16歳8か月の愛猫ミーチェ(愛称みいみ)を2020年秋に亡くしました。
でもタイトルはこのままにして、その後の日々を綴っていこうと思います。
2008/5/29
わたしの日々や心が
どれほど波だっていようと、
みみにゃんは、動じることなく、
静かに、自分の日常を生きています。
安心しきって体を伸ばし、
満ち足りた様子で眠りに落ちる。
いつもながら、ちょっぴり変な寝相だけれど。
わたしの軸はぶれてばかりだけど、
みみにゃんの軸は何があっても決してぶれない、
・・・・・・・ように見える。うん。

みみにゃんの脱力パワーは
同時に私にとっては、安らぎパワーであり
幸せパワーでもあるのでした。

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2008/5/27
街では日に日に緑陰が深まり、
いつのまにか、すっかり初夏の装い。
近所ではやまぼうしの花が咲いていました。
大きな白い花が緑の葉に映えて、清々しいこと。
でも実は、花のようにみえる白い部分は葉っぱの一部で
本当の花は、真ん中にある緑色の球の
ひとつひとつの粒々なんだって。

秋になると、赤くて甘い実を結ぶと言うから
今からちょっぴり楽しみです。
父がその時元気でいたら
こっそりと、2つ3つ持って行ってあげよう。

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2008/5/25
実家から20−30分ほど歩くと、
のどかな田舎の風景が広がります。
子供の頃とは町の風景も随分変わったけれど
変わらない景色もありました。
水が豊かなこの地では
どこを歩いていても、水の流れる音がする。

いつもは父の車で通っていたけど
お墓のお掃除をしに、今日はひとり歩く道。
田植えの終わった青々した水田を抜けると、
そこに広がっていたのは黄金色の麦の海。
さわさわと麦の穂を揺らして
五月の風が吹き抜けていました。

この道を歩いたのは何年ぶりかしら。
風の音を聞きながら、
水の音を聞きながら、
なつかしい、せつない景色の中を
いろんなことを思いながら
ひとり歩いた、初夏の雨上がり。

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2008/5/24
父の容態は、肺炎を併発したり
麻痺が広がったりして
あまり思わしくない経過をたどってはいるのですが、
そのせいで、この頃頻繁に家族が集まります。
ここしばらくは、お盆やお正月でも
それぞれの事情や都合で
家族全員が揃うことは少なくなっていたのに。
この週末も雨の中、
姉妹3人が集まりました。
庭いじりの好きな父が植えた庭木は
真珠のような雨粒をいっぱいたたえて。

それぞれが不安や心配やいろいろな思いを抱えて
でも表面では明るく振舞いながら
こうして、父のもとにみんなが集まる時間。
これはきっと父が、
わたしたちにくれた贈りものなのでしょう。
この先きっと色々なことがあるだろうけど、
父がくれたこの贈りものに、
感謝することだけは忘れないでいよう。

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2008/5/22
わたしは、これまで
今この時が一番いい、
タイムマシンなんかいらない、と
ずっと思っていました。
そしてそれを無邪気に、
いいことだと思っていました。
前だけを見て生きていくのは良いことだ、と。
振り返ったり、後悔したりするのは
良くないことだと。
でも、それは単に恵まれていただけだったのだと、
四川大地震のニュースを見ていて思います。
5万人とも伝えられる被害者の家族に
あの日の朝に戻りたいと、願わぬ人はいないでしょう。
行ってらっしゃい、と送り出したきり帰らぬ子を
もう一度だけ抱きしめたいと、願わぬ親はいないでしょう。
その人たちの悲しみを見ていると
タイムマシンがあれば、と思わずにはいられない。
ネガティブだろうとなんだろうと
もう一度だけ、愛する家族の笑顔を見せてあげられれば。
ポジティブでなくてもいい。
後ろ向きになってもいい。
人が人として抱く悲しみを自然なものとして受けとめ
今はその悲しみに、
寄り添っていてあげたいと思う。
一緒にタイムマシンを切望したいと思う。
そのくらいのことしか、出来ないからこそ。
するとわたしの中にあったポジティブ至上主義が
春に雪が溶けるように、静かに溶けてゆくのでした。
ポジティブでもなく、ネガティブでもない、
ただ自然な、ありのままの心で
悲しみを抱えた多くの人たちと共に
今はタイムマシンに乗りたいと思うのです。

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2008/5/19
本当にご無沙汰続きでごめんなさい。
おかげさまで父は
救急治療室から一般病棟に移ることが出来ました。
半身の麻痺や嚥下障害、言語障害もあって
まだ寝たきり状態ですけれど、
こちらの言うことや、
わたしたちが誰かも、
随分わかっているようです。
そして少しずつ、父の発する音が
言葉としてわたしたちにも伝わるようになってきました。
昨日などは姉の言うことに
以前の父のような冗談で返したりも。
ゆっくりだったけど、全員に聞き取れる言葉でした。
どこまで意識があるのかわからない状態だったこともあり
父がすっかり変わってしまった気がして
正直、悲しい思いをしていたのですが、
あの軽口を聞いたとき、
うまく言えないけれど
「ああ、これは紛れもなく父だ」と
なんだかとても、ほっとしたのでした。

