16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2008/6/30
普段の通勤路の一本横の道を通ってみたら
早くも満開のたくさんの朝顔に出会いました。
夏にはどこにでも咲く
雑草のような花だけど
こうして近くで見ると
青から紫、ピンクへのグラデーションが
なんてきれいなんでしょう。
雨のしずくも、なんとも涼しげ。

夏の使者のような朝顔をみていると
重く垂れ込めた梅雨空の向こうに
待ちかねた真夏の太陽を予感させる。

6月も今日で終わり、
そしていつのまにか、今年も半分の折り返し。
日常生活に追われて
バタバタと日々は過ぎてゆくけれど
心までバタバタ余裕なく過ぎてしまわないように
生活のディテールを大切にしながら
もっと一日一日をていねいに過ごすそうと
思いつつ迎える、7月です。

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2008/6/28
散歩道にある小さな小川で
かわいいカモの親子を発見。
生まれて間もないふわふわのひよこが
母鳥の後をちょこちょこと泳ぐ様子は
本当に愛らしい。

小雨がぱらつく空模様でしたが
いつまでたっても見飽きない光景でした。
猫好きのわたしが言うのもなんだけど
どうか野良猫などにやられることなく
元気に育ってくれますように。

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2008/6/27
そういえば先週、
職場の上司のお宅に招かれ
同僚の結婚祝いのお食事会がありました。
歴代のインターン卒業生さん等が集まってくれて
総勢12−13名の大同窓会に。
望み通りの仕事に就けて頑張っている人
まだ道を探している人、
人間関係に頭を悩ませている人、
様々だけど、みんな喜んで来てくれた、
そのことが、うれしくて。
この職場に来て6年。
一体何人の若い人たちを見送ってきたかしら。
いつまでたっても馴れなくて
なんて淋しい役回りかと思うことも。
わたしはといえば、
何年経っても、相変わらずの毎日。
同じ仕事を繰り返すだけで、
時の流れに取り残されてる気分になることも。
でも先日、高野山で
静かな雨の音に心をひたしていた時、
それもわたしの役目の一つなのかも、と
ふと心に浮かんだのでした。
・・・ああ、そうなのかもしれない、と。

旅立っていった彼らが
それぞれに帰りたくなったり
話を聞いてほしくなった時に
変わらずそこにいる誰か、
帰ることの出来るどこかが、必要なら。
嬉しい知らせ、
悲しい知らせ、
迷いや苦しみ、相談事、
抱えてくるものが、何であっても。
変わりゆくものを見守る
変わらない毎日。
たくさんの船出を見送り、
また港に迎える、小さな灯台みたいに。
そんな役目も悪くない、と気付かせてくれたのは
高野山の雨だったのでしょうか。

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2008/6/26
先週末はお見舞いに行けなかったので
今週は平日に行ってきました。
休みなしの母に代わり
半日余りを父のもとで過ごしました。
考えてみたら大人になってから
父と二人きりで過ごしたことって
1時間でもあったかしら。
その間にも入れ替わり立ち代り
看護婦さんや先生がいらしたので
ゆっくり話す時間はわずかだったけれど。
そのわずかな時間に
高野山に行った話をし、
病気平癒のお札を貰ってきたことを伝えると、
父は真剣なまなざしでわたしを見たまま
良く回らぬ舌で、何度も何度も
名古屋の叔父の分も拝んでやってくれと
懸命に繰り返すのです。
名古屋の叔父というのは母の長姉のご主人で
何年も前から脳梗塞や痴呆、糖尿病等を患い
今も入院中なのですが
少なくとも父より体は元気で
確か、歩くことも食べることも出来たはず。
父は、自分は寝たきりで食事も摂れない体で
その叔父の心配をしていたとは。

わたしはその時、
自分と家族のことしか考えなかった
自分自身を恥じました。
わたしが今まで知らなかった、
父のそんな一面に驚きつつも
父から尚教えられるものがあることを
それに気付けたことを
謙虚によろこびたいと思うのでした。

