2010/5/3 16:03
【月】 100のお題
ぷっつりと夢が途切れ、タリウスは目を覚ました。朝までにはまだかなり時間がある。目を閉じようとして、何の気なしに隣のベッドを窺う。小さな弟が、丸くなって眠っている筈だった。
「シェール?」
だが、ここからでは弟の姿が確認出来ない。胸騒ぎがして、彼ははっきりと覚醒する。起き上がってベッドを検めるが、やはりどこにもいない。ぬくもりを失ったシーツに触れ、彼はじんわりと背中が濡れるのを感じた。
階下に向かい、真っ先に玄関の扉を確認する。思ったとおり、かんぬきが外れていた。次第に速くなる心臓を抑え、辺りを捜索する。月の綺麗な晩だった。
捜し物は案外早くに見つかった。裏庭に佇む小さな影を見て、安堵した直後、今度は言い様のない怒りが込み上げて来た。彼は息を殺し、獲物に近付く。
「んっ?!」
片手で身体を持ち上げ、残ったほうの手で口を塞ぐ。まるで釣られた魚のように、シェールは腕の中でジタバタと抵抗した。しかし、タリウスは一言も発することなく、そのまま玄関の前まで行き、階段へ腰を下ろす。そして、くるりとシェールの向きを変えた。
「やぁ!おにい…」
少しだけ自由になった上半身をくねらせ、自分をこんなめに遭わせているのが、兄だとわかる。
「いったぁ!」
バチン!と、いつの間にか剥かれてしまったお尻に、飛び切り痛い平手が降った。その後も休む間無く、小さなお尻を平手が襲う。
「やーだ!やーっ!んんっ」
強烈な痛みと恐怖に、シェールが声を上げると、またしても口を塞がれてしまった。その状態で十ばかりお仕置きをした後、タリウスは放心する弟を自分の前へ立たせた。
「ふぇっ…」
声を出せばきっとまた叱られる。そう悟ったシェールは、ぐずぐずと遠慮がちに泣いた。指の間から兄のほうを盗み見ると、恐ろしい形相でこちらを睨み付けている。その視線に耐え切れず、一度はおさまり掛けた涙が再び溢れた。
しばらくの間、膠着状態が続く。兄が自分に怒っているのは明白だ。ならば、自分に非があるのだろう。シェールには、それが何なのかまではよくわからなかったが、ともかくこれ以上はこの緊張に耐えられない。
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
怒った兄は本当に恐かったが、それでも頑張って目を見た。その目が僅かだが和らぐ。
「これが俺でなければ、どうなったと思う?」
言われて、先程突然抱え上げられたときの恐怖が戻ってくる。人買いや人さらいと呼ばれる輩がいることは、シェールも知っていた。恐らく兄はそういうことを言っているのだろう。
「帰って来れない」
自分で言っていて青くなる。
「お前のことはいつだって守ってやるつもりでいたが、こうも勝手なことをするのなら、無理かもしれない」
「ごめんなさい。もうこんなことしない。しないからぁ」
何だか兄に見捨てられるようで、シェールは居ても立ってもいられなかった。
「おいで」
幼い泣き顔を前に、するすると怒りが溶けていく。タリウスは膝の上へシェールを抱き上げた。
「目が覚めて、隣にお前がいないとわかったとき、どんな気持ちがしたかわかるか」
きっと自分なら半狂乱になって兄を捜すだろう。大の大人である兄に対してそうなのだから、ましてや自分が相手ならどうなるか。
「いっぱい心配した?」
「した」
短く返すと、弟は心底済まなそうな顔をした。
「子供を心配するのは親の努めだと思っている。だから良いけど、それでも少しは考えろ」
はい、とシェール。これ以上は何を言っても同じである。
「大体こんな夜中に何をしていた」
そこで、後は疑問を解消することにした。
「別に何も。ただ眠れなかったから」
「暗いところ、駄目なんじゃなかったか?」
「お月様が出てたから、外のほうが明るかった」
「あ、そう」
他に言い様がない。
「ともかく夜中に勝手に外へ出るな。これではいくら門限を守ったところで意味がないだろう」
「あ。そっか」
