16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2021/6/24
母の2回目のワクチン接種が終わり
次はいよいよ、わたしたちの番。
来週辺りには接種券が送られて来るから
早くに予約が出来るかどうかが問題。
ワクチン接種後も感染はするようだし
マスクに手洗いの対策は変わらないし
旅行・イベントし放題にはならないけど
気分的にはずいぶん楽になるだろうな。
感染する確率も、重症化する確率も、
それなりに下がるに違いないだろうから。
離れている家族にも会いやすくなるし、
遠距離移動の心理的ハードルも下がる。
それは誰にとってもだろうけど、
今のわたしにとっても意味あること。
行きたいところに行けるって、いい。
会いたい人に会えるって、やっぱりいい。
そんな時が早く来ることを祈っています。

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2021/6/18
近頃しみじみと思うことがある。
姉妹がいて良かったということ。
一人っ子だったらわたしは
到底抱えることが出来ないだろう。
友だちの中には一人っ子で
家のこと全部背負ってたり、
兄弟がいてもすべて一人で
背負ってるつわものもいるけど。
もっと自分は強いつもりでいたし
覚悟する時はするつもりだったけど
いざとなると情けないほど、だめ。
嫌になっちゃうくらい、てんでだめ。
ああもう、しっかりしろ、わたし。
神さまはそうなることを見越して
頼もしい姉と面倒見のいい妹を
情けないわたしに授けてくれた、
そんな気がしてならないのです。

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2021/6/7
「うっせえわ」の歌詞の中に出てくる、
「一切合切凡庸なあなたには分からない」
というフレーズを聞くたびに思うの、
凡庸さを疎んじるのも若さだなあって。
年を取ったせいか、今のわたしには、
凡庸さが悪いとは思えなくって。
阪神大震災然り、東日本大震災然り、
そしてコロナ禍も、また然り。
当たり前に見える日常も
決して当たり前じゃないし
ありきたりに思える幸せも
決してありきたりなんかじゃない。
公園のベンチでお茶を飲んだり、
週末にファミレスで食事をしたり、
そんな凡庸さの限りを尽くす幸せが
若い頃には往々にして分からないもの。
それが分かるようになっただけでも
年を取って良かったと思える気がします。

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