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イエス賛美教会の
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こんにちは news
こじんまりしていてアットホ-ムの
「イエス賛美教会」 です。
主日礼拝(日曜日)
1部 11:00〜12:30
2部 14:00〜15:30
幼年部礼拝(11時〜12時) ジュニア礼拝(14時〜15時)
★★★★★★★★★★★★★★★★
電話: 06−6641−0073 E-MAIL: lyrl5@hotmail.com
住所: 浪速区元町1−5−7ナンバプラザビルB1
地図: 551蓬莱館の隣、元町小学校の横、四ツ橋筋線難波駅32番出口から右です。
http://www.navitime.co.jp/?ctl=0190&keyword=&name=%e5%a4%a7%e9%98%aa%e5%ba%9c%e5%a4%a7%e9%98%aa%e5%b8%82%e6%b5%aa%e9%80%9f%e5%8c%ba%e5%85%83%e7%94%ba%ef%bc%91%e4%b8%81%e7%9b%ae%ef%bc%95-%ef%bc%97&ACode=271110230010000500007&lon=487801420&lat=124780585&type=2
★★★★★★★★★★★★★★★
どーしても教会にこれない時は李牧師のサイバー説教MP3でお楽しみください
http://www3.atpages.jp/yessanbi
教会が入っているナンバプラザビル正門の写真3枚



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2011/2/18
叫んで要請する祈り 牧師コラム
「叫んで要請する祈り」
「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。」(マタイ27: 50)
宣教とリバイバルは父なる神様にかかっている。しかし、リバイバルのために叫んで要請することは私たちにかかっている。
イエス様も祈る時に汗を流す切実さがあった。私たちは果して天にいます父に汗を流す切実さをもって叫んでリバイバルを要請しているだろうか?
イエス様が十字架で死なれる前に叫ばれたことが父なる神様を働かせた。
叫んで要請する祈りは真の悔い改めが起きるようにし、神様を働かせるようにする。
私たちの切なる叫びに神様が働かれる。私たちが心を一つにしてリバイバルのために叫んで要請する時、神の聖霊が働かれる。
聖霊様が働くことがリバイバルであり、それを起こすのが私たちの叫びである。
私たちは子としていただく霊を受けたので子としての権勢がある。
霊的戦いで勝つ秘訣は神の子の権勢をもって叫んで要請する祈りをささげることである。
リバイバルが神様の働きによるものなのか? 私の熱心によるものなのか?
リバイバルが神様の働きによるものであれば、私たちは朝夕、リバイバルのために叫んで要請する祈りをささげようではありませんか。
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「そのとき、イエスはもう一度大声で叫んで、息を引き取られた。」(マタイ27: 50)
宣教とリバイバルは父なる神様にかかっている。しかし、リバイバルのために叫んで要請することは私たちにかかっている。
イエス様も祈る時に汗を流す切実さがあった。私たちは果して天にいます父に汗を流す切実さをもって叫んでリバイバルを要請しているだろうか?
イエス様が十字架で死なれる前に叫ばれたことが父なる神様を働かせた。
叫んで要請する祈りは真の悔い改めが起きるようにし、神様を働かせるようにする。
私たちの切なる叫びに神様が働かれる。私たちが心を一つにしてリバイバルのために叫んで要請する時、神の聖霊が働かれる。
聖霊様が働くことがリバイバルであり、それを起こすのが私たちの叫びである。
私たちは子としていただく霊を受けたので子としての権勢がある。
霊的戦いで勝つ秘訣は神の子の権勢をもって叫んで要請する祈りをささげることである。
リバイバルが神様の働きによるものなのか? 私の熱心によるものなのか?
リバイバルが神様の働きによるものであれば、私たちは朝夕、リバイバルのために叫んで要請する祈りをささげようではありませんか。
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2011/1/13
間違った唇の告白を捨てなさい ! 牧師コラム
間違った唇の告白を捨てなさい !