弟は目から鱗が落ちた様子だった。そんな弟を見ながら、タリウスは深い溜め息を吐く。
「そろそろ戻ろう」
とても眠れる状況ではなかったが、ともかく身体だけでも休めようと思った。シェールを下ろそうとすると、その目が不満そうにこちらを見た。
「お尻が痛くて眠れない」
「よしよし、わかった」
甘えた声にこちらもやさしい声音を使う。
「だったら、一晩中反省していなさい」
「うそぉ」
タリウスは生意気にも苦情を申し立てる弟を再び俯せにしてしまう。シェールはごめんなさいを連発する。そんな兄弟を月明かりがやさしく照らしていた。
了
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「シェール?」
だが、ここからでは弟の姿が確認出来ない。胸騒ぎがして、彼ははっきりと覚醒する。起き上がってベッドを検めるが、やはりどこにもいない。ぬくもりを失ったシーツに触れ、彼はじんわりと背中が濡れるのを感じた。
階下に向かい、真っ先に玄関の扉を確認する。思ったとおり、かんぬきが外れていた。次第に速くなる心臓を抑え、辺りを捜索する。月の綺麗な晩だった。
捜し物は案外早くに見つかった。裏庭に佇む小さな影を見て、安堵した直後、今度は言い様のない怒りが込み上げて来た。彼は息を殺し、獲物に近付く。
「んっ?!」
片手で身体を持ち上げ、残ったほうの手で口を塞ぐ。まるで釣られた魚のように、シェールは腕の中でジタバタと抵抗した。しかし、タリウスは一言も発することなく、そのまま玄関の前まで行き、階段へ腰を下ろす。そして、くるりとシェールの向きを変えた。
「やぁ!おにい…」
少しだけ自由になった上半身をくねらせ、自分をこんなめに遭わせているのが、兄だとわかる。
「いったぁ!」
バチン!と、いつの間にか剥かれてしまったお尻に、飛び切り痛い平手が降った。その後も休む間無く、小さなお尻を平手が襲う。
「やーだ!やーっ!んんっ」
強烈な痛みと恐怖に、シェールが声を上げると、またしても口を塞がれてしまった。その状態で十ばかりお仕置きをした後、タリウスは放心する弟を自分の前へ立たせた。
「ふぇっ…」
声を出せばきっとまた叱られる。そう悟ったシェールは、ぐずぐずと遠慮がちに泣いた。指の間から兄のほうを盗み見ると、恐ろしい形相でこちらを睨み付けている。その視線に耐え切れず、一度はおさまり掛けた涙が再び溢れた。
しばらくの間、膠着状態が続く。兄が自分に怒っているのは明白だ。ならば、自分に非があるのだろう。シェールには、それが何なのかまではよくわからなかったが、ともかくこれ以上はこの緊張に耐えられない。
「ごめんなさい、お兄ちゃん」
怒った兄は本当に恐かったが、それでも頑張って目を見た。その目が僅かだが和らぐ。
「これが俺でなければ、どうなったと思う?」
言われて、先程突然抱え上げられたときの恐怖が戻ってくる。人買いや人さらいと呼ばれる輩がいることは、シェールも知っていた。恐らく兄はそういうことを言っているのだろう。
「帰って来れない」
自分で言っていて青くなる。
「お前のことはいつだって守ってやるつもりでいたが、こうも勝手なことをするのなら、無理かもしれない」
「ごめんなさい。もうこんなことしない。しないからぁ」
何だか兄に見捨てられるようで、シェールは居ても立ってもいられなかった。
「おいで」
幼い泣き顔を前に、するすると怒りが溶けていく。タリウスは膝の上へシェールを抱き上げた。
「目が覚めて、隣にお前がいないとわかったとき、どんな気持ちがしたかわかるか」
きっと自分なら半狂乱になって兄を捜すだろう。大の大人である兄に対してそうなのだから、ましてや自分が相手ならどうなるか。
「いっぱい心配した?」
「した」
短く返すと、弟は心底済まなそうな顔をした。
「子供を心配するのは親の努めだと思っている。だから良いけど、それでも少しは考えろ」
はい、とシェール。これ以上は何を言っても同じである。
「大体こんな夜中に何をしていた」
そこで、後は疑問を解消することにした。
