16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2009/3/29
15歳の自分と今の自分の手紙のやりとりという形の
アンジェラ・アキさんの「手紙」という歌を聴いたら
15の頃の自分を思い出してしまいました。
15の今頃は、ちょうど中学を卒業し
高校入学を控えていた頃。
実家の辺りでは公立高校がいわゆる進学校で
当時は、3校あった学校間のレベルの標準化を図るため、
学校単位ではなく1群、2群、3群という群受験制度。
わたしは、父と姉の母校でもありずっと憧れていた、
伝統あるK校に当然入れるものと思って、受験。
なのに同じ群を受けた、仲の良かった友達たちは、
ほとんどK校に振り分けられたのに
もう一人の友達とわたしだけが、
なぜか思ってもみない、設立7年目のH校。
K校に決まって、笑いさざめく友達たちが
キラキラ輝いて、幸せそうに見えて。
「わたしだけどうして」と沈んでしまって。
さみしさ、ねたましさ等の暗い思いをもてあまし、
誰にも言えず、人前では笑顔で隠しながら
庭の花の苗をいじるふりをして、
ひとり泣いていたのを思い出す。
その15のわたしに、もし出来るなら、
伝えたい、たくさんのメッセージ。

その後、新設校ならではの自由で活気ある空気の中で
楽しくのびのびした高校生活をおくること、
その後何十年も連絡をし続けるような
素敵な友達に、いっぱい出会うことになること。
その後も、思う通りにいかなくて
辛く苦しい思いをすることはたくさんあるけれど、
その都度、何とか乗り越えていけること。
そしてそのどれもが
「あの時、思い通りにならなくて良かった」と、
「あれは必要なことだったんだ」と、
必ず、後になって思えるようになること。
すべて自分の思い通りになっていたら、
わたしは間違いなく、今の自分にたどり着いていなかった。
すべての失敗は、失敗ではなく、
ここにたどり着くために、必要なステップだった。
だから何があっても、
必要だからそうなったんだって
すべてが幸せへの道だって、
諦めることなく、信じていてほしいこと。
何十年か後のあなたは、迷いも苦しみもあるけど
ささやかだけどたくさんの
小さな幸せに囲まれて暮らしているから。
それらをみんな、心から笑えずにいた15のわたしに
そして、あの頃のわたしのような15歳の人たちに
伝えることが出来たなら。
きっとそれは、わたしだけじゃないと思うから。
とは言え、わたしも人生の道半ば。
今の親の年になったわたしは、今のわたしに、
何を伝えたいと思うのでしょうか。

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2009/3/28
昨日半年に一度の歯のクリーニングに行き、
すっきりして帰ってきました。
みんなには変人がられるけれど
わたしは、結構歯医者さんが好き。
だからというわけではないのだけれど、
5歳になったみみにゃんも
そろそろ歯石に気を配るお年頃ということで
週に何回か、寝る前に歯磨きを始めました。
猫用の指先にはめるタイプのちっちゃな歯ブラシで
最初は口を触るのを馴れさせるところから。
初めは、イヤイヤと顔をそむけたり、
わたしの胸に顔をうずめて逃げていたけれど
それでも決して咬んだり、爪を立てたりしないところが
おっとりみみにゃんのえらいところ。

みみにゃんのがまん強さのおかげで
最近ではなんとか、歯の外側は磨けるように。
わたしが忘れっぽいせいで
まだ週に2−3日くらいだけれど
長生きしてもお口が臭くならないように
ソファーの下に隠れてないで
がんばろうね、みみにゃん。

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2009/3/26
子供の頃から今に到るまで
とても体がじょうぶとは言えないわたしが
ここ数年ずっとお世話になっているのが、漢方。
たまたま近所に漢方専門の病院があって、
漢方なのに、内科、婦人科、痛み外来、心療内科等もあり
何となく良さそう、というので通い始めたのがきっかけ。
普通、病院で処方される漢方薬というのは
顆粒状のエキスのものが殆どだと思うのだけれど
わたしのお薬は毎月症状に応じて、
生薬の配分や中身を変えつつ
乾燥した生薬を、お鍋で煎じて飲むタイプ。

