16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2020/11/28
もう4週間が経ったというのに
日常から色彩と輝きが失われて
私はどっぷりと、ペットロス。
さみしさに耐えかねて、
涙がこぼれることも、しばしば。
うちに来て幸せだったかしら。
わたしは十分に愛せたかしら。
そればかりを何度も何度も
心の中で問いかけている。
痛みや苦しみから解放されて
天に帰って行った、みいみ。
立派にお役目を果たして
私にたくさんの愛と幸せを
届けてくれた、みいみ。
今ごろどうか神様からいっぱい
褒めてもらっていますように。
そして私との時間を幸せだったと
思ってくれていますように。

14
2020/11/21
みいみが旅立って3週間が経ち、
心にぽっかり空いた穴の寂しさは
何をしても埋めようがないけど
いつの間にか外は鮮やかな錦秋。
ジョギングの途中に立ち寄った公園では
銀杏の木が黄金色に輝いていました。
これは少し足を延ばした高野山。
オレンジから朱色のグラデーションの
温かみのあるグラデーションが素敵。
この後初めて奥の院まで参拝しました。
京都の神護寺は山門までの石段が
膝が笑いそうになって大変だったけど
その分、紅葉は鮮やかでした。
ひなびた感じの山寺だけど
この季節は錦をまとったよう。
心はこんなに沈んでいても
世界はこんなに美しいんだなあ。
心がどんなに悲しくったって
世界はこんなに美しいんだなあ。
本当に、美しいんだなあ。
もうどこにもみいみはいないけど
今はわたしの胸の中にいつもいて、
どこへいくにもいつだって一緒。
私が見たり聞いたり味わったりする
この世のすべての美しいものは
これからは全部みいみに贈ろう。
虹の橋の向うで喜んでくれるといいな。

13
2020/11/15
ふと気が付けば最期の日々ばかりを
思い出しては涙ぐんでしまうから
意識して、元気だった頃のみいみを
思い出すように努力してる。
つらい思い出はほんの数か月だけど
幸せな思い出は16年分もあったから。
ジャンプ一発で調理台に乗ったこと。
私が読んでいる本の上に座り込んで
邪魔をするのが好きだったこと。
なかなか起きない私を起こそうと
顔や髪の毛を踏んづけたり
胸の上に飛び乗ってきたりしたこと。
この季節はひなたぼっこが大好きで、
いつもひだまりの床に転がってたこと。
わたしがテレビを見てるといつも
ブラウン管の上に乗っていたこと。
抱っこすると胸にしがみついてきて、
ゴロゴロ喉を鳴らしていたこと。
そう、みいみと過ごした年月は
楽しくて幸せなことが殆どだった。
みいみを思い出すときには
最期の弱々しいつらい姿ではなく
元気な姿を思い出してやらなきゃ。
くりくりのまん丸なおめめと
鮮やかなピンク色のおはな。
あずき色のむにゅむにゅの肉球と
おひさまの匂いの柔らかな被毛。
今はきっとその姿に戻って
走り回ってるに違いないから。

15
2020/11/13
これまで朝ジョギングに行く前に
欠かさず近所の神社でしていた願掛け。
「みいみが最期に苦しむことなく、
穏やかに安らかに旅立てますように。
そして私が看取ってやれますように。」
願いは両方とも叶えて頂けました。
でも叶えてくれたのは、私の思いを察した
みいみ自身だったのかもと思えてきて。
今はたまたま在宅勤務だからいいけど
通常勤務に戻ったら、と心配だった。
留守中はオムツも替えてやれないし、
発作になっても何もしてやれない。
ましてや最期の時を迎えたら・・・と
みいみの世話をしながらも心の中は
心配で不安で、押し潰されそうだった。

(動物病院や同僚からも頂いたお花)
その他にも、今はどうにかなるけど、
この先どうなるか心配なことが幾つも。
みいみは、それをみんな察して
私の不安や心配を全部一人で抱えて
わたしに一番いいタイミングで
旅立つことを選んだ気がしてきて。
私がみいみを溺愛してるつもりだったけど
より深い愛で愛してくれていたのは
みいみの方だったのかもしれない。
そう思ったら、悲しみの涙ではなく
感謝と愛からの涙が、ぽろぽろ。
みいみ、みいみ、みいみ、みいみ。
お前の「死」に手のひらで触れた時
貴くて美しい「いのち」そのものに
この手で触れたような気がしたよ。
「いのち」は「愛」そのものだね。
おまえの最期の最期の瞬間を
私に看取らせてくれてありがとう。
つらく悲しい経験だったけど
それでもこの私の手のひらの中で
旅だって行ってくれて、ありがとう。

