2021/7/23 3:11
続ジョージア先生の長い長い夜6 小説
一通り罰を受け終わり、ポーターは息も絶え絶え、自室に引き上げた。幸い他の訓練生たちは授業に行っており、居室には自分以外誰もいない。ポーターはベッドに倒れ込み、うつ伏せのまま放心した。
どのくらい経っただろうか。こちらへ近付いてくる長靴の音に、反射的に目を上げると、軍長靴が入ってくるのが見えた。
「せんせい」
慌てて身体を起こそうとするが、力が入らない。と言うより、迂闊に力を入れると、ただでさえボロボロになった身体に堪えがたい痛みが走るのだ。
「酷い有り様だな」
教官は寝転んだままのポーターを一瞥した。こんな無礼な状態で教官と話をするわけにはいかないが、どうにも身体が動かなかった。ひとまず立ち上がることは断念し、ポーターはベッドに膝をついた。
「結局、お前は貧民街で何をしていた?本気で泥棒を追っていたのか」
「いえ、流石に自分の手に負えるような相手ではないと思いました。ただ、先週初めてあそこに行って、何だかいろいろ気になってしまって」
「いろいろ?」
「今まで気付かなかったと言うか、知り得なかった世界があって、目が離せなくなりました。あそこに住んでいるから悪人だとか、そういうことではない感じがして。もちろん知ったところで、何か出来るわけでもないですが」
ふいに切なそうな表情を浮かべるポーターを見て、タリウスの胸がドキリと脈打つ。
「ならば、知らないほうが良かったか」
「あ、いえ」
ポーターは一瞬思考した後、顔を上げた。
「こんな騒ぎを起こしておいて、言うべきことではないかもしれませんが、やっぱり知れて良かったです。知らなければ何も始まらない、そう自分は思います」
たとえそのせいで余計に悩むことになったとして、本望だと言うのだろうか。
唐突に、自宅に残してきた我が子のことが頭をよぎった。馬鹿がつくほどお人好しな息子が、この社会の不条理を知ったとき、同じようなことが起こるかもしれない。
「いずれにせよ、まずは自分のことだ。自分の面倒もろくに見られない奴か、他人の心配をするなどおこがましい」
「すみません」
ポーターが目を伏せた。
「お前か謝るべきは、俺やミルズ先生だけか」
「ノーウッド先生にもご迷惑を…」
「ノーウッド先生は、今お休みされている。帰ってきてから、最後に伺えば良い。付き合ってやるから、ついて来い」
言うが早い、教官は颯爽と戸口へ立った。ポーターはいまひとつ話が飲み込めず、呆然と教官を見上げた。
「ぐずぐずするな。直ちにまともな成りをして、下へ来い」
「はい!」
鋭く命じられ、ポーターは勢い良く起立した。身体は悲鳴を上げたが、そんなことにはかまっていられなかった。
「ほう。意外に元気だな」
そんなポーターを見て、教官はしきりに感心していた。
人間その気になれば何とかなるもので、先程は起き上がるのさえ億劫だったポーターも、今は教官に伴われ城門までどうにか辿り着くことが出来た。
「珍しいな、教官」
目当ての人物は、部下から突然の来訪を聞かされると、すぐさま城門の外側まで出てきた。
「トラバース城門警備隊長殿。昨日は夜分に大変ご迷惑をお掛けいたしました」
タリウスがまずは頭を下げ、続いて一歩後ろに下がったところにいたポーターもそれに倣った。
「ああ、昨日の。こいつがその、いなくなった訓練生?」
「カヴァナーです。昨日は自分のせいで、申し訳ありませんでした」
「別に良いって」
レックス=トラバースのいかにも軽い言葉に安堵したのも束の間、続く台詞にポーターは絶句した。
「何もお前のためじゃない」
「え………?」