「別に何も。ただ眠れなかったから」
「暗いところ、駄目なんじゃなかったか?」
「お月様が出てたから、外のほうが明るかった」
「あ、そう」
他に言い様がない。
「ともかく夜中に勝手に外へ出るな。これではいくら門限を守ったところで意味がないだろう」
「あ。そっか」
弟は目から鱗が落ちた様子だった。そんな弟を見ながら、タリウスは深い溜め息を吐く。
「そろそろ戻ろう」
とても眠れる状況ではなかったが、ともかく身体だけでも休めようと思った。シェールを下ろそうとすると、その目が不満そうにこちらを見た。
「お尻が痛くて眠れない」
「よしよし、わかった」
甘えた声にこちらもやさしい声音を使う。
「だったら、一晩中反省していなさい」
「うそぉ」
タリウスは生意気にも苦情を申し立てる弟を再び俯せにしてしまう。シェールはごめんなさいを連発する。そんな兄弟を月明かりがやさしく照らしていた。
了

2010/4/23 22:46
【陽だまり】 100のお題
ある日の朝、夢と現を行ったり来たりしていると、突如怪獣の子供に圧し掛かられた。
「お兄ちゃん!ねえお兄ちゃんってば」
自分を呼ぶ幼い声に、タリウスは重い瞼を上げる。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう…。何故、俺の上にいるんだ?」
弟は無邪気な笑みを浮かべ、毛布の上から自分に乗っかっていた。
「朝だから起こしてあげたの」
「そうか、それはどうも」
手探りで時計を引き寄せふたをあける。見れば時計の針はいつもに比べ一時間早い時刻を指していた。
「約束、覚えているでしょう」
「約束?………ああ、今日は一日、お前と遊ぶ約束だったな」
たまの休日である。一緒に過ごそうと前から決めていた。
「良かった!だったら早く起きて」
目を輝かせて嬉しがる弟に、もう一時間寝かせろとはとても言えない。
それにしても、小さな弟は何故こんなにも自分に懐くのだろう。遊ぶと言っても、何か特別なことをしてやるわけではない。弟の遊びにただひたすら付き合うだけだ。
「わかった。だが、シェール。次からはもう少し、やさしく起こしてくれ」
弟は一瞬きょとんとした後、わかったと言って退いてくれた。
のんびりと身仕度を済ませたが、それでも朝食にはいくらか時間があった。折角早起きをしたというのに、このまま部屋で時間をつぶすのでは勿体ない。
「散歩にでも行くか?」
思い付いてそう提案すると、シェールはぴょんぴょん飛び跳ねた。
シェールと手をつなぎ、ゆっくりと石畳を歩いた。いつもは足早に通り過ぎるこの道も、今日は何だか違って見える。
「そんなに急いでどこへ行こうと言うの?」
思い返せば、それは初めてエレインが自分に向けた言葉だった。
その当時、彼は判で押したような毎日をがむしゃらに生きていた。別段これといった目標があったわけではない。ただ立ち止まることが出来なかった。
彼にとって、奔放な女性士官はまるで理解不能だった。その突飛な言動と、予測不能の行動は、彼を苛立たせ、ときに頭痛のタネにさえなった。しかし、どんなに彼がつれなくとも、変わらず自分に笑い掛けるその姿に、いつしか雪解けが訪れた。彼女は、まるで陽だまりのようだった。
「お兄ちゃん?」
不思議そうに自分を見上げるのは、瞼の裏の旧友にそっくりな瞳。
「うん?」
「何を考えていたの?」
「エレインのこと」
「ママ?」
よほど意外だったのか、単に気になるのか、はたまたその両方か。シェールは、何でどうしてと食いつく。
「昔、エレインにたまにはのんびり歩いたらと言われてね。なるほど、それも悪くないと思った」
実際、エレインとは他愛のない話をしながらよく一緒に歩いた。大概は身のない話だったが、時には、直接的ではないにしろ、アドバイスめいたものをくれることもあった。
「お兄ちゃんはママが好き?」
「好きだよ」
屈託のない笑顔を向けられ、自分でも驚くほどさらりと言ってのけた。弟は自分もだと言って笑う。穏やかな光の中、弟とふたり過ごすこの時間が、タリウスには何とも心地良い。