煎じる前はどれも乾燥してカリカリだけど
煎じたあとの残りかすは
いろいろな色や形のかけらがふっくらと濡れて、
まるで貝や小石が打ちあげられた波打ち際のよう。
このかけらのひとつひとつが、
わたしの元気を支えてくれている応援団。
これらひとつひとつの生命を頂いて
少しずつ本来のバランスや元気を取り戻しつつあるのか、
よく風邪をひいたり、体調を崩しがちなわたしが、
ここ1年、殆ど病気をせずに元気に春を迎えられました。
ありがとうね、そしてこれからもよろしくね。

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2009/3/24
ただでさえ人の少ない職場なのに
いつもより人が少なくて今日は大忙し。
その上、お昼からはWBCが。
野球に詳しい訳でも、さほど好きな訳でもないわたしでも
これまですでに4回も対戦した因縁の韓国と、
またしても、しかも決勝戦で戦うとなると
さすがに気になるのが、世のならいというもの。
そして今日は職場は女性だけだったにもかかわらず
みんな、気になるのは同じだったみたいで、
忙しい仕事の合間に突然「1−0!」なんて声が飛び、
つい「1はどっち?」「今何回?」とみんな食いついてしまって。
「それで、このドキュメントだけど・・・」と
まじめに仕事の話をしてながらも
「げっ、同点!」なんて言い出して、
もはや何の話をしてるのか、わからない状況。
しかも、積極的に試合経過を報告してくれるのは
上司だったりするから、ありがたいというか何というか。

その会話の脇では一人静かに
「ダルビッシュは若いからねぇ・・・」などと、
冷静に、つぶやいている人も。
なぜかわたしが力を入れて応援すると
敵に点が入ってしまうという悪いジンクスがあるので
9回の裏に1点差で勝っている時には
もはや経過を聞かないようにして、
必死に仕事に打ち込んで、気を紛らわせたりしたのに
まさかまさか、同点にされるとは。
最後イチロー選手の活躍のおかげで優勝が決まった時には
みんな「これでやっと思い残すことなく仕事が出来る」と。
仕事を無事終えると「今日は疲れたね〜」とか
「今日はなんだか本当に忙しかったね〜」とか言いながら、
みんなそれぞれに帰って行きました。
でもこんな面白いゲームになって楽しめたのも
韓国という、いいライバルのおかげね。
おめでとう、日本。
ありがとう、韓国。(と、楽しい一日。)

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2009/3/22
先日、近所にかわいらしいカフェを発見し、
一度行ってみたいな、と思っていたので
今日、ついに行ってみました。
若いオーナーとその奥さん(?)とで
手作りのヘルシーな定食とケーキを出す、
こじんまりした、かわいらしいお店。

器のひとつひとつもぬくもりある手作りっぽくて
ひとつひとつ大きさもデザインも違う
木のテーブルや椅子も
温かみのあるアンティークみたい。
流れているインディーズの音楽も心地よいサウンドで、
なんだかほっこり出来る、居心地のいい空間。
今日は、優しい味付けの和のランチと
ふわふわしたシフォンケーキとミルクティーを頂いて、
2種類のかわいいクッキーを買って帰りました。
こちらは先日頂いた、いかなごのクギ煮のお礼にと思って。
もう何年も住んでいるのに、ふとこうして、
知らなかったお店を発見したりするのって楽しい。
こうして少しずつ、お気に入りが増えていくことで、
暮らしのよろこびも、増えていくみたいで。

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2009/3/22
今年は本当に春が早い。
なんだか急にあちこちで咲き始め、
今日は雨降りにもかかわらず、
わたしが勝手に「わたしの木」と呼んでいる桜は
このあたりでもとりわけ早くて、
もう、すでに3−4分咲き。
写真には撮れなかったけれど
かわいいうぐいすが2羽、
さかんに花をついばんでいて。

桜が咲き始めると訳もなく、
心が自然に沸き立つと同時に、
落ち着かなくなるのはなぜかしら。
桜は咲き始めてから散るまでが短いから、
その美しさを少しでもたくさん、
心に刻み付けたいと願うせいかな。
来週は少し寒さが戻るみたいだから
桜もちょっと急ぐのをやめて
ゆっくりゆっくり咲いてくれるといいな。