「ミルズ先生に言われて、断れるわけがないだろう。まあ、これでお前も一生ミルズ先生の言いなりってわけだ」
沈黙するポーターを横目に、レックスは教官に向けて更に続ける。
「で、結局、どこにいたんだ?」
「それが、公安に保護されていまして」
「公安?!」
必要最小限の声しか発しないタリウスとは対照的に、レックスは素頓狂な声を上げた。
「先生、キレただろう。オニ切れ」
「ご想像のとおりです。詳しい経緯は恐らくこちらに」
そこで、タリウスはレックスに封書を差し出した。
「うん?」
表書きは自分宛、裏を返すとそこにはかつての師のサインがあった。
「忙しいだろうに、先生こういうとこマメだよな」
かつての師を思い、レックスは目を細めた。それからポケットに封書をしまった。
「これからファルコン、中央教育隊に?」
「そのつもりです」
「そうか、ファルコンはああ見えて、いや………あいつこそ怒らせるとヤバいから、精々気を付けろよ」
「はい…」
ポーターは小さくなって、城門を後にした。
「教官、昨日は散々だったな」
宣言どおり、続いて彼らが訪れたのは中央教育隊である。
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。多大なるご協力に感謝します」
「いや。それで、こいつが?」
ファルコンがポーターに探るような目を向けた。タリウスが肯定すると、ファルコンは近くへ来るよう無言で手招きした。
「あまり先生を心配させるな」
ファルコンの言葉に既視感をおぼえ、ポーターははっと目を上げた。それからしばしの間、目の前の男を凝視した。男は大柄で、教官に負けるとも劣らない仏頂面で、こちらを見下ろしている。
「正直、昨日の先生は見ていて忍びなかった」
「すいません」
「あそこにいるうちはわからないかもしれないが、お前は先生たちに守られて生きているんだ。そのことを常に頭に入れて行動しろ」
「はい、申し訳…」
「もう良い。昨日からそればかりだろう。これから取り返せば良い」
謝罪の言葉は途中で途切れ、代わりに結構な力で肩を叩かれた。堪えきれずにふらつくと、ファルコンはしっかりしろと言って笑った。
「お前、この辺りの出身か」
「いえ、違います」
「そうか、見たことがあるような気がしたんだがな。人違いか」
ファルコンは空を仰ぎながら、頭を掻いた。
了
16
どのくらい経っただろうか。こちらへ近付いてくる長靴の音に、反射的に目を上げると、軍長靴が入ってくるのが見えた。
「せんせい」
慌てて身体を起こそうとするが、力が入らない。と言うより、迂闊に力を入れると、ただでさえボロボロになった身体に堪えがたい痛みが走るのだ。
「酷い有り様だな」
教官は寝転んだままのポーターを一瞥した。こんな無礼な状態で教官と話をするわけにはいかないが、どうにも身体が動かなかった。ひとまず立ち上がることは断念し、ポーターはベッドに膝をついた。
「結局、お前は貧民街で何をしていた?本気で泥棒を追っていたのか」
「いえ、流石に自分の手に負えるような相手ではないと思いました。ただ、先週初めてあそこに行って、何だかいろいろ気になってしまって」
「いろいろ?」
「今まで気付かなかったと言うか、知り得なかった世界があって、目が離せなくなりました。あそこに住んでいるから悪人だとか、そういうことではない感じがして。もちろん知ったところで、何か出来るわけでもないですが」
ふいに切なそうな表情を浮かべるポーターを見て、タリウスの胸がドキリと脈打つ。
「ならば、知らないほうが良かったか」
「あ、いえ」
ポーターは一瞬思考した後、顔を上げた。