了
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「お兄ちゃん!ねえお兄ちゃんってば」
自分を呼ぶ幼い声に、タリウスは重い瞼を上げる。
「おはよう、お兄ちゃん」
「おはよう…。何故、俺の上にいるんだ?」
弟は無邪気な笑みを浮かべ、毛布の上から自分に乗っかっていた。
「朝だから起こしてあげたの」
「そうか、それはどうも」
手探りで時計を引き寄せふたをあける。見れば時計の針はいつもに比べ一時間早い時刻を指していた。
「約束、覚えているでしょう」
「約束?………ああ、今日は一日、お前と遊ぶ約束だったな」
たまの休日である。一緒に過ごそうと前から決めていた。
「良かった!だったら早く起きて」
目を輝かせて嬉しがる弟に、もう一時間寝かせろとはとても言えない。
それにしても、小さな弟は何故こんなにも自分に懐くのだろう。遊ぶと言っても、何か特別なことをしてやるわけではない。弟の遊びにただひたすら付き合うだけだ。
「わかった。だが、シェール。次からはもう少し、やさしく起こしてくれ」
弟は一瞬きょとんとした後、わかったと言って退いてくれた。
のんびりと身仕度を済ませたが、それでも朝食にはいくらか時間があった。折角早起きをしたというのに、このまま部屋で時間をつぶすのでは勿体ない。
「散歩にでも行くか?」
思い付いてそう提案すると、シェールはぴょんぴょん飛び跳ねた。
シェールと手をつなぎ、ゆっくりと石畳を歩いた。いつもは足早に通り過ぎるこの道も、今日は何だか違って見える。
「そんなに急いでどこへ行こうと言うの?」
思い返せば、それは初めてエレインが自分に向けた言葉だった。
その当時、彼は判で押したような毎日をがむしゃらに生きていた。別段これといった目標があったわけではない。ただ立ち止まることが出来なかった。
彼にとって、奔放な女性士官はまるで理解不能だった。その突飛な言動と、予測不能の行動は、彼を苛立たせ、ときに頭痛のタネにさえなった。しかし、どんなに彼がつれなくとも、変わらず自分に笑い掛けるその姿に、いつしか雪解けが訪れた。彼女は、まるで陽だまりのようだった。
「お兄ちゃん?」
不思議そうに自分を見上げるのは、瞼の裏の旧友にそっくりな瞳。
「うん?」
「何を考えていたの?」
「エレインのこと」
「ママ?」
よほど意外だったのか、単に気になるのか、はたまたその両方か。シェールは、何でどうしてと食いつく。
「昔、エレインにたまにはのんびり歩いたらと言われてね。なるほど、それも悪くないと思った」
実際、エレインとは他愛のない話をしながらよく一緒に歩いた。大概は身のない話だったが、時には、直接的ではないにしろ、アドバイスめいたものをくれることもあった。
「お兄ちゃんはママが好き?」
「好きだよ」
屈託のない笑顔を向けられ、自分でも驚くほどさらりと言ってのけた。弟は自分もだと言って笑う。穏やかな光の中、弟とふたり過ごすこの時間が、タリウスには何とも心地良い。
了

2010/4/11 14:37
【目覚め】 100のお題
本科生の卒校から、次の予科生の入校までの間、国内すべての士官学校が閉鎖される。この間、予科生は例外なく家に帰された。表向きは、本格的な戦闘訓練へ入る前に彼らに英気を養わせることを目的としているが、実際のところは教官へ休暇を取らせるためにしている。本科生に最後の梃入れをし、その間に新たに予科生となるべく少年たちを選抜する。この時期は、流石の鬼たちもクタクタに疲弊するのだ。
そんな鬼のひとり、タリウスは妻と共に遅めの朝食を摂るところだった。
「シェール、起きてきませんね。疲れているんでしょうけど、昨日もそのまま寝てしまったし」
妻は食事のセッティングの済んだ空席に目をやり、ちょっと見てきてくださらないと言った。
「わかった」
彼は返事を返し、席を立った。
「シェール、起きろ」
戸を叩きながら何度か声を掛けるが反応がない。
「入るよ」
