イエス様の血が意味する一つの悟り
イエス様の血が意味する悟りの中で一つを紹介します。
私たちはイエス様の
「血」と言えばそれは即ち、イエス様の
「いのち」だということを覚えなければなりません。イエス様がカルバリの丘でご自身の「血」を流したことはほかならぬご自身の「いのち」を私たちに与えて下さったことでした。ですから、私たちが唯一の創造主なる神様にイエス様の血しおで私たちを洗って下さり覆って下さいと祈る時、まさにイエス様のいのちが与えられることを体験するようになります。
神様が人間を創る時、神様はアダムの鼻にいのちの呼吸を吹き込まれた瞬間、アダムの血が命を持つ“生ける血”となったという事実です。
レビ記17章11節「・・肉の
いのちは
血の中にあるからである。・・いのちとして贖いをするのは血である。」
イエス・キリストの血は私たちが罪の贖いを受けた!と叫んでいます。アベルの血は敵を打って下さいと叫んでいるが、イエス様の血は罪の赦しと和解のために叫んでいます。
主イエス様は私たちのために尊い血を流されたのです。私たちは
“私と私の家族、教会の家族を主の血で覆ってください”とできるだけ名前をあげて毎日祈ることがとても重要です。そのように祈ることを主の御名によってお願い致します。