「こんな騒ぎを起こしておいて、言うべきことではないかもしれませんが、やっぱり知れて良かったです。知らなければ何も始まらない、そう自分は思います」
たとえそのせいで余計に悩むことになったとして、本望だと言うのだろうか。
唐突に、自宅に残してきた我が子のことが頭をよぎった。馬鹿がつくほどお人好しな息子が、この社会の不条理を知ったとき、同じようなことが起こるかもしれない。
「いずれにせよ、まずは自分のことだ。自分の面倒もろくに見られない奴か、他人の心配をするなどおこがましい」
「すみません」
ポーターが目を伏せた。
「お前か謝るべきは、俺やミルズ先生だけか」
「ノーウッド先生にもご迷惑を…」
「ノーウッド先生は、今お休みされている。帰ってきてから、最後に伺えば良い。付き合ってやるから、ついて来い」
言うが早い、教官は颯爽と戸口へ立った。ポーターはいまひとつ話が飲み込めず、呆然と教官を見上げた。
「ぐずぐずするな。直ちにまともな成りをして、下へ来い」
「はい!」
鋭く命じられ、ポーターは勢い良く起立した。身体は悲鳴を上げたが、そんなことにはかまっていられなかった。
「ほう。意外に元気だな」
そんなポーターを見て、教官はしきりに感心していた。
人間その気になれば何とかなるもので、先程は起き上がるのさえ億劫だったポーターも、今は教官に伴われ城門までどうにか辿り着くことが出来た。
「珍しいな、教官」
目当ての人物は、部下から突然の来訪を聞かされると、すぐさま城門の外側まで出てきた。
「トラバース城門警備隊長殿。昨日は夜分に大変ご迷惑をお掛けいたしました」
タリウスがまずは頭を下げ、続いて一歩後ろに下がったところにいたポーターもそれに倣った。
「ああ、昨日の。こいつがその、いなくなった訓練生?」
「カヴァナーです。昨日は自分のせいで、申し訳ありませんでした」
「別に良いって」
レックス=トラバースのいかにも軽い言葉に安堵したのも束の間、続く台詞にポーターは絶句した。
「何もお前のためじゃない」
「え………?」
「ミルズ先生に言われて、断れるわけがないだろう。まあ、これでお前も一生ミルズ先生の言いなりってわけだ」
沈黙するポーターを横目に、レックスは教官に向けて更に続ける。
「で、結局、どこにいたんだ?」
「それが、公安に保護されていまして」
「公安?!」
必要最小限の声しか発しないタリウスとは対照的に、レックスは素頓狂な声を上げた。
「先生、キレただろう。オニ切れ」
「ご想像のとおりです。詳しい経緯は恐らくこちらに」
そこで、タリウスはレックスに封書を差し出した。
「うん?」
表書きは自分宛、裏を返すとそこにはかつての師のサインがあった。
「忙しいだろうに、先生こういうとこマメだよな」
かつての師を思い、レックスは目を細めた。それからポケットに封書をしまった。
「これからファルコン、中央教育隊に?」
「そのつもりです」
「そうか、ファルコンはああ見えて、いや………あいつこそ怒らせるとヤバいから、精々気を付けろよ」
「はい…」
ポーターは小さくなって、城門を後にした。
「教官、昨日は散々だったな」
宣言どおり、続いて彼らが訪れたのは中央教育隊である。
「いえ、こちらこそ申し訳ありませんでした。多大なるご協力に感謝します」
「いや。それで、こいつが?」
ファルコンがポーターに探るような目を向けた。タリウスが肯定すると、ファルコンは近くへ来るよう無言で手招きした。
「あまり先生を心配させるな」
ファルコンの言葉に既視感をおぼえ、ポーターははっと目を上げた。それからしばしの間、目の前の男を凝視した。男は大柄で、教官に負けるとも劣らない仏頂面で、こちらを見下ろしている。
