16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2021/6/18
近頃しみじみと思うことがある。
姉妹がいて良かったということ。
一人っ子だったらわたしは
到底抱えることが出来ないだろう。
友だちの中には一人っ子で
家のこと全部背負ってたり、
兄弟がいてもすべて一人で
背負ってるつわものもいるけど。
もっと自分は強いつもりでいたし
覚悟する時はするつもりだったけど
いざとなると情けないほど、だめ。
嫌になっちゃうくらい、てんでだめ。
ああもう、しっかりしろ、わたし。
神さまはそうなることを見越して
頼もしい姉と面倒見のいい妹を
情けないわたしに授けてくれた、
そんな気がしてならないのです。

14
2021/4/14
夢の中にほんの少しだけだけど
みいみが出てきてくれて
撫でた感触が手のひらに残る。
ああ、この感触をどれほど
私は恋しく思ったことだろう。
みいみはきっと私を慰めに
出てきてくれたに違いない。
家族に大変なことがあって
私もショックを受けていたから。
心をしっかり立て直して
悔いのないように備えなきゃ。
出来ることが何なのかを
自分でしっかり見極めなきゃ。
しかし、如何せん大阪・兵庫の
あまりに深刻な感染拡大。
ただでさえ近くない距離を
更に隔てる大きな壁を前に
どうするのが一番いいのか迷う。
お父さん、お願い力を貸して。
みいみ、お願い私のそばにいて。
これから家族と力を合わせて
立ち向かわないといけないから。

11
2020/7/28
間もなく父の命日なので
コロナ禍で不安はあったものの
お墓参りのため帰省しました。
姉があれこれと準備してくれて
母と三姉妹全員が集まって。
賑やかなのが好きだった父が
喜びそうな賑やかなお墓参り。

(近所のカフェからの広々した眺め)
関西でも感染者は順調に増え続け、
お盆には帰省できなさそうだけど
命日だけでも行けて良かった。
今年はこうしたいろいろなことが
当たり前に出来ない状況だけど
手探りしながら、迷いながら。
父のおかげで前よりもっと
強くなった家族の結びつき。
それは、父に一番感謝してること。
父のことだから、私たちのすぐ傍で
得意そうにしてたに違いありません。

16
2019/7/17
先頃、無事に父の三回忌を終えました。
田舎の実家で、部屋を三間ぶちぬいて、
お坊さんや親戚に来てもらうような
昔ながらの法要だから、いろいろ大変。
わたしは相変わらず役には立たず、
ひたすら茶坊主とパシリを務めました。

<精進落としの涼やかなお刺身>
最近では、通夜や告別式など
宗教行事を行わない「直葬」や
お骨すら拾わない「ゼロ葬」もあり
日本人の死生観が大きく揺らいでいる。
人の死を即物的にとらえるか、
それ以上のものととらえるか、
一人一人が選び取る時代のよう。

<鮎の塩焼きも頂きました>
死後の命や死後の世界があるかどうか
それは死んでみないと分からないけど
もしあるなら供養していれば安心だし
なくても「ちっ、余計なことした」と
悔しがる意識すらなくなるから損はない。
何より葬礼を大切に思う母が安心するし
親族が集うのも大切な喪の作業。
それだけでも十分意味あることかもと
わたしには思えた三回忌でした。

11
2019/3/21
お彼岸なので、昨日は休みを取り
実家のお墓参りに行ってきました。
つい数日前には雪も降ったらしいけど
昨日は陽射しがポカポカと暖かく、
梅や菜の花、水仙や雪ヤナギが咲いて
山も和らいだ表情を見せていました。
たまたま水曜休みの姉夫婦も合流し、
お参り前に田畑のど真ん中のカフェへ
ランチに連れて行ってくれました。
まずは野菜とキルシュがおいしい前菜。
義兄と私は1日10食限定のハンバーグ。
グリルした輪切り玉ねぎの上に乗っかって
ボリュームいっぱい、肉汁じゅーじゅー。
お墓参りに行くというのにお腹いっぱい。
母と姉はとろっとろたまごのオムライス。
わたしはすっかり忘れていたんだけど
父はオムライスが大好きだったらしい。
お酒飲んだ後はよく食べてたんだって。
父もきっと喜んでるねと笑いながら
和やかに家族が集うお墓参りとなりました。

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2018/12/14
わたしは三姉妹のまんなかだけど
ある意味、いちばん芸がない。
姉は料理上手で、手際がいい。
手芸でいろいろ作ってもくれる。
妹はフェレットとか犬とか猫とか
いろんな生き物の刺繍グッズをつくる
自称「生き物刺繍家」として
ネットショップで売ってたりする。
これなんて下の写真を元に作ってくれたもの。
どうやって作るんだか、我が妹ながら器用な奴。
もう1年以上、うちの棚に飾っていたから
フレームの蝶が丸まってきちゃってるけど
刺繍になったみいみも私にはとてもかわいい。
自宅でずっと洋裁の仕事をしていて
私たちの服はすべて手作りしていた母。
その血は姉と妹にぜんぶ受け継がれ、
わたしをスルーしてしまったようです。

