16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2009/1/31
昨夜は、仕事の関係で関西に来た
名古屋在住の大学時代の友人と食事。
彼女と会うのは1年ぶり以上だったけど
思い出話から、お互いの近況まで
時を越えたおしゃべりに、楽しいひとときでした。
彼女とは、共通の親しい友人を亡くすという
忘れることのない悲しみを共有する仲だけど
そのことは、お互いの胸にそっと秘めたまま。
帰る電車の中でしみじみ思ったのは
彼女は彼女にしか出来ないことをしてるなあ、ということ。
二人の子供を育てながらフルタイムで働き、
音楽家のご主人を支えながらも
自分の趣味のダンスにも打ち込み、
こうして遠くに散らばっている友人の間を
面倒を惜しむことなく、繋いでくれている。
それはわたしには、到底出来そうにないこと。

そして多分、こんなわたしでも
わたしにしか出来ないことをしているのでしょう。
わたしのこの環境と、家族や仲間たちがいてからこそ、出来ること。
だからこそ、させて頂けていること。
このありきたりの、ささやかな日々の中で。
それは何も特別なことじゃなくて、
ひとりひとりが、みんなしてること。
例えば目の前の椅子で眠りこけるサラリーマンも
彼の家族を幸せにすることは、彼にしか出来ないこと。
みんなその人にしか出来ないことをしながら送る、
当たり前の、ありふれた日常。
特別なことじゃないけれど、
そのことが、ひとりひとりを
きっと特別な存在にしてるんだろうな。
だから、人との関わりは、
かけがえのない贈り物をくれるんだろうな。
わたしは必ずしも付き合いのいい方ではないけれど
ブログでわたしの近況を知って、
わたしの家族のことを気遣いながらも
一度会える?と、誘ってくれる友人がこのところ何人もいて。
すぐにお返事、出来てない人もいるけれど
いっぱいいっぱい、感謝しています。

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2009/1/29
冬の朝のわたしのひそかな楽しみは
明け方に必ず布団にもぐりこんでくる
みみにゃんと眠るひととき。
明け方になると肌寒いのか、
布団に入れて欲しくて、
わたしの胸の上に飛び乗ってきて
起こされてしまうのだけど。

布団を少し持ち上げて入れてやると
ゴロゴロ幸福な音をたてながら
わたしの腕の中にもぐりこんで
あっという間に眠ってしまう。
柔らかな、温かな、この小さな生き物は
わたしを信じ、わたしに命を預け、
寄り添うようにして眠る。
わたしはその穏やかに息づく小さなものを抱きながら
目覚ましが鳴るまでのひととき、うたた寝するのが
冬の朝の、何よりの幸せなのです。

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2009/1/26
「蝶々夫人」「魔笛」「メリーウィドウ」に続く
毎夏恒例の佐渡裕プロデュースのオペラは
今年は、ファム・ファタール「カルメン」。
これまでの作品がどれも素晴らしかっただけに、
半年近く先のことながら、今からもう楽しみ。
頑張って、良い席も確保しました。
そして偶然にもこの1−3月の
ラジオフランス語講座・応用編のテーマは
「オペラ・カルメンを読む」。
カルメンってスペインの物語だから
オペラもてっきりスペイン語かと思いきや
もともとはフランス歌劇だったんですね。

カルメンの脚本をフランス語で学びながら
夏に、カルメンのオペラを観る。
今年の前半は、どうやらカルメンと縁があるみたい。
この素敵な偶然を楽しみつつ、
フランス語も励まなくっちゃ。

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2009/1/24
今日は朝から抜けるような青空がのぞき、
窓越しの陽射しは暖かだったものの、
時折雪がちらつく寒い一日でした。
朝、テレビの生番組を観ていたら
トミーズ雅さんが、番放映中に
2番目の高校生の娘さんが
この番組をぎりぎりまで観てから
カナダへの留学に出発するというので
その娘さんへのメッセージを語っていました。
「英語がペラペラにならなくてもいい、
勉強出来なくてもいいから、
とにかくそのままのお前で、帰っておいで。」
涙で何度も言葉をつまらせ、
最後は両手で顔をおおって、泣きながら。
22で一人アメリカに渡った時、
わたしも、親にこんな思いをさせたのかしら。

気になって、母に聞いてみたら
やはりわたしが乗った飛行機が
空に消えていくのをいつまでも見送りながら
ずっと涙が止まらなかったのだとか。
今のように携帯もなく、
メールもなかった時代。
わたしからの初めての絵葉書が届くまで、
毎日郵便箱をなんども見ては泣き、
届いた絵葉書を読んでは、また泣いたのだとか。
わたしも飛行機に乗ったのが生まれて初めてで
しかもまったくのひとりぼっちで、
この先何があっても1年間帰れない心細さで
東京で乗り換えるまではずっと泣いていたけど
渡米してからは、自分のことに精一杯で
親がそんな思いでいることに思いを馳せることもなく。
我が身の親不孝を心の中で詫びながら
親というものの、ありがたさを
今更ながらに、思うのでした。
その恩にどう報いたらいいかも分からないまま
父は先日、地元の病院に転院。
昨年5月に倒れてから、3箇所目。
姉の尽力のおかげで今のところ
行き場のない難民にならずに済んでいるものの
そこもやがては出て行かなくてはならないのでしょう。
母も腰を痛め、かろうじて一人暮らしをしている状態なのに
わたしに出来ることは、あまりにわずか。
遠い日の親の思いと、今の親の思い。
胸が痛むことばかりだけど、
何より元気に、そして幸せと感謝をちゃんと感じながら
丁寧に日々を暮らす中で、
わたしに出来ることを考えていければ。