「正直、昨日の先生は見ていて忍びなかった」
「すいません」
「あそこにいるうちはわからないかもしれないが、お前は先生たちに守られて生きているんだ。そのことを常に頭に入れて行動しろ」
「はい、申し訳…」
「もう良い。昨日からそればかりだろう。これから取り返せば良い」
謝罪の言葉は途中で途切れ、代わりに結構な力で肩を叩かれた。堪えきれずにふらつくと、ファルコンはしっかりしろと言って笑った。
「お前、この辺りの出身か」
「いえ、違います」
「そうか、見たことがあるような気がしたんだがな。人違いか」
ファルコンは空を仰ぎながら、頭を掻いた。
了

2021/7/20 22:13
続ジョージア先生の長い長い夜5 小説
その日未明、泣き腫らし、片頬に指の跡まで付けて帰ってきた少年に、老教官はもとより主任教官も、強い言葉を掛けることはなかった。
翌日、諸々の事後処理が済んだ後で、ゼイン=ミルズは改めて違反者を呼び出した。
「さ、昨夜は多大なるご迷惑をお掛けして、本当に、本当に申し訳ありませんでした!」
ポーター=カヴァナーは主任教官を盗み見ながら、声を震わせた。対するゼインは、それには応えず、ただじっと少年を凝視していた。
ポーターがゴクリと生唾を飲み込む。
「す、すいませんでした!」
これ以上は正視できない。そう思い、勢い良く頭を下げた。
「本科生になっても門限破りとは、愚かしいにも程がある。ジョージア教官、愚か者に罰を」
ゼインが自身の部下に目配せし、すぐ隣で、若き教官が従順な返事を返した。ポーターは信じられないおもいで教官たちを見比べた。
「ミルズ先生、自分は退校になるのでは、ないんですか?」
命があっただけありがたい、公安から解放されただけで御の字だ。そう思っていたのはあくまで昨夜までの話で、今朝からは自らの処遇について考えを巡らせていた。
「ジョージア教官。門限破りの罰は退校だったか」
「いいえ、パドル打ちです」
「結構。始めろ」
タリウスはパドルを手にし、罰を受ける姿勢になるよう顎をしゃくった。
ポーターは、慌てて両手で机の縁を掴み、頭を下げた。必然的に、むき出しになった尻だけが高く上がった。
バシン。耳に響く大きな音に続いて、焼けるような痛みが尻に広がった。ポーターは唇を噛んでその痛みを飲み込んだ。
そんな必死の我慢が報われることなどなく、間を置かず更なる痛みが襲ってくる。
バシン。バシン。バシン。容赦ない打擲が繰り返される。
「うぅ…」
そうしてまんべんなく尻が腫れ上がる頃には、口から呻き声が漏れ、無意識に腰がひけた。
「動くな」
教官は尻たぶにパドルをピタピタと当て、姿勢を矯正した。
「すいません」
ポーターはすぐさまもとの位置に身体を戻す。
だが、それから少しすると、 またしても姿勢が乱れた。
「何度も同じことを言わせるな。拘束されたいのか」
「いえ」
ポーターは大きく息を吸い込み、再び姿勢を正した。
そうして、性懲りもなくポーターの身体が三度逃げたときだった。
「堪えろ!!」
突如として、それまで沈黙を守っていた主任教官が吠えた。ポーターは驚いて目を見張る。チラリと盗み見た主任教官は、まさしく鬼の形相をしていた。
「貴様のせいで、一体どれだけの人間が迷惑を被ったと思う」
「すいませ…」
「それにも関わらず、どれだけの人間が、労を厭わず貴様を捜し回ったと思う!」
ポーターはハッとして、両目を見開いた。
「自分は、本当に考えなしに、馬鹿なことを…すみませんでした」
その瞳から涙が溢れた。
「己を恥じ、悔悟しろ」
主任教官は立ち上がり、執務机から籐鞭を取った。
「代われ」
ピシリと机が鳴った。
