こんにちは  


こじんまりしていてアットホ-ムの
「イエス賛美教会」 です

ゴスペル好きな方大歓迎!

主日礼拝(日曜日)
1部 11:00〜12:30   ランチタイム (12:30から)
2部 14:00〜15:30   ティータイム (15:30から)
幼年部礼拝(11時〜12時) ジュニア礼拝(14時〜15時)
★★★★★★★★★★★★★★★★
電話: 06−6641−0073 E-MAIL: lyrl5@hotmail.com
住所: 浪速区元町1−5−7ナンバプラザビルB1
地図: 551蓬莱館の隣、元町小学校の横、四ツ橋筋線難波駅32番出口から右です。
http://www.navitime.co.jp/?ctl=0190&keyword=&name=%e5%a4%a7%e9%98%aa%e5%ba%9c%e5%a4%a7%e9%98%aa%e5%b8%82%e6%b5%aa%e9%80%9f%e5%8c%ba%e5%85%83%e7%94%ba%ef%bc%91%e4%b8%81%e7%9b%ae%ef%bc%95-%ef%bc%97&ACode=271110230010000500007&lon=487801420&lat=124780585&type=2
★★★★★★★★★★★★★★★
どーしても教会にこれない時は李牧師のサイバー説教MP3でお楽しみください
http://www3.atpages.jp/yessanbi
教会が入っているナンバプラザビル正門の写真3枚
クリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示しますクリックすると元のサイズで表示します
0

2009/7/4

用いられる道具  牧師コラム

[ 用いられる道具 ]
電気カミソリを買い替える時期になったが経済的余裕を考えて千円の電気カミソリを買って今もよく使っている。
だが、やはり充電式ではなく毎回乾電池を入れ替える面倒がある。しかし最近は刃が鈍くなって癖毛のある毛は刈られないので全体的にひげをそる時間が長くかかってしまい、時には血が出る時もある。
そろそろ買い替える時期だと思うだけで延ばしてはいるが、きっと新しい物を買うことに違いない。
道具は主人の願い通りに効かなくなったら問題を起こしてしまうし、結局使うことができなくて捨ててしまう。
 私たちの主人は唯一の創造主である。言わば、私たちは主人であられる神様が使うために作った存在である。言い換えれば、私たちは神様に用いられる道具のような者である。道具は主人が願うままに動けば良い。
モーセの手に持った杖が蛇になったり、紅海の海を割ったり、岩から水を出したりもした。しかし、絶対にその杖に力があってそうなったのではない。
モーセが神の指示どおりに従ったからそういうことが起こったのである。
私たちもいつも神様の御手に捕えられて主のみこころのままに素直に用いられる道具にならなければならない。
素直に主の御心に従って長く用いられる主の道具になりましょう。

  “斧は、それを使って切る人に向かって高ぶることが
   できようか。のこぎりは、それをひく人に向かって
   おごることができようか。それは棒が、それを振り
   上げる人を動かし、杖が、木でない人を持ち上げる
   ようなものではないか。” (イザヤ10 : 15)

0

2009/6/24

国のための祈り会  news

2009年6月24日(水)午後2時〜3時半まで韓国国家朝餐祈祷会大阪支部が
設立以来初めて「国のための祈り会」を主の恵みの内に開催しました。
チャプレン(指導委員)である李牧師と事務局長であるWooが属している
イエス賛美教会にて記念すべき初めての祈り会(韓国・日本の政治、経済
のリーダーたちのために祈る)を持たせていただきました。
協力された聖徒の皆様、ありがとうございました。
その様子を少しお載せ致します。

クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
0

2009/6/17

イエス様の涙  牧師コラム

イエス様の涙
聖書でイエス様は三度泣かれたと記録されています。しかし、果たしてそれが三度だけでしょうか?もしかすると毎晩ゲッセマネの園において祈られる度に泣かれたかもしれません。神様の特別な選びを受けたユダヤ人たちの腐敗した姿を見てイエス様は毎日のように涙をもって天の父に祈られたことでしょう。
ヘブル5:7に見ると“キリストは、人としてこの世におられたとき、自分を死から救うことのできる方に向かって、大きな叫び声と涙とをもって祈りと願いをささげ、そしてその敬虔のゆえに聞き入れられました。”とあります。大きい叫び声と涙とをもって祈られたとあります。十字架の苦難の道に行かないために泣かれたことではありません。神様の独り子を知らないあの無知な民たちが受ける罪のゆえにあまりにも胸が痛かったのです。
今日、信じる者たちの目から涙が消えて久しいです。牧師をはじめ聖徒たちの目から涙が消えて久しいです。私たちは夜通し泣くことはできなくてもこの時代を眺めながら悲しくて痛い心を持つべきでしょう。医学的にも肉的な目に涙が乾けば目が見えなくなる危険性があると言われるのに、信じる者たちの霊的目に涙が乾けば霊的な目の不自由な人になってしまうということを悟らなければなりません。
この時代はイエス様の心を持ってイエス様の涙を流す時でしょう。エレミヤは涙の予言者として有名です。彼は自分の民族の堕落を見て胸を打ちながら泣いて神様の予言を伝えました。今日、どこに神様の御ことばを伝えながら泣いて伝える者がいるでしょうか?
ルカの福音書19:41に見るとイエス様がエルサレムの都を見て泣かれたとあります。もしかしたらイエス様が今の時代の教会の現実を見て泣いていらっしゃるかもしれません。人間の心の病を治療するのには笑って治療することより泣いて治療することが遥かに効果があると言われるようにこの時代の霊的な治療も笑うことで治療をしようとせずに悲しくて痛い心で胸を打ちながら神様に泣くときに真の治療が成されることでしょう。涙が枯れてしまった者ではなくてイエスの御名だけを呼んでも涙ぐんで胸がじいんと熱くなるそういう人にならなければならないでしょう。
イエス様の目に流れ落ちる涙を見ることができるクリスチャンになりますように心から切に願います。
0

2009/6/6

イエス様の祈り  牧師コラム

イエス様の祈り
聖書の中に多くの信仰の先輩たちが祈りながら使命を担いました。しかし、一番祈りの生を歩まれた方はイエス様です。
イエス様は使命を担うために40日断食祈祷にも順従されたし、毎日忙しい福音の働きをしながらも夜になれば間違いなくオリーブ山に上って夜通し父の神に祈られました。聖書に見るとイエス様は習慣に従って祈られたのです(ルカ22:39)。
十字架の使命を前に置いてゲッセマネの園で祈られる時には血汗のしずくが地面に落ちるほどに祈られました。イエス様は十字架の上で血を流す苦しみの中でも私たちのために父に祈られました。私たちはいつものように祈られるイエス様の祈りを見習わなければなりません。毎日祈らなくてはサタンの策略に勝つことができません。私たちは血汗のしずくが落ちるほどの祈りはできなくても汗のしずくが落ちるほどの祈りをする姿勢を持って祈らなければなりません。祈りは天の門を開く鍵です。祈りは神様を感動させることができる生の音楽です。祈りはサタンの力から教会と聖徒たちを守る最新兵器です。イエス様のように祈りの習慣に従って私たちも天の神の前に悔い改めながら家族と隣人のためにいつものようにとりなしの祈りをささげ、神のみこころを行なうために呼び叫ぶ御国の働き人になりましょう。
“わたしを呼べ。そうすれば、わたしは、あなたに答え、
あなたの知らない、理解を越えた大いなる事を、あなたに告げよう。”
 (エレミヤ33:3)

0

2009/6/3

洗礼  news

5月31日ペンテコステの主日に感動的な洗礼式を行なうことができました。
受洗者のご両親も生まれて初めて教会へ来られました。
お母様は泣いていらっしゃいました。
家族一同が救われるように祈ってください。
また、60歳のビジネスマン男性の方も生まれて初めて礼拝へ
来られました。続けて来られて真理を知り救われるように
祈ってください。
少しだけ礼拝の様子を載せます。
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
クリックすると元のサイズで表示します
2

2009/5/27

洗礼式  牧師コラム

洗礼(バプテスマ)?
洗礼(バプテスマ)はイエス様が私の罪からの救いのために
十字架に死んで復活したこと、すなわち私がイエス様と共に
罪に対して死んでイエス様と共に神様に対して復活したこと、
すなわちクリスチャンが罪と死と刑罰から救われて永遠の神
の御国のいのちに移されたことを公に現わす儀式です。
人々が結婚をすれば婚姻届をし、赤ちゃんが生まれたら
出生届をするんじゃないでしょうか。洗礼(バプテスマ)も
同じです。“私が唯一の創造主を信じる" ということを公に
表現することです。
マルコの福音書16:16
“信じてバプテスマを受ける者は、救われます。”
Tペテロ3:20−21
“昔、ノアの時代に、・・わずか八人の人々が、この箱舟の
中で、水を通って救われたのです。そのことは、今あなたがた
を救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。”
バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心
の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
旧約のユダヤ人は神の民になるために割礼を施しました。
バプテスマを受けることによって正規の教会員と認められます。
洗礼を受けた日は言わば霊の誕生日のような日です。
イエス・キリストを信じて洗礼を受ける方がどんどん起される
ように共に祈ってまいりましょう。
1