16
2020/11/6
もうというかやっと1週間が経ち、
少しずつ取り戻しつつある日常。
朝ジョギングしたり、家事をしたり、
でもまだ号泣発作は収まらない。
家のかしこに残るみいみの痕跡に
ふいに嗚咽がこみ上げてしまう。
ジョギング中も思い出しては
目深にかぶった帽子に隠れて
泣いていることも、しばしば。
特につらいのは、朝目覚めたとき。
これまでは寝室のドアを開けると
みいみが、にゃーんって鳴くから、
オムツを替え、お薬を飲ませ、
昨夜の残りのフードボウルを洗い、
新たな流動食を入れて舐めさせ、
インシュリン注射を打って、
台所の蛇口からしか飲まない水を
みいみの頭を支えながら飲ませてた。
ぽっかり空いたその時間がそのまま
心の中の穴になって私を打ちのめす。
同じ時間に目は覚めてしまうのに。
みいみの具合が悪くなって以降、
私も食欲がなくなり、お腹もこわし、
夜も眠れなくなっていた上に、
みいみが息を引き取ってからは、
なぜかひどい寝違えと頭痛にもなり
一時は薬漬けになっていたけれど、
そんな体も少しずつ少しずつ回復。
早朝覚醒だけは時間がかかりそう。
みいみが心配するといけないから
嘆き悲しむのもいいかげんにしようと
みいみが元気なころの写真を何枚か、
部屋のあちこちに飾ってみました。
もう二度とあの柔らかな温もりを
抱っこすることは出来なくなったけど
みいみは今も、そしてこれからも、
私の心の中の一番やわらかなところに
そっとそっと息づいていることを
思い出すための、よすがとして。

19
2020/11/2
前回のブログをアップした翌日、
みいみは静かに旅立っていきました。
前日から急に足腰が立たなくなり、
それでも流動食をなめてくれたのに。
まだ1-2ヶ月は大丈夫だと思ったのに。
いつもは北側の部屋で寝てるのだけど
その日は目の届くところにいてほしくて
日の当たるリビングにベッドを置いて
仕事の合間合間に様子を見ていました。
正午頃、呼吸が急に乱れ始め、
異変を感じた私は、傍らにすわって
そっと撫でて、声をかけ続けていたら
次第に呼吸の間が飛ぶようになり、
やがてそのまま息を引き取りました。
穏やかで、静かな最後でした。
みいみは、うちに来て幸せだったかな。
みいみは、うちに来て楽しかったかな。
最後の30分間、ありがとう、大好きだよ、
いい子だったよ、よく頑張ったね、って
思いつく限りの言葉をかけ続けたけど
みいみにはちゃんと聞こえていたかな。

(眠るように旅立っていきました)
その夜は一晩、みいみの隣で眠り、
翌日、雲一つない美しい秋の朝に、
みいみは旅立っていきました。
いっぱいのお花に囲まれたみいみは
涙が出るくらい、可愛らしかった。
うちに来てから、16年と半年。
1歳ちょっとで尿路結石症になり、
12歳の秋には糖尿病になり、
15歳で鼻腔リンパ腫が発覚し、
16歳8ヶ月よく頑張ってくれました。
挨拶に行った時、担当の獣医さんも
「この子は本当に大変な子だったけど
この子のように手がかかった子ほど、
いなくなると寂しくてたまらないと
みなさん、おっしゃいますよ。」と。
確かに手はかかったかもしれないけど、
だからと言ってこの子の可愛らしさは
たとえ1mgだって減りはしなかったし、
この子が面倒だなんて思ったことは
誓って、ただの1秒だってなかった。
そのくらい、みいみはいい子だったし、
愛らしかったし、いっぱい癒してくれたし、
私の大切な大切なたからものだった。

(在りし日の、温かくて柔らかなみいみ)
雪が舞うような寒い冬の日も
みいみがいる部屋は温かく感じたし
疲れて帰る暗い夜道での足取りも
みいみが待ってると思うと軽やかになった。
みいみの寝顔を見れば嫌なことも忘れたし
みいみを抱っこすれば、心が温かくなった。
みいみを抱いて眠る冬のお布団の中は
心が愛で満たされる至福のひとときだった。
そのかけがえないみいみが、もういない。
このマンションに引っ越してきてすぐ
みいみをうちの子として迎え入れたから、
みいみのいない部屋に住むのは初めて。
朝起きても、みいみがにゃーんて鳴かない。
ただいまって帰ってきてもお迎えに来ない。
ご飯の時間になっても、せがみに来ない。
みいみって呼んでも返事をしてくれない。
この身を切るような淋しさ、悲しさ。
どれだけ泣いたら、涙って尽きるんだろう。
今はまだ嵐のような悲しみに翻弄されて
転覆しそうな、情けないわたしだけど、
家族や友達の温かな言葉に支えられ、
やがて時間が、この悲しみを穏やかで
美しいものに変えてくれると信じよう。
姿は見えなくなったけど、まだどこかに
みいみが遊びに来てくれると信じよう。
まだまだ泣いてしまうけど、それでも。

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