9
2018/8/13
お盆なのでお墓参りに帰省。
実家は古戦場にあるので、
駅前は今はこんな感じ。
テレビゲームのキャラ感満載の
石田三成や徳川家康って・・・
実家で姉夫婦とも合流し、
薪の窯で焼き上げるピザのお店へ
ランチに連れて行ってもらいました。
とんでもないド田舎の山中に
こんな、こじゃれたお店があるとは。
ピザは私の好きなイタリア風。
薄くてクリスピーかつモチモチ。
リンゴの乗ったデザートピザは
アイスクリームとの相性が抜群。
窓の外にはえらくマッチョな鶏や
なぜだかヤギも戯れていました。
時には野生の猿も現れるとか。
「ド田舎」の名に恥じない、
野生の王国ビューが楽しい。
このあと無事にお墓掃除&お墓参りと
お寺さんへのご挨拶も済ませました。
絶品ピザのついでにお墓参りなのか、
お墓参りのついでに絶品ピザなのか。
問われるとそこはビミョーなのだけど、
母が笑えば、きっと父も笑ってる。
私たちが喜べば、きっと父も喜んでいる。
きっとそうに違いないと思っています。

4
2018/7/20
先週末は父の1周忌の法要でした。
今回も「おけどくさん」とか
(仏前のお供えのお餅のこと)
「お斎(とき)」(法要後の食事)とか
フランス語より難しい専門用語の数々に
またしても右往左往の役立たずだったけど
廊下と台所を主な守備範囲として、
どうにかお茶出し係だけは出来たかも。
不思議なことに、私にとっては
父は生前よりも今の方が身近な存在。
目には見えないけど、いつも傍にいて
なんだかんだと話しかけているから。
父は父で、私の夢の中に出てきては、
時にはダメ出しまでしてくれるから。
なぜかいつも若いころの姿で。
父を失った後の喪の作業を通じて
父との間に新たな関係を築けたみたい。
草に、花に、風に、雲に、道に、
朝に、夕立に、自転車に、車の音に、
すべてのものに「父」を感じながら
父亡き時間を生きていくことには
淋しさだけでは終わらないものが
何かあるような気がしています。

4
2017/10/20
四十九日法要が夕方だったから
先日改めて父の納骨をするために
再び実家に帰省してきました。
四十九日に続いて、今回も雨。
父は雨男だったのかなあ。
知らない間に母がお墓を改装して、
地面にも石を敷き詰めてくれたので
お墓は建て直したかのようにぴかぴか。
父もさぞ喜んでることでしょう。
もう草むしりに悩まされないのが
生きている私たちにもありがたい。

(自慢の菊と映る在りし日の父)
父のおかげで、今年は大幅に
家族が集まる機会が増えました。
そのたびに一緒に食べて、笑って。
たぶん、お通夜・葬儀から始まる、
一連の葬礼行事の最大の意義は
「残された者が集う」ことかも。
それは同時に、故人からの贈り物。
七日、七日の忌日法要があるから
哀しみは放っておかれることもない。
次々と訪れる行事をこなす中で
確かめられる、心の中の温かなもの。
そして哀しみはゆっくり一人ひとりの
何気ない日常に溶けていく。
本当の哀しみは「乗り越える」ものでも
時とともに「薄まる」ものでもなく、
心にぎゅっと抱きしめているうちに
自分の一部になっていくものの気がする。
そして哀しみを抱えて生きるということは
それだけかけがえのないものが
自分の人生にあったという幸福な証を
抱えて生きることだとも思うのです。

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2017/9/18
早いもので、父の四十九日の法要で
また実家に行ってきました。
今までは中陰に漂っていた父も
これで仏さまの仲間入りだとか。
大変だったのは、実家からの帰り道。
西宮に先に着くのは、台風か私かと
スマホで台風の進路予想をにらみながら
一刻を争う、まさにデッドヒート。
着いたとたんに暴風雨になるのも困るけど
電車が途中で止まるのはもっと困る。

(花好きの父のために友人が贈ってくれた胡蝶蘭)
電車が遅れたり、間引かれたりして
大幅に遅れつつも、どうにか西宮へ。
見事なほど人気のない夜道を急いで
どうにか家に駆け込んだとたんに
すさまじい暴風雨に見舞われて、
ほどなく電車も止まったのだとか。
いやもう本当にギリギリセーフ。
ハラハラ、ドキドキの一日だったけど
そんな四十九日も、なんだか父らしい。
「どうや、面白かったやろう?」という
いたずらな父の声が聞こえた気がします。

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