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2008/6/21
実は土曜日、兵庫県立芸術文化センターに
以前から楽しみにしていた
佐渡裕プロデュースのオペレッタ、
「メリーウィドウ」を観てきました。
初日と言うことでエントランスには花がずらりと並び、
ちょっとドレスアップした人々があふれるロビーは
開演前からワクワク感でいっぱい。
ドキドキしながら幕が上がると、
佐藤しのぶの華のあるハンナは最高だし、
ジョン・健・ヌッツオの艶のあるテノールも素敵。
ベル・エポックの衣装も、どれもとても豪華だし
ピアノをデザインした舞台装置も小粋でおしゃれ。
フレンチカンカンなどのダンスシーンにもうっとり。
その上ざこばの狂言回しの面白かったこと。
落語家がオペレッタ?と見るまでは不安でしたが
これが最高の当たり役で、
あんなに笑えるオペレッタは空前絶後かも。
佐渡さんも自らステージに上がって歌っちゃったり
サービス満点、エンターテイメント満載で
目も耳も心も、幸せ満タンにしてもらった気分。
音楽って楽しい!
ステージって素敵!
こんなに素晴らしいもの作れるのだから
人間ってすごい!!と
子供みたいに、心を躍らせながら
非日常の幸せを満喫した数時間でした。
非日常といえば、
近くの席に江原啓之さんが座っていらして
非日常ついでに、握手してもらっちゃいました。
お相撲さんだと勘違いした位の大きな方でしたよ。

さあ、幸せも元気も、満タンにしてもらったことだし
梅雨空もなんのその、
満開のあじさいのような笑顔で、
日常に戻ることにしましょう。
今日は夏至。

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2008/6/19
人は、幸福からも、不幸からも
いろいろなことを学ぶものだけど
とりわけ不幸からは
たくさんのことを学ぶもの。
病気になって、健康のありがたさを知ったり
大切な人と離れ離れになって、その人の大切さを知ったり
断水になって、水のかけがえのなさを知ったり
足を怪我して、歩けることの喜びを知ったり。
何不自由ない時ほど
ささいなことが苦になったりするのに
困難な時ほど
ささいなことが喜びになったりするから。
だからきっと、
幸福にも不幸にも、意味があるのでしょう。

そう思うと、今回の父のことも含めて
困難はただの困難ではなく、
災難はただの災難ではなくなる、そんな気がして。
だから、「この道、喜んで」の言葉を
胸の中で何度もくりかえしながら
道端に咲く、小さなひめじょおんのように
雨の日も、風の日も、かんかん照りの日も、
わたしも、喜んで生きていきたいと思うのでした。

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2008/6/17
このところ週末ごとにお留守番のため
みみにゃんは、ちょっぴり淋しそう。
やっぱり私がいないと淋しいみたい。

それともまさか・・・
単に眠いだけだったりする?

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2008/6/13
腱鞘炎を患って以来ずっと、
定期的に鍼灸のお世話になっています。
最初は、体に鍼を刺されるのが怖くて
かえって体が緊張してしまったものなのに
今では平気どころか、
早く刺されたくて、待ち遠しかったりする。
お灸も、最初は熱いの通り越して
痛くて我慢できなかったものなのに
近頃じゃもう気持ち良くって、うっとり。
冷え性の手足や、筋肉のコリコリの奥に
じーんと、つーんと、
温かい刺激が沁みていく感じ。
施術後は全身の筋肉がほぐれるせいか
まったりと、かったるくなって、
それが何とも心地良いの。
刺されたり、熱かったりするのに
ほっこりと和らぐなんて
人のからだって、なんて不思議。

ああ、わたしはもっと自分の体に
いっぱい感謝しなくちゃいけないな。
酷使し続けていることを、
ちゃんと反省しなきゃいけないな。
腱鞘炎や肩こりを抱えながら
それでも仕事を続けられているのは
自分だけの頑張りではないのに。
すべての命がそうであるように
きっと体も、自身の所有物ではなく
神さまからの、大切な預かりもの。
やがていつかお返しする、その日まで
感謝しながら、ていねいに、
持てるものを最大限に生かしつつ
使わせて頂かなきゃいけないものだと思うから。

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