福のひとときだった。
そのかけがえないみいみが、もういない。
このマンションに引っ越してきてすぐ
みいみをうちの子として迎え入れたから、
みいみのいない部屋に住むのは初めて。
朝起きても、みいみがにゃーんて鳴かない。
ただいまって帰ってきてもお迎えに来ない。
ご飯の時間になっても、せがみに来ない。
みいみって呼んでも返事をしてくれない。
この身を切るような淋しさ、悲しさ。
どれだけ泣いたら、涙って尽きるんだろう。
今はまだ嵐のような悲しみに翻弄されて
転覆しそうな、情けないわたしだけど、
家族や友達の温かな言葉に支えられ、
やがて時間が、この悲しみを穏やかで
美しいものに変えてくれると信じよう。
姿は見えなくなったけど、まだどこかに
みいみが遊びに来てくれると信じよう。
まだまだ泣いてしまうけど、それでも。

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