いろいろ障害を抱えた体ではあっても
その中には変わることのない父の意識がある。
わたしたちとの思い出を抱えたままの父の魂がある。
今はそれでじゅうぶん、と思えるくらい
うれしい出来事でした。
このまま容態が安定すれば
やがてはリハビリも待っていて
父にも家族にも長い道のりですが、
文字通り、一歩一歩、
退院までの道のりを、共に歩んでいけますように。

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2008/5/13
実は先週末に実家の父が倒れて入院しました。
過去数回経験した脳梗塞の発作の中でも
今回が一番状態が悪く、
意識不明にもなっただけに
一時はどうなることかと思いました。
今も絶対安静には変わりはなく、
どこまで認識出来ているのかは不明ですが、
どうにか全身の状態は安定しつつあり
ちょっとほっとひと息ついたところです。
そのため先週は、急遽実家に戻り、
入院先の病院に駆けつけたのですが、
その際、数十年ぶりで父の手を握りました。
あの時は意識もほとんどない状態でしたが
父の手はあたたかで、
そして思ったよりうんと、小さかった。
子供の頃は、もっと大きな手だと思っていたのに。

こんな年になってからだけど
しかもこんなとんでもない時だったけど
父の手をまたこうして握ることが出来て良かった、って
なぜだか、心からそう思いました。
普段元気なうちは手を握るなんてしないから、
下手したら、もう一生
握らないままだったかもしれないから。
来週から予定していたスイスの出張もキャンセルし
当面、実家と西宮を行ったり来たりになる上、
仕事では、ミャンマーのサイクロンと
中国の地震に忙殺されていて、
しばらくこのブログも更新出来ないかもしれないけれど
元気にがんばっていますから
どうか気長に待っていてくださいね。

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2008/5/9
昨日から職場では新しいインターンさんを迎えました。
ザンビアで半年ボランティアをした経験を持つ、
やる気に満ち、はきはきした、さわやかな青年。
ミャンマーのサイクロンの対応で
いきなりの怒涛の日々で申し訳ないけれど
笑顔で頑張ってくれています。
別れもあったけど、こうした出会いもあることが
本当にうれしくて、楽しい。
そして先日は、もう一人のインターン候補さんと電話で面接。
ラテン系(ジャマイカ人)とは思えないような
とてもやわらかで、落ち着いた受け答えをする人で、
面接の最後に、何かそちらから質問は?と尋ねたら
「この仕事の何が好きだと感じておられますか?」と。
あまりに新鮮で、
普段考えたことのない質問だっただけに
一緒に対応した上司ともども、
うーん、と考え込んでしまいました。
とりあえず思いつくことを答えはしたけれど
面接が終わった後になっても、
家に帰ってからも、ずっと考えました。
わたしは、この仕事の何が好きで続けているのかしら。

そうしたら、あの時答えた大きな答えのほかにも
たくさんの、小さな答えを見つけたの。
ああわたし、これも好きなんだ、
あれも、好きなんだ、って。
それらを、ひとつひとつ、数えていたら、
心がなんだかとても
まっすぐに、
しあわせに、
そしてちょっぴり謙虚になった。
当たり前になりすぎて、
こんな大事なこと、忘れてたなんて。
気に入らないことばかりに心が向いて、
幸せなことを、放ったらかしにし過ぎていたみたい。
それはわたしにとって、
インターン候補さんから贈られた、
「人を幸せにする質問」だったのでした。

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2008/5/5
お昼間遊んでしまったので
夜、少しでも勉強しようと机に向かったのに
突如現れたハイジャック犯が机を不法占拠。
にゃーと鳴きながら
ぴょんと机に飛び乗ってきたかと思えば、
わざわざ私の本やノートの上に
よっこらしょと座り込み
私が手にしていた鉛筆まで押さえこむという
大胆不敵な犯行。

平和的な解決をはかるべく
しばらくブラッシングしたり
なでたりを試みたものの
こう着状態を打開するに到らず、
その後やむなく、ソファーへと強制連行したのでした。

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2008/5/4
初夏のような陽射しの中
風に乗って、甘い香りが漂ってきました。
くんくん匂いをたどったら
どうやら香りの主は、この花のよう。

大きな木いっぱいに
白い藤のような房状の花が満開。
あたり一面が何ともいえない、
ふくいくとした、いい香り。
家に帰って調べてみたら
どうやらニセアカシアという木みたい。
こんなにきれいな花をつける木に
「ニセ」なんて名付けるなんて、
誰が付けたか、失礼な話です。
でも、何と呼ばれようと構うことなく
花は清らかに匂いたち、
明日は、もう立夏。

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