1999年、東京都三鷹市の杏林大学付属病院で、当時4歳の保育園児ののどに割りばしが突き刺さっているのを見落として必要な診療を行わず死亡させたとして、業務上過失致死罪に問われた元同病院医師の控訴審判決が20日、東京高裁であった。
裁判長は「割りばしが頭蓋内に突き刺さったのを想定するのは困難だった」と述べ、無罪とした1審・東京地裁判決を支持し、検察側の控訴を棄却した。
この件では、男児が転んで割りばしをのどに刺してしまった時の状況を、母親はまったく見ていなかった、という事情がある。だから、割りばしが折れて、一部が体内に残っていることについて、母親も駆けつけた救急隊員も意識していない。母親が、気が動転して冷静でいられなかったのは理解できるが、、、。
当時、救急隊員から病院は、男児の状況について「二次救急相当」と伝えられていた。この「二次救急相当」とは、ただちに救命救急措置を必要とする状態ではない、という意味である。
裁判所に提出された回答書には、「意識清明、散瞳なし、対光反射あり、バイタルサイン異常なし」という救急隊長の判断が書かれてた。まさか脳が致命的なダメージを受けているとは夢にも思わなかったに違いない。
さて、この担当医師のみが全面的に重い責任を負わされるべき事例なのだろうか。
わが子に外で立ち食いをさせる必要はない。夏祭りで綿アメを食べるのもいいが、最低限の「行儀」を保つ意味でも、ベンチに座らせて喰わせておけば、割りばしをくわえたまま転ぶことはなかった。
私はごく普通の人間だが、最近の医療関係の新聞記事は疑問に思うことも多い。
人は老いて死んでゆく。優秀な医者であっても、手遅れになった患者を救うことは難しいだろう。反面、インフルエンザで90歳のお年寄りが亡くなった時でさえ、老人施設の記事が出る。施設に問題はないか?など副題付きで、、、。
昔からお産も命がけ。これも自然のことである。そのため先人は七五三という行事を作った。7歳までは神の子。だから生かされている命を大事にしようと。
医者にできることは、限られている。
今の日本は、命に関しても、諦めることを忘れ、医療に全てを求めているのではないか。病は気からの言葉もあるように、もう少し、生かされていることに感謝しながら、自分の心を様々な対象に向けて、節度ある生き方をすべきなのだ。
祖先は保証されることのない日常の下で暮らしてきた。現代の医療や株、飽食などなくても十分生きていける。それなのに、何もかも過剰な程にまで望む現代人。医療ミスも確かに存在するが、それ以前に私たち一人ひとりがもっとごく普通に(過度の欲を持たない)暮らすべきと思う。
今回の金融危機にしても、我々人類に教えてくれた教訓として捉えることができるかどうかが問われているような気がしてならない。何もかも人任せ、金任せにしない潔さを大切にしたい。

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