2009/5/24


ハレルヤ!
来週5月31日の主日は聖霊降臨主日(ペンテコステ、)です。
主イエス様の約束に従ってマルコのアッパールームに集まって祈りに専念していた120名の弟子たちの上に五旬節の日に聖霊が降って初代エルサレム教会が誕生しました。
このエルサレム教会から地の果てにまで神の御国の福音が広まっています。
すべての教会の誕生日のようなペンテコステの主日に多くの新しい方も礼拝に加わるように呼びかけましょう。また、共に聖霊の豊かな油注ぎがある礼拝になるように祈りつつ、主の日を待ちましょう。
洗礼式も執り行われます。覚えて参加しましょう。

0

2009/5/13

神様はどうして善悪の知識の木の実を作られたのか?  質問&答え

神様はどうして善悪の知識の木の実を作られたのか?
まず、神様が人を創った理由を先に考えて見る必要があります。
神様は人々にとって他のすべての被造物を支配し、管理しながら神様に栄光を帰するようにするために人間にだけ神の形、すなわち人格性を加えてくださいました。この人格は自由意志を含みます。従って人は他の被造物とは違って、自分の自由な判断と選択によって行動することができるようになりました。
神様が善悪の知識の木を作った理由も人が自分の自由意志で神様との契約を守って順従することで神様に最上の栄光を帰するようにしようとすることでした。
善悪の知識の木は神様に自ら自由意志で栄光を帰するようにしようとする創造の目的を效果的に果たすことができる道具であり、自由意志で契約を守った人に地上での肉体の命ではなく永遠な天国の命と報いを与えるための良い道具として作った木の実でした。
善悪の知識の木は創造主と被造物の関係を常に覚えて神を愛して仕えるようにするためのたった一つの必然的な禁止命令です。これがなければ創造主の統制を受けずに勝手に永遠に存在する被造物になります。今、実際罪を犯した人間はサタンの性質をもって自分が神になろうとします。
それでは人が善悪の知識の木の実を取って食べて罪を犯すことを知っていながらどうして人間を創る必要があったのでしょうか?
子どもが障害児に生まれたり、親を苦しませるかも知れないので子を生まないでしょうか? 
あなたの親はどうしてあなたを生んだのでしょうか? 
(私が生まれなかったら、私が存在しなかったらこんな質問もしないのに….) 
親が子を生むことは愛を表現するためでしょう。
もしその子が障害児として生まれたり、親につらい目に合わせても愛で担おうとする覚悟を潜在的にもって子を生むのではないでしょうか。
創造主の本質は愛です。神の形に似て人間が創られたのは神の愛の表現です。
神の愛が神の子にしようと我らを創ったことに感謝しようではありませんか。
3

2009/5/8

母の日の由来  質問&答え

母の日の由来?
アメリカの東海岸、ウェスト・バージニア州のウェブスター
という町に小さなメソジスト教会があった。
その教会に二十六年間も教会学校の教師をした大変信仰の
あついジアービスという婦人がいた。ある主の日の礼拝で
子供たちに「モーセの十戒」の「あなたの父母を敬え」という
話をした際、「あなたがたもお母さんに感謝する方法を考えて
くださいね」と勧めた。その礼拝に幼い娘のアンナもいた。
ジアービス夫人が亡くなり、一九〇五年五月第二日曜日に
娘のアンナは母の記念会を開いた。彼女はかつて日曜学校で
聞いた母の勧めを思いだし、庭で作っていた母の大好きだった
カーネーションの花を飾り、絵が終わってから列席した人々に、
その花束を配った。その心優しい暖かい試みは人々に大きな
感動を与え、早速教会で母の日が設けられた。
その後、デパートの王と言われたジョン・ワナメーカーの後援が
あって、たちまち母の日はアメリカ全土に広まり、ついに時の
大統領ウィルソンが千九百十四年に議会にはかり五月の第二日曜
日を「母の日」という国の祝日とした。
 わが国でも森永製菓会社の創始者であるクリスチャン実業家の
森永太一郎、この美しい催しをぜひ普及させたいと思い盛んに
運動した結果、今日のようにポピュラーなものになったのである。

            <キリスト教逸話例話集にて>

エペソ人への手紙6:1−3
「1 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは
正しいことだからです。2 「あなたの父と母を敬え。」これ
は第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、
3 「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生き
する。」という約束です。」

3



Powered by teacup.ブログ “AutoPage”