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2009/3/20
のほほんと見えるこのわたしにも
苦手な人というのはあって、
時には人間関係のストレスというものも。
それが先日、とある友人と話していたら
友人の口からふと、昔とても苦手だった人の名が。
その友人も、その人には何度も泣かされたそうだけど、
驚いたことにわたしが最もストレスを感じていた頃、
その人がわたしのことをいつもほめていた、と言うのです。
しかも、その人からは大概の人の悪口は聞いたけれど
わたしの悪口だけは、聞いたことがなかった、と。
にわかには信じられず、ただただ驚くばかり。
だってその人には、本当に嫌な思いをさせられて
嫌われていると、今の今まで信じていたから。
わたしなりに、精一杯努力はしたつもりだったけど
返ってくるのは、不快な言葉や態度ばかりだったから。
そう言うと、その友人は
「それは、裏返しだったんじゃないかしら」と。

でも、もしその友人が言ったことが本当だとしたら
わたしは、その人に謝らなくては。
どれだけ嫌な思いをさせられたからとは云え
わたしは、その人の悪口を言ってしまった。
友達や親しい人たちに、愚痴ってしまった。
その人が発する不快なものに毒されないことに精一杯で、
その人がどうしてわたしにそういう態度を取るのかまで
思いやることなど、まるで出来ずに。
先日、NHKのとあるドキュメンタリー番組の中で
夜な夜な中学生に瓶や石を投げられるからと
NPOに助けを求めにきたホームレスの男性がつぶやいていました。
「でも、あの子達は家はあっても、帰る場所がないんじゃないか。
誰からも、心配されていないんじゃないか。
俺はホームレスだから、その気持ち、分かるけどな。」
自分に石を投げる中学生の孤独を
そのホームレスの男性は思いやることが出来るのに
わたしに嫌な態度や言葉を投げてくるその人の思いを
わたしはどこまで、思いやろうとしただろう。
「人が投ぐる憎しみを胸にあたため、
花のようになったらば、神の前に捧げたい」(八木重吉)
だからといって、その人と連絡を取りたいとは思えず、
ましてや、その人から受けたものを胸にあたためることも
花のようにすることも出来なかったけれど
せめて、わたしの心の中にまだ残っていた、
その人に対する負の思いを、
ごめんなさいの思いと共に、手放そう。

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2009/3/16
先日、NHKのETV特集の再放送で
「ひとりと一匹たち〜多摩川河川敷の物語」を観ました。
多摩川河川敷で暮らすホームレスの人々と
捨てられた犬や猫たちの暮らしを追ったドキュメンタリー。
今更ながらに、家や仕事を失って
ホームレスとして生きていくことの過酷さに胸がふさがれる。
2日間走り回って集めた空き缶の山が
わずか3,000円弱。
それでもそこから1,500円を使って
捨てられた犬や猫の餌を買っている人もいました。

立派な家や食事に恵まれながら、
飼い犬や、仔猫を、壊れたおもちゃのように捨てる人々。
その一方で、今日食べるものにも事欠く生活なのに、
捨てられた犬や仔猫に食べ物を分け与え、愛おしむ人々。
人間らしさや、ぬくもりを持っているのは
果たしてどちらだろうと思うとき、
この悲しい現実に、より胸が痛む。
そんな社会を嘆いているだけでいいのか、
この現実を悲しんでいるだけでいいのか、
あれからずっと、考えさせられています。

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2009/3/13
からだの中から「きれい」と「元気」を引き出そうと
プチ・マクロビを少しずつ取り入れ始めたところなのに、
おいしいものを食べたい!という誘惑に負け、
とびきりおいしいイタリアンに行ってしまいました。
摂津本山駅前にある、イル・フラテッロ。
落ち着いた品のいい店構えの、
ちょっとぜいたくなイタリアン。
初めてなのに、お任せでお願いしたのだけど
まあどれもこれも、おいしいことと言ったら。


2種類出てくるパスタ料理も
手打ちの生麺で、もっちもち。
自家製のパンの盛り合わせも付いていて。
デザートの右手前の「蜂蜜ジェラート」には
ほっぺたがとろけて、落っこちてしまいそう。
イル・フラテッロの名前通り、
兄弟二人でお店を切り盛りしているのだけど
二人ともとてもハンサムというおまけつき。
たまには誘惑に負けるのも、
「きれい」と「元気」には欠かせないこと、と
思うことにしようと決めたわたしなのでした。

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