母、マサエちゃんが亡くなりました。
親孝行できた と思っている。
温泉旅行も行ったし、、
孫も見せられて、折り紙や、しりとりで遊ぶことも出来たし、、
昔、仲良かったヒトに元気なうちに会わせることが出来たし、、
親子3人の時間のほとんどを過ごしたハイランドの家や、
思い出の場所を3人で回ることも出来たし、、
オレ様の仕事が、、世間的には立派とされる職業なので、、
親としては嬉しいわけで、、
その仕事の、勤続25年の表彰、、ま、時が経てば誰でももらえるんだけど、
表彰状はもらってもいかがなものか、、と思ってたところ
上司が、
それは親にあげるといいよ。
とアドバイスをもらい、マサエちゃんにあげたんだけど、
我が息子が立派な職につき、勤続25年の表彰を受けたわけだから
その表彰状だからね、、それはそれは喜んだ!
あとね、、
小娘が生まれ、、育児の過程で女手ひとつで子ども二人を育てた
マサエちゃんの苦労が身に染みて、、
照れくさいけど言わなきゃ、でも直接言うのは、、
まずは電話にしよう、、
と、電話で
マサエちゃん、産んでくれて、育ててくれてありがとう
と感謝を伝えることが出来た。
うわ〜っ 嬉しい〜っ
って言って喜んでた!
コロナの発生と時期を同じくしてマサエちゃんがガクンと弱りだした。
大腿骨を両方とも別々にだけど骨折し、
それが元で、まず脚が弱り、車椅子になり、、
脚は土台だから、、
脚が悪くなり、外出も、、料理も、、しなく、、出来なくなり、、
そうなると刺激が減るから認知も危うくなり、
2年前の夏にはオレ様を一瞬認識できないときがあった。
すぐに認識し、それ以後は全くそれはなかったが、、
その頃からケアマネージャーが、
いろいろ出来なくなってきてます、、とのことで今後のアドバイスをもらい
施設に入れた方が、となるが、マサエちゃんは絶対イヤだ
と、家が好きなヒトだからね。
それに、オレ様も継いでいるのだが、適度に距離を置かないと
基本的に他人と一緒になにかをするのはダメ。
ストレスになっちゃうんだよね。
で、家で一人だからトイレ行くときに転んで頭打ったり、
転んだまま起きられず、姉が来るまでそのままだったり、
姉が同じマンションに住むようになって、事なきを得たんだけど、
それも複数回あるし、
オリンピック見るまでは頑張る
ってのも、2020に開催されなかったぢゃん。
延期ったって、あと1年、、どうかな
って思ったけど、昨年見ることが出来た。
2022になり、、認知がガクンとなった。
毎週末、会いに行ってたが、会うごとに弱っていく。
だから、帰るときに
これが最期になるかも知れない
と覚悟しながら
またね、また来るからね
と願いながら、もう一度顔を見て、、帰ってった。
火曜日の夜中に呼び出され、
病室で会ったときは、もう数時間だろうと覚悟するも、
夜になり、、夜が明け水曜日になり、
昼に、病院からの指示で帰宅し、
そして今日、深夜1時40分脈が落ちてるから呼び出しがあり、
満潮時刻が2時03分だったかな、、間に合うかな、
間に合え〜
と、向かう。
姉を乗せ、一緒に病室に入ると
モニターは数値を示していない
最期、看取ることは出来なかったけど、
十分過ぎるほど感謝の言葉を伝えることが出来た。
それを、絶対聞いている!
だって反応したもん。
マサエちゃんの子どもに産まれて良かったこと。
産んで、育ててくれてありがとう と、
三人で楽しかった ってこと。
いつそのときがきてもいいように、後悔しないように
何度も伝えたから!
結局、生前最後の言葉は
またね
これを最後に伝えられて良かった。
マサエちゃんは心配性だから
大丈夫だよ
って言葉もたくさんかけたし、
またね
は、いろんな意味がつまった言葉と、オレ様は思ってるし、
その思いや願いを込めた言葉だから。
マサエちゃんはレスリング会場に連れて行ったことは無いです。
オレ様の指導を、教え子を、見てもらおうと考えたこともあるけど、
諸々、、厳しいかな と実現せず、
でも、テレビで取り上げてもらった放送は見せたからね!
というわけで、レスリング関係者、、オレのページ関係者は
マサエちゃんを直接知らないヒトが圧倒的に多い。
でも、このブログに登場するだけなのに、
マサエちゃんのファンってヒトもいました。
マサエちゃんは旅立ちましたが、最期は感謝で旅立ちました。
49年前に死別した夫、、オレ様のおとっつぁんと、
やっと、また一緒に暮らせます。
皆様、マサエちゃんのファンでいてくれて、
応援していただき、ありがとうございました。
マサエちゃん、ありがとう!
見守っててね〜
またね〜

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