どっ

 

2017/9/10

『パリの屋根の下』 1930年フランス

監督、脚本、原作 ルネ・クレール
製作 フランク・クリフォード
撮影 ジョルジュ・ペリナール 、 ジョルジュ・ローレ
美術 ラザール・メールソン
衣装(デザイン) ルネ・ハーバート
作詞 ルネ・ナゼル
作曲 ラウール・モレッティ
助監督 ジョルジュ・ラコンブ 、 マルセル・カルネ 、 ウッサン 、 ド・シャーク

アルベール:アルベール・プレジャン
ポーラ:ポーラ・イレリー
ルイ:エドモン・T・グレヴィル
フレッド:ガストン・モド
ビル:ビル・ボケッツ


いかにもフランス風の映画。男同士の友情めいた話と、男の言いなりになるちょっとバカっぽい女。何ともうんざりするような男女の交際風景である。この映画ははじめ歌芝居として始まったのだがなぜか後半はふらつく女心のしどけなさ、みたいなものになってしまう。
それが映画を救ったのか壊したのかはわからぬ。ぼくはこういう映画は好きじゃないことだけは確かだ。ま、パリのある時代を描いた風俗映画なのだった。
どうもいつも思うのだが、女はいつもこうなのだろうか、フランス映画ってのは。いつだって男に引きずられるばかりで一向に自分の意思を表さないのだ。男はしたい放題である。

街角で若い男アルベールが歌を歌いながら楽譜を売っている。けっこう人が集まっている。魅力的な女が一人少し離れて佇(たたず)んでいる。スリが客のバッグを狙っている。それらを見つめながら楽譜の男は歌い続ける。
その歌があの「パリの屋根の下」というおなじみの歌である。しかしこの主題歌はただ映画の主題歌という以上の意味を持っている。その歌を劇中の人間たちが何かというと歌うのだ。皮肉にもそれを、うんざりするといった風にほとんどの登場人物は耳を覆ったり水をかけたりするのだ。こりゃ一体どういうことだ!と思ったがそのあとの押さえはない。尻切れトンボである。
まあ、ロマンチックコメディということでコミカルな味付けをしたのだ。それだけのこと?
そのシャンな女に引きつけられたアルベールは、彼女のバッグを狙ったスリからその金を奪い返して彼女に渡す。だがすでにその前に彼女を誘ったチンピラのボスに連れていかれてしまった。彼はそれをただ見過ごしてしまい、女はいやいやながらもその男について行ってしまう。なんと不甲斐ない主人公だろう。そのあげくにそのチンピラは送っていった彼女の部屋まで入り込んで、なおもカギを盗んでしまうのだ。彼女はなされるがままで一向に抵抗しないのはあまりにも不自然である。

そんな夜に彼女はバルに連れていかれて踊らされる。そこにチンピラの女がきてやっと彼女は外に出るが、解放されたというわけでもなく泣いたりしているのがこれも腑に落ちない。
その娘をやっとアルベールはつかまえて、彼女の部屋に連れて行った。しかし彼女は鍵を盗まれているので入れず、やむなく彼の部屋で一夜を明かす。そこでアルベールが迫るが女はきっぱりと抵抗する。それならカギを盗んだチンピラにも抵抗するべきじゃないか、と違和感が残った。その夜はすったもんだの末にベッドを挟んで二人は床に寝て朝を迎えたのだ。このシーンが絵になるのだが、それだけのことでリアリティはない。

と、こんな風に進んでいき、今度は彼とその友人と彼女の取り合いになったりするが、すぐに仲直り。男同士の友情は固いのだ?ということ?
付け足したような話で、彼の部屋に預けにきた友人の荷物が実は盗品で、警察が捜査に入って彼はしばらくのあいだ留置所に入れられてしまう。その間彼女は残った友人とぞっこんになる。なんじゃいこの女は!
そしてすべてのことが解決した時、彼女はお前にやるよと彼は相変わらず街角で歌を歌い続けるのだった。おいおい女はモノ扱いかよ、と今じゃ噴飯もの映画である。

これが映画(技術)史上の「名作」である。歌謡映画なのか、恋愛ものか、友情映画なのか、どれでもないと思う。どちらにせよ気分のいい作品じゃないね。
そういえば、『望郷』のジャン・ギャバンも威張りくさった甘えん坊の男の物語で、映画として見てもちっとも良くなかった。
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2017/9/6


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治療院のドアに

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張り付けた
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2017/8/30

『逃げ出した縁談』 1957年松竹大船

監督:穂積利昌
脚本:斎藤良輔 芦沢俊郎
撮影:西川亨
美術:木村芳男
音楽:万城目正

笠智衆:瀬戸口鉄造
杉田弘子:瀬戸口昌代
田浦正巳:瀬戸口正一
清川新吾:瀬戸口明夫
沢村貞子:佐山とよ
高橋貞二:三上政吉
三井弘次:富岡五郎
小山明子:小島とみ江
木田勝一:小島浩一
桑野みゆき:西条則子
中川姿子:淑子
藤原釜足:中川社長
稲川忠信:社長
関千恵子:令嬢不二子

ほんわか喜劇だが意外とシビアな笠智衆なのだ。男一人で家族を養ってきた父、という構造はもう彼の定番ストーリーになっていたのだ。
この父は子供を養ってきたという自負からか子供たちを良いところに就職、あるいは結婚させるために奮闘する。しかしその奮闘がもう時代遅れの家父長的な男の独り相撲であって、しかも彼のキャラクターではどうもその押しも強くはない。案の定子供たちのほうがよほど大人の発想で事を進めていき、失敗するのは当の父親ばかりなのだった。
そしてついに彼は血圧の不安から、第一線を退くことになる。もうこの50歳世代の時代ではないということを認めないわけにはいかなくなる。
ちょうど若者の時代といわれる時が来る前夜の映画である。

笠は古い考えの父である。会社が第一なのだ。社長の手伝いで日曜をつぶされるのを断ってしまった長男に苦言を言って、娘には会社の時期課長候補をあてがおうとする。それが出世の近道だというのだ。だが出世ばかりが生きがいの時代は若者にはもう古いとしか思えない。彼らはつつましくとも身近な恋人と過ごしたいのだった。つまり父と子供たちの生活感は全く食い違っているのだ。
しかし父はまだ家族を養いその将来を決めるのは自分だと思っている。会社でも課長への昇進が目の前だと信じている。ところが課長になったのは若い三上(高橋貞二)だったので愚痴を娘にぶち上げて、あんなやつとは付き合うなというのだった。そんな折も折、自分の体に変調をきたしたりインチキ発明家にダマされて金をとられたり踏んだり蹴ったりの人生になってしまう。半ばやけになった父は長男の恋人にも別れるようにと大きなお世話をしに行って恥をかく始末だ。まったくどうしようもない父親なのだが、真剣だから憎めないのだ。

ここにきてとうとう寝込んでしまった父に息子たちが会社を辞めて休んでほしいと頼むのだった。ついに彼も子供たちの意見に折れたのだ。後日会社に行くと社長から退職の勧告を受けて愕然とするのだが、実は子供たちを始め彼の関係する人々からぜひ父をクビにして体を休ませたいとの要望があったというのだ。社長は父思いの家族に頭が下がる思いだといって彼を送り出したのだった。
そこここに散りばめられたギャグがオモシロイ味で、暖かい家族の父に対する思いが津々とあらわされた秀逸なホームドラマである。
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