「君には特別に、この私がたっぷり反省させてあげるよ。そうだな、さしあたっては、この鞭が折れるまでだ」
ゼインは鞭を弄ぶようにして、ポーターの背後にまわった。入れ違いに、タリウスがパドルを片付け、ポーターのすぐ隣に立った。必要とあらば、いつでも主任教官を手助けするためだ。
「ひぃ!」
微かな音と共に、皮膚を切り裂くような痛みが走った。パドルのそれと違い、一極集中型の鋭利な痛みである。
「あぁっ!」
痛みを噛み締める間もなく、すぐさま次がやってくる。
「いっ!うぅ!」
自然とつま先立ちになり、ガクガクと膝が震えた。教官はそんな自分に全く構うことなく、黙々と鞭を与え続ける。次第に息が荒くなった。
もう無理だ。これ以上は堪えられない。何度目かにそう思ったところで、頭で考えるより先に身体が反応した。両手が机から離れ、上半身が浮いた。
主任教官が鞭を下ろし、こちらに近付いてくる。
「す、すいませ…。身体が逃げてしまって」
「そう簡単に退校になぞしてたまるか」
「え…?」
間近に顔を覗き込まれ、ポーターは視線を上げた。
「貴様は一番大事なものを傷つけた。それが何かわかるか」
ポーターはふるふると首を横に振った。その間も、ゼインは鋭くこちらを威嚇してくる。目を逸らそうにも、身体が凍りついたように動かなかった。
「誇りだ。何年、何十年と先人が守ってきたものをお前は一瞬にして壊した。士官学校の制服を着て公安に捕まるなど言語道断。お陰で中央士官学校の名は地に堕ちた」
「申し訳ありません」
「給金をもらいながら、学ばせてもらっている意味を考えろ。本気で申し訳ないと思うのなら、己の作った借りは、己の手で返せ。何年掛かろうともだ」
「は…い」
「姿勢を戻せ。次に動いたら、ジョージア教官に拘束してもらう。そうなれば、またひとつ借りが増える。そうでなくとも、君はジョージア教官の手を煩わせ過ぎだ」
「す、すみませ…うっ!!」
皆まで言わないうちに、粛々と罰が再開された。そのまま何十回と地獄は続いた。
「あぁっ!」
脂汗を滴し、涙に暮れながらも、ポーターは机にかじりついたまま離れなかった。
「結構」
ゼインは満足そうに呟くと、執務机の上に籐鞭を置いた。みれば、先のほうが折れ、初めより短くなっていた。
翌日、諸々の事後処理が済んだ後で、ゼイン=ミルズは改めて違反者を呼び出した。
「さ、昨夜は多大なるご迷惑をお掛けして、本当に、本当に申し訳ありませんでした!」
ポーター=カヴァナーは主任教官を盗み見ながら、声を震わせた。対するゼインは、それには応えず、ただじっと少年を凝視していた。
ポーターがゴクリと生唾を飲み込む。
「す、すいませんでした!」
これ以上は正視できない。そう思い、勢い良く頭を下げた。
「本科生になっても門限破りとは、愚かしいにも程がある。ジョージア教官、愚か者に罰を」
ゼインが自身の部下に目配せし、すぐ隣で、若き教官が従順な返事を返した。ポーターは信じられないおもいで教官たちを見比べた。
「ミルズ先生、自分は退校になるのでは、ないんですか?」
命があっただけありがたい、公安から解放されただけで御の字だ。そう思っていたのはあくまで昨夜までの話で、今朝からは自らの処遇について考えを巡らせていた。
「ジョージア教官。門限破りの罰は退校だったか」
「いいえ、パドル打ちです」
「結構。始めろ」
タリウスはパドルを手にし、罰を受ける姿勢になるよう顎をしゃくった。
ポーターは、慌てて両手で机の縁を掴み、頭を下げた。必然的に、むき出しになった尻だけが高く上がった。
バシン。耳に響く大きな音に続いて、焼けるような痛みが尻に広がった。ポーターは唇を噛んでその痛みを飲み込んだ。