戸を開けベッドへ視線を落とすと、すやすやと眠りこける弟の姿があった。時を経ても、無邪気な寝顔は少しも変わらない。半分だけクッションに埋もれた弟の横顔を見ながら、過ぎ去りし日のことが思い起こされる。この天使の笑みの裏に隠された小悪魔の顔に、随分と手を焼いたものだ。そう考えると、たまにはいいかなと彼の中で少しだけ規範意識が薄れた。そうなると、珍しく湧き上がってきた悪戯心を抑えることがもう出来ない。
「起きろ!シェール=マクレリイ!いつまで寝ている!」
その独特の発声に、文字通りシェールはベッドから飛び起きた。
「申し訳ありませ………って、お兄ちゃん」
うそでしょう、とシェールは仰向けでベッドへ倒れこむ。兄はニヤリと笑った。
「おはよう。気分はどうだ?」
「最低」
むくれる弟を尻目に、そうか、とタリウスは悪びれる様子もない。
「そうかじゃないよ。もう、勘弁してよね」
「お前がなかなか起きてこないからだろう」
「だからって、心臓が止まるかと思った」
先生かと思ったし、と呟き、先生なんだろうけど、と更に呟く。彼もまた、昨年から地方の士官学校へ入校していた。
「とにかく一度起きてきなさい。食事をしてからまた眠れば良いだろう」
「わかった。すぐに行くよ」
いくつになっても兄には敵わない。それどころか、少し見ないうちに性格が悪くなったのではないかと、シェールは頭を抱えた。
了
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そんな鬼のひとり、タリウスは妻と共に遅めの朝食を摂るところだった。
「シェール、起きてきませんね。疲れているんでしょうけど、昨日もそのまま寝てしまったし」
妻は食事のセッティングの済んだ空席に目をやり、ちょっと見てきてくださらないと言った。
「わかった」
彼は返事を返し、席を立った。
「シェール、起きろ」
戸を叩きながら何度か声を掛けるが反応がない。
「入るよ」
戸を開けベッドへ視線を落とすと、すやすやと眠りこける弟の姿があった。時を経ても、無邪気な寝顔は少しも変わらない。半分だけクッションに埋もれた弟の横顔を見ながら、過ぎ去りし日のことが思い起こされる。この天使の笑みの裏に隠された小悪魔の顔に、随分と手を焼いたものだ。そう考えると、たまにはいいかなと彼の中で少しだけ規範意識が薄れた。そうなると、珍しく湧き上がってきた悪戯心を抑えることがもう出来ない。
「起きろ!シェール=マクレリイ!いつまで寝ている!」
その独特の発声に、文字通りシェールはベッドから飛び起きた。
「申し訳ありませ………って、お兄ちゃん」
うそでしょう、とシェールは仰向けでベッドへ倒れこむ。兄はニヤリと笑った。
「おはよう。気分はどうだ?」
「最低」
むくれる弟を尻目に、そうか、とタリウスは悪びれる様子もない。
「そうかじゃないよ。もう、勘弁してよね」
「お前がなかなか起きてこないからだろう」
「だからって、心臓が止まるかと思った」
先生かと思ったし、と呟き、先生なんだろうけど、と更に呟く。彼もまた、昨年から地方の士官学校へ入校していた。
「とにかく一度起きてきなさい。食事をしてからまた眠れば良いだろう」
「わかった。すぐに行くよ」
いくつになっても兄には敵わない。それどころか、少し見ないうちに性格が悪くなったのではないかと、シェールは頭を抱えた。
了

2010/3/1 22:49
【悪夢】 100のお題
暗闇を歩いていると、ふいに背後から肩を掴まれた。咄嗟に振り払おうとするが、そのまま強い力で引きずられてしまう。懸命に身を捩って抵抗した。
気付けば、自分に向かって無数の手が伸びてくる。振り払っても振り払っても、一向に消える気配がない。身体が鉛のように重かった。
このまま訳もわからず滅びていくのだろうか。諦めかけたそのとき、目の前に小さな光が現われる。あたたかで、やさしいその光に、必死で手を伸ばした。
目を開けると、いつもと同じ天井があった。そこで、タリウスは自分が夢をみていたのだとわかる。
「っ!」