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2009/1/22
先日職場の同僚に贈った、携帯バナナケース。
待てど暮らせど、持ってこないと思ったら、
彼女の中学生の息子さんが愛用中なのだかとか。
一度お弁当に付けて持たせたら
クラスで大いにウケて
以来、毎日欠かさず持って行くらしい。

そうでしょう、そうでしょうとも。
あの製品の面白さが分かるとは
最近の中学生も、なかなかのもの。
それとも中学生と同じレベルで面白がっている
わたしに、何か問題?

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2009/1/21
アメリカの大統領の就任式を
見たいと思ったのは生まれて初めて。
深夜の中継を録画までして。
あまり政治に興味がある方ではないし、
政治的なことをここで書きたくはなかったのだけれど。
大統領として成功するかどうかはともかく、
黒人の血と、「フセイン」というミドルネームを持つ彼が
アメリカの大統領に選ばれた、というその事実が
アメリカという一国だけのことではなく、
人間の歴史の、大切な一歩だと思われて。

これは新しい上司のご主人がアメリカの民主党員で
オバマの選挙キャンペーンのボランティアから帰国され、
お土産としていただいたステッカー。
自由と平等、という美しい理念を掲げながらも
みにくい格差と差別に病む、矛盾した大国が
ようやく本来の美しい姿に、一歩近づいた証であるだけでなく、
誰もが持つ、人間性の善なるものが、
それぞれの違いを乗り越えて
本来の善なる姿に一歩近づいた証として
このステッカーは取っておきたいと思うのです。
あまりにも単純で、ナイーブすぎるかもしれないけれど。

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2009/1/19
隣の職場の知り合いが、
ニワトリの鳴きまねをする猫をテレビで見たというのだけど、
よく、「うあん」と鳴く犬を「ごはん」と言う犬、とかあるから
どうせその類だろうと思いつつも探したら
・・・見つけちゃいました。
ま、参りました。
本当に真似してる。
し、しかも可愛いすぎる。
猫だって、こんなことが出来るとは。
疑っちゃったりして、ごめんなさい。
みみにゃんも、研鑽を積んだら
第九のサビのところのメロディーだけでも
一緒に歌えるようにならないかしら。

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2009/1/18
昨夜は友人と三宮のレストランへ行ったため
帰りに東遊園地の「1.17のつどい」に寄って
死者の数と同じだけの竹灯篭の一つに
わたしもささやかながら、献灯してきました。

このろうそくの灯ひとつひとつが
14年前までは、一人一人の生命で
ひとつひとつの笑顔だったんだなあと思うと
言葉を失い、手を合わせるしかなくて。
どうぞどうぞ、安らかに。

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2009/1/17
今日で阪神大震災から14年目。
この地域に暮らしている者としては
忘れることの出来ない、祈りの朝。
わたしも今日は、モーツァルトのレクイエム。
当時はわたしは大阪住んでいて、
部屋の中はぐちゃぐちゃになったものの
自分の生活には大きな影響はなく、
身の回りの人を失うこともなかったけれど。
あの日から、もう14年。

6,400名を超える、かけがえのない生命と
そのかけがえのない一人一人をこよなく愛していた多くの人々の
消えることのない悲しみを内に秘めた街で暮らす今、
心の中でそっと手を合わせつつ
静かに、荘厳に流れる、レクイエム。
その響きの中で、わたしの愛する小さな生命がひとつ
窓から注ぐ暖かな陽射しの中で、柔らかに眠る朝。

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2009/1/15
最高気温6度という凍てつく寒さの中
この色のない季節に、目にも鮮やかな八重の寒椿が
花びらを散らしていました。

「傷つけていたことよりも
ゆるされていたことつらく、椿は立てり」
椿を見るといつも思い出される、
江戸雪さんという若き女流俳人の句。
どういうわけかこの句に出会った途端、
心に沁みて、忘れないということは
わたしの心にも何か、
共鳴するものがあるからなのでしょう。

知らないうちに、誰かを傷つけながら
それでも許されて、
いっぱいいっぱい許されて、
今わたしは、ここにいる。
だからせめてもの感謝として
自分が傷つくことがあっても
寒椿が花びらを惜しげもなく散らすように
さらりと許せる人になろう、
そんなことを思いながら。

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