そんな必死の我慢が報われることなどなく、間を置かず更なる痛みが襲ってくる。
バシン。バシン。バシン。容赦ない打擲が繰り返される。
「うぅ…」
そうしてまんべんなく尻が腫れ上がる頃には、口から呻き声が漏れ、無意識に腰がひけた。
「動くな」
教官は尻たぶにパドルをピタピタと当て、姿勢を矯正した。
「すいません」
ポーターはすぐさまもとの位置に身体を戻す。
だが、それから少しすると、 またしても姿勢が乱れた。
「何度も同じことを言わせるな。拘束されたいのか」
「いえ」
ポーターは大きく息を吸い込み、再び姿勢を正した。
そうして、性懲りもなくポーターの身体が三度逃げたときだった。
「堪えろ!!」
突如として、それまで沈黙を守っていた主任教官が吠えた。ポーターは驚いて目を見張る。チラリと盗み見た主任教官は、まさしく鬼の形相をしていた。
「貴様のせいで、一体どれだけの人間が迷惑を被ったと思う」
「すいませ…」
「それにも関わらず、どれだけの人間が、労を厭わず貴様を捜し回ったと思う!」
ポーターはハッとして、両目を見開いた。
「自分は、本当に考えなしに、馬鹿なことを…すみませんでした」
その瞳から涙が溢れた。
「己を恥じ、悔悟しろ」
主任教官は立ち上がり、執務机から籐鞭を取った。
「代われ」
ピシリと机が鳴った。
「君には特別に、この私がたっぷり反省させてあげるよ。そうだな、さしあたっては、この鞭が折れるまでだ」
ゼインは鞭を弄ぶようにして、ポーターの背後にまわった。入れ違いに、タリウスがパドルを片付け、ポーターのすぐ隣に立った。必要とあらば、いつでも主任教官を手助けするためだ。
「ひぃ!」
微かな音と共に、皮膚を切り裂くような痛みが走った。パドルのそれと違い、一極集中型の鋭利な痛みである。
「あぁっ!」
痛みを噛み締める間もなく、すぐさま次がやってくる。
「いっ!うぅ!」
自然とつま先立ちになり、ガクガクと膝が震えた。教官はそんな自分に全く構うことなく、黙々と鞭を与え続ける。次第に息が荒くなった。
もう無理だ。これ以上は堪えられない。何度目かにそう思ったところで、頭で考えるより先に身体が反応した。両手が机から離れ、上半身が浮いた。
主任教官が鞭を下ろし、こちらに近付いてくる。
「す、すいませ…。身体が逃げてしまって」
「そう簡単に退校になぞしてたまるか」
「え…?」
間近に顔を覗き込まれ、ポーターは視線を上げた。
「貴様は一番大事なものを傷つけた。それが何かわかるか」
ポーターはふるふると首を横に振った。その間も、ゼインは鋭くこちらを威嚇してくる。目を逸らそうにも、身体が凍りついたように動かなかった。
「誇りだ。何年、何十年と先人が守ってきたものをお前は一瞬にして壊した。士官学校の制服を着て公安に捕まるなど言語道断。お陰で中央士官学校の名は地に堕ちた」
「申し訳ありません」
「給金をもらいながら、学ばせてもらっている意味を考えろ。本気で申し訳ないと思うのなら、己の作った借りは、己の手で返せ。何年掛かろうともだ」
「は…い」
「姿勢を戻せ。次に動いたら、ジョージア教官に拘束してもらう。そうなれば、またひとつ借りが増える。そうでなくとも、君はジョージア教官の手を煩わせ過ぎだ」
「す、すみませ…うっ!!」
皆まで言わないうちに、粛々と罰が再開された。そのまま何十回と地獄は続いた。
「あぁっ!」
脂汗を滴し、涙に暮れながらも、ポーターは机にかじりついたまま離れなかった。
「結構」
ゼインは満足そうに呟くと、執務机の上に籐鞭を置いた。みれば、先のほうが折れ、初めより短くなっていた。