突然、今度は現実に腕を引っ張られ、心臓がドキッと鳴った。
「みゃぅ…」
腕を引くと、言葉にならない幼い声が聞こえてきた。
「なんだ、またお前か」
いつの間にか、小さな弟がベッドへ潜り込んで来ていた。掴まるものを失い、シェールはコロンと転がった。
「しょうがないな」
弟を捕獲し、毛布に入れてやる。ここに来たということは、彼もまた悪夢をみたのだろう。夢くらいひとりでみてくれ。そんなことを思った。
「ん?」
弟の柔らかい頬に触れると、人肌のぬくもりが心地よかった。ひょっとしたら、あの光の正体は彼だったのかもしれない。守っているようで、自分のほうこそ守られているのかもしれない。ぼんやりと考えていると、睡魔が襲ってきた。今度はきっと良い夢がみられることだろう。
了
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気付けば、自分に向かって無数の手が伸びてくる。振り払っても振り払っても、一向に消える気配がない。身体が鉛のように重かった。
このまま訳もわからず滅びていくのだろうか。諦めかけたそのとき、目の前に小さな光が現われる。あたたかで、やさしいその光に、必死で手を伸ばした。
目を開けると、いつもと同じ天井があった。そこで、タリウスは自分が夢をみていたのだとわかる。
「っ!」
突然、今度は現実に腕を引っ張られ、心臓がドキッと鳴った。
「みゃぅ…」
腕を引くと、言葉にならない幼い声が聞こえてきた。
「なんだ、またお前か」
いつの間にか、小さな弟がベッドへ潜り込んで来ていた。掴まるものを失い、シェールはコロンと転がった。
「しょうがないな」
弟を捕獲し、毛布に入れてやる。ここに来たということは、彼もまた悪夢をみたのだろう。夢くらいひとりでみてくれ。そんなことを思った。
「ん?」
弟の柔らかい頬に触れると、人肌のぬくもりが心地よかった。ひょっとしたら、あの光の正体は彼だったのかもしれない。守っているようで、自分のほうこそ守られているのかもしれない。ぼんやりと考えていると、睡魔が襲ってきた。今度はきっと良い夢がみられることだろう。
了

2010/2/28 0:55
【逃走】 100のお題
「シェール!待ちなさい!」
待てと言われて待つくらいなら、初めから逃げたりしまい。弟は息急き切って駆け出し、一瞬にしてタリウスの視界から消えた。
いかに油断していたとは言え、相手は子供である。本気になるまでもなく捕まえられそうなものだが、いかんせんすばしっこい。そして、更に厄介なことに、弟は障害物によじ登ったり、狭い隙間を通り抜けたりとおよそ自分には予測できない動きをするのだ。
「さて、どうしたものか」
タリウスは空を仰ぐ。腕白な弟が、この追いかけっこを楽しんでいるのは明らかだった。このままでは相手の思うつぼである。彼はしばし考えた後、弟が消えたのとは逆の方向へ走り出した。
「捕まえた」
流石に息が上がったとみえて、弟はぺたりと草むらに座っていた。
「何で?!」
背後ばかりを気にしていたのだろう。正面からやってきた兄に、シェールはぎょっとした。
「さあな。あまり俺を舐めてもらっては困る」
あの後、タリウスは弟の向かった先に検討を付け、回り道をして逆方向からやってきたのだ。行き先さえ分かれば、こちらのものだった。
「さあ、追いかけっこはおしまい。今度はお仕置きの時間だ」
「そんなぁ。ここで?」
弟は情けない声と共に、自分を見上げてくる。もう逃げられないと一応は観念したようだった。
「宿屋へ帰ったって良いが…」
言いかけてはっとなる。自室へ戻ったらやらなくてはならないことがある。それに、道すがらまたいつ追いかけっこの続きが始まるかもわからない。
「いいや、だめだ。立ちなさい」
渋々立ち上がる弟を脇へ挟むようにして抱える。シェールは地を蹴って暴れたが、構わずズボンに手を掛ける。
「全く、部屋の中では大人しくしていろと言っただろうが」
大きな掌がピシャピシャとお尻を叩く。これが初めての注意ではない。怒るよりもむしろ呆れた。
