鹿児島で指導を始めてまる4年

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6歳から田中千賀子先生の下でクラシックバレエを12年間。
全国バレエコンクールやバレエ協会のイベントなど参加させてもらい、とにかく学生時代は学校とバレエスタジオの往復だったように思う。
結局勉強を捨てきれず舞踊科のあるお茶の水女子大学へ進み、今度はコンテンポラリーダンスを4年、大学時代は自分の意思で自由に踊った。
コンクールに出たり友達と組んで小劇場で作品を踊ったり、青山劇場のような大舞台も経験した。神戸の全国高校大学ダンスコンクールでは第1位、第2位と2年連続受賞し、本当に貴重な踊る仲間を得た。
卒業後は進路に迷いとりあえず社会人生活を3年。
しかし戻れなくなるという不安からここでやっと勇気を出して留学。
ABTで長くソリストとして活躍していたカリーナ・ブロックのもとを訪ねた。バレエから7年も離れていた私を彼女はスカラシップを出して自分のスクールへ入れてくれた。その後すぐヒルトンヘッドダンスシアターのメンバーになり多くの作品を踊った。
彼女と元ダンサーの夫ジョンは長い現役生活を得て、その後ダンスへの情熱を自分たちのカンパニーに120%注いでいた。彼らの指導、経営努力を間近でみれたことが私が指導者になりたいと思った大きな原動力になっている。
帰国後結婚相手の故郷・鹿児島に住むことになり、また中断。妊娠・出産を経てまたスタジオ探しを始めた。よそ者が踊る場所はなく主人の母の紹介でスタジオを使わせてもらうことにした。
子供の成長とともに定期的にレッスンの時間が取れるようになったのでまた欲が出てきた。
生徒は3人、一歩踏み出したら世界が広がることはアメリカ

で教えてもらったのでとりあえず始めた。
スタジオの良い雰囲気と生徒さんの口コミで少しづつメンバーも増えた。早い時期から大人のバレエクラスは創った。これが私のライフワークと言える。
大人から始めていかに怪我なく末永く楽しんで、しかも本格的に踊れるように訓練するか、難しいところだけど同時にとてもやり甲斐がある。
「踊るおとな」が増えることは子育てと踊りを両立する仲間が増えるのと同じで個人的にはかなり嬉しい。まさにバレエの文化現象。
2005年12月スタジオでのパフォーマンスを開催。ちょうど2年後大きい舞台での発表会

を2007年文化の日に決定。
発表会は生徒の成長に焦点をあてた勉強会的なものにしたい。
地方のスタジオとしての役割をきちんと果たしたいし、華美にならず生徒がその年代に経験すべきことをしてもらおうという趣旨。
発表会は約2年に1度のペースでできたらいい。毎年やるとじっくりレッスンする時間が取れないしレベルアップできない。
私はいつも目標が欲しい。怠け者なのでとことん怠けてしまうからだ。
私が願うこと…それはきっとバレエの文化化+自由化だ。
バレエを文化として広めるにはまず保護者の負担を軽く、とにかく多くの人が長くバレエを続けられるように配慮する必要がある。そして選択肢はあくまでも広く。バレエが他のスポーツ、芸能、社会生活に十分役立つことを知って習い初めて欲しい。
バレエエリートではない私だからこそ多様なアドバイスが出来ると思うし生徒がいるかぎり先生を続けたいと思う。
そして将来はスタジオの垣根なく、オーディションで踊れるメンバーを集い公演をやれたら本物だと思う。振付は私で・・・夢ですので

大目にみてください。
さあ、発表会どうなるかなあ



父と母にあの世

で娘自慢をしてもらえるように張りきろう。
さあ最高の発表会にむけて始動だ。
ブログで今後は「お知らせ」を出していきますのでチェックを宜しくお願いします。

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