「それをお前は何をした?」
「逆立ちの、練習。もう少しで出来そうだったんだけど…」
なんとも惜しそうなその声に、反省の色なしと判断する。
「そんなことは今聞いていない」
タリウスは叩く手を強める。一方、本気でお尻の痛くなってきた弟は泣きわめきながら結構な力で暴れた。
「その逆立ちの練習のせいで、水差しを割ったのだろう」
「ごめんなさい。でもわざとじゃないもん」
「わざとでなければ良いというものではない。あんな狭いところでそんなことをしたらどうなるか。少し考えればわかるはずだ」
まだまだ反省し足りない弟のお尻を、容赦なく赤く染め上げていく。
「ごめんなさいっ。ごめんなさい!もう、もうしないからぁ」
先ほどまでとは違い、弟は必死に訴える。お尻がジンジンと痛む。痛過ぎて感覚がなくなりそうなものだが、あいにくはっきりと痛みがあった。
「今日だけでいくつ悪いことをした?」
「えーと、お部屋で逆立ちして、水差し壊して、それから…。あ、逃げた!」
「それが一番悪い!」
パシン!と一際強く打つと、うぎゃあという叫び声が上がった。あとは、ひたすら泣き叫ぶだけだ。毎度のことながら弟の涙には弱いタリウスである。叩く手を止めても未だなお声をあげて泣くシェールを見ていられない。
「いいか、どんなに罰が怖くても逃げ出すなんて卑怯なことはするな。どの道叱られるんだ。最初から潔くしなさい」
ごめんなさい、と擦れた声を絞り出す。顔もお尻も真っ赤である。
「ではあと10回、逃げた分のお仕置きだ。素直に出来ないとどうなるか、よく覚えておきなさい」
とりあえず終わりは見えたが、まだ終わりではない。シェールは逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、ここで兄を怒らすのは得策ではないと既に学んでいる。彼はお腹の下に入れられた兄の腕に、ぎゅっと掴まった。
パン!パン!と規則正しくきっちり10回、お尻に平手が降った。
「おしまいだ、シェール」
後から後からやってくる痛みに耐えるので精いっぱいだった。それ故、いくつ打たれたのか、数えている余裕はなかった。やさしくズボンを上げられて、お仕置きが終わったことを知る。
「もういいよ」
うわあっと泣きながら自分に抱きついてくる弟を、今度はなだめる。しばらく小さな背中を擦っていると、やがて落ち着いたのか両手で涙を拭い始めた。
「帰るよ。まだすることがあるだろう?」
「お片付け?」
確かに弟がしでかしたことの結果である。本来ならば自分で始末させるのが筋だったが、割れた破片で怪我でもされたらたまらない。
「それは良い。だが、あの水差しはそもそも誰のものだ?」
「おばちゃんの…。そっか、おばちゃんに謝らなきゃ」
女将の性格からいって、こんなことで目くじらを立てることはないだろう。それでもやはりけじめはつけさせなければならない。弟がすんなり理解したことに、タリウスは胸を撫で下ろす。
「帰る」
言ってタリウスの手を取る。兄の心配をよそに、宿屋へ辿り着くまでの間、シェールがその手から離れることはなかった。
了
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待てと言われて待つくらいなら、初めから逃げたりしまい。弟は息急き切って駆け出し、一瞬にしてタリウスの視界から消えた。
いかに油断していたとは言え、相手は子供である。本気になるまでもなく捕まえられそうなものだが、いかんせんすばしっこい。そして、更に厄介なことに、弟は障害物によじ登ったり、狭い隙間を通り抜けたりとおよそ自分には予測できない動きをするのだ。
「さて、どうしたものか」
タリウスは空を仰ぐ。腕白な弟が、この追いかけっこを楽しんでいるのは明らかだった。このままでは相手の思うつぼである。彼はしばし考えた後、弟が消えたのとは逆の方向へ走り出した。
「捕まえた」
流石に息が上がったとみえて、弟はぺたりと草むらに座っていた。
「何で?!」
背後ばかりを気にしていたのだろう。正面からやってきた兄に、シェールはぎょっとした。
「さあな。あまり俺を舐めてもらっては困る」
あの後、タリウスは弟の向かった先に検討を付け、回り道をして逆方向からやってきたのだ。行き先さえ分かれば、こちらのものだった。
「さあ、追いかけっこはおしまい。今度はお仕置きの時間だ」
「そんなぁ。ここで?」
弟は情けない声と共に、自分を見上げてくる。もう逃げられないと一応は観念したようだった。
「宿屋へ帰ったって良いが…」
言いかけてはっとなる。自室へ戻ったらやらなくてはならないことがある。それに、道すがらまたいつ追いかけっこの続きが始まるかもわからない。
「いいや、だめだ。立ちなさい」
渋々立ち上がる弟を脇へ挟むようにして抱える。シェールは地を蹴って暴れたが、構わずズボンに手を掛ける。
「全く、部屋の中では大人しくしていろと言っただろうが」
大きな掌がピシャピシャとお尻を叩く。これが初めての注意ではない。怒るよりもむしろ呆れた。
「それをお前は何をした?」
「逆立ちの、練習。もう少しで出来そうだったんだけど…」
なんとも惜しそうなその声に、反省の色なしと判断する。
「そんなことは今聞いていない」
タリウスは叩く手を強める。一方、本気でお尻の痛くなってきた弟は泣きわめきながら結構な力で暴れた。
「その逆立ちの練習のせいで、水差しを割ったのだろう」
「ごめんなさい。でもわざとじゃないもん」
「わざとでなければ良いというものではない。あんな狭いところでそんなことをしたらどうなるか。少し考えればわかるはずだ」
まだまだ反省し足りない弟のお尻を、容赦なく赤く染め上げていく。
「ごめんなさいっ。ごめんなさい!もう、もうしないからぁ」
先ほどまでとは違い、弟は必死に訴える。お尻がジンジンと痛む。痛過ぎて感覚がなくなりそうなものだが、あいにくはっきりと痛みがあった。
「今日だけでいくつ悪いことをした?」
「えーと、お部屋で逆立ちして、水差し壊して、それから…。あ、逃げた!」
「それが一番悪い!」
パシン!と一際強く打つと、うぎゃあという叫び声が上がった。あとは、ひたすら泣き叫ぶだけだ。毎度のことながら弟の涙には弱いタリウスである。叩く手を止めても未だなお声をあげて泣くシェールを見ていられない。
「いいか、どんなに罰が怖くても逃げ出すなんて卑怯なことはするな。どの道叱られるんだ。最初から潔くしなさい」
ごめんなさい、と擦れた声を絞り出す。顔もお尻も真っ赤である。
「ではあと10回、逃げた分のお仕置きだ。素直に出来ないとどうなるか、よく覚えておきなさい」
とりあえず終わりは見えたが、まだ終わりではない。シェールは逃げ出したい気持ちでいっぱいだったが、ここで兄を怒らすのは得策ではないと既に学んでいる。彼はお腹の下に入れられた兄の腕に、ぎゅっと掴まった。
パン!パン!と規則正しくきっちり10回、お尻に平手が降った。
「おしまいだ、シェール」
後から後からやってくる痛みに耐えるので精いっぱいだった。それ故、いくつ打たれたのか、数えている余裕はなかった。やさしくズボンを上げられて、お仕置きが終わったことを知る。
「もういいよ」
うわあっと泣きながら自分に抱きついてくる弟を、今度はなだめる。しばらく小さな背中を擦っていると、やがて落ち着いたのか両手で涙を拭い始めた。
「帰るよ。まだすることがあるだろう?」
「お片付け?」
確かに弟がしでかしたことの結果である。本来ならば自分で始末させるのが筋だったが、割れた破片で怪我でもされたらたまらない。
「それは良い。だが、あの水差しはそもそも誰のものだ?」
「おばちゃんの…。そっか、おばちゃんに謝らなきゃ」
女将の性格からいって、こんなことで目くじらを立てることはないだろう。それでもやはりけじめはつけさせなければならない。弟がすんなり理解したことに、タリウスは胸を撫で下ろす。
「帰る」
言ってタリウスの手を取る。兄の心配をよそに、宿屋へ辿り着くまでの間、シェールがその手から離れることはなかった。
了