悪魔は失敗を告白するようにすることで私たちが成功できないように私たちを抑圧してずっと失敗するようにします。失敗を告白することは悪魔が優越だと告白することと同様です。
失敗を告白することが悪魔の優越性を告白することになって悪魔を高めるようになります。
私たちの唇の告白は神様と悪魔、この二つの中で一つが私たちを支配するようにさせることになります。しかし、私たちの心の中でみことばに基づき、また信仰による唇の告白はすべての霊的戦いで悪魔を徹底的に敗北させます。
私たちは救いを受ける時、イエスが主であることを告白します。その時、神様が私を支配し始め、私の生涯を治めます。しかし、クリスチャンになったとしても恐れと疑いを告白するとき、それはサタンを招くことになり、サタンに私を支配させることになります。悪魔はこの世の王なので直ちに私の心に入って来るでしょう。
間違った告白がサタンが入って来るように許可することなのです。それが無意識での同意であっても悪魔を招待することになります。
私たちがたまに自然的に恐れと疑いを感じるとしても私たちはその恐れと疑いを決して告白してはいけません。
恐れと疑いは神様から来たものではありません。
私たちは恐れと疑いを告白するのではなく神様の愛と力と慎みを告白しなければなりません。
Uテモテ1:7 “神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。”
キリスト者は失敗や恐れや疑いについて告白する必要がありません。失敗や恐れや疑いについて告白することはサタンを招待することになります。そういう告白はキリスト者に属したものではありません。私たちは新しい被造物です。
恐れと疑いを告白せずにイエス・キリストの御名で恐れと疑いを拒否しましょう。すると恐れと疑いは私たちを立ち去るでしょう。
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悪魔は失敗を告白するようにすることで私たちが成功できないように私たちを抑圧してずっと失敗するようにします。失敗を告白することは悪魔が優越だと告白することと同様です。
失敗を告白することが悪魔の優越性を告白することになって悪魔を高めるようになります。
私たちの唇の告白は神様と悪魔、この二つの中で一つが私たちを支配するようにさせることになります。しかし、私たちの心の中でみことばに基づき、また信仰による唇の告白はすべての霊的戦いで悪魔を徹底的に敗北させます。
私たちは救いを受ける時、イエスが主であることを告白します。その時、神様が私を支配し始め、私の生涯を治めます。しかし、クリスチャンになったとしても恐れと疑いを告白するとき、それはサタンを招くことになり、サタンに私を支配させることになります。悪魔はこの世の王なので直ちに私の心に入って来るでしょう。
間違った告白がサタンが入って来るように許可することなのです。それが無意識での同意であっても悪魔を招待することになります。
私たちがたまに自然的に恐れと疑いを感じるとしても私たちはその恐れと疑いを決して告白してはいけません。
恐れと疑いは神様から来たものではありません。
私たちは恐れと疑いを告白するのではなく神様の愛と力と慎みを告白しなければなりません。
Uテモテ1:7 “神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく、力と愛と慎みとの霊です。”
キリスト者は失敗や恐れや疑いについて告白する必要がありません。失敗や恐れや疑いについて告白することはサタンを招待することになります。そういう告白はキリスト者に属したものではありません。私たちは新しい被造物です。
恐れと疑いを告白せずにイエス・キリストの御名で恐れと疑いを拒否しましょう。すると恐れと疑いは私たちを立ち去るでしょう。
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2010/12/30
21Cにかなう教会 牧師コラム
「21Cにかなう教会」
私たちは20Cの固定観念を脱ぎ捨てて、21Cの新しい変化に対応する教会を目指さなければなりません。それで、2011年は常に目を覚ましている年にならなければなりません。
“新しい葡萄酒は新しい皮袋に”
新しい年は新しい葡萄酒です。新しい年は新しい皮袋に入れなければなりません。
新しい皮袋は常に目を覚ましているときに準備することができます。常に目を覚ましている時、新しい時代の働きに目を開けることができます。
私たちは霊において眠っていてはいけません。
20Cの固定観念を脱ぎ捨てる時、新しい皮袋を準備することができます。
常に目を覚まして祈る聖徒になる時、新しい皮袋が用意できます。
新しい皮袋には知性ではなく、霊性を入れなければなりません。
新しい皮袋には教団教理や神学の色や20C教会伝統を入れるのではなく、聖霊様を迎え入れて聖霊様に仕えなければなりません。
“しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。”(ローマ7:6)
聖霊様の手引きを受けるみことばの解釈が成されるようにお祈り下さい!
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私たちは20Cの固定観念を脱ぎ捨てて、21Cの新しい変化に対応する教会を目指さなければなりません。それで、2011年は常に目を覚ましている年にならなければなりません。
“新しい葡萄酒は新しい皮袋に”
新しい年は新しい葡萄酒です。新しい年は新しい皮袋に入れなければなりません。
新しい皮袋は常に目を覚ましているときに準備することができます。常に目を覚ましている時、新しい時代の働きに目を開けることができます。
私たちは霊において眠っていてはいけません。
20Cの固定観念を脱ぎ捨てる時、新しい皮袋を準備することができます。
常に目を覚まして祈る聖徒になる時、新しい皮袋が用意できます。
新しい皮袋には知性ではなく、霊性を入れなければなりません。
新しい皮袋には教団教理や神学の色や20C教会伝統を入れるのではなく、聖霊様を迎え入れて聖霊様に仕えなければなりません。
“しかし、今は、私たちは自分を捕えていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。”(ローマ7:6)
聖霊様の手引きを受けるみことばの解釈が成されるようにお祈り下さい!
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2010/12/18
救い主イエスの誕生 牧師コラム
救い主イエス様の誕生
イエス・キリストの誕生は人類に喜びと希望を与える偉大なる事件です。イエス様の誕生は人間の科学や知恵では考えられない聖霊によって乙女の体に身ごもって罪もなくきずもない完璧な人間の肉を着てこの地上に来られたことです。こうした奇跡的な事件の故に歴史の中でイエス様の処女誕生を否認する異端たちがたくさん起きました。しかし、どのような理論をもってイエス様の神聖を否認して人々を説得させようとしても聖書に記録された内容を否認することはできません。
ピリピ人へ手紙2:5-8 “あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。”
どんな理論も学説もこの聖書のみことばの前に立つことはできません。あまりにも信じられない出来事であるから人間の知識と知恵では理解することができません。しかし、この驚くべきイエス様の誕生を信じるようになる時から初めてその心にイエス様が入って来られて主の聖霊が働いて下さいます。
惜しいのはイエス様の誕生を否認する理論はイエス様の再臨が近くなればなるほどもっと現れるということです。
この地に主イエスの教会が立てられた後からサタンは主イエスの神聖を信じることができないように学者たちや異端たちを通じてキリスト教の根を揺さぶりました。
しかし、聖霊様が私たちの助け主であり、真理のみことば(聖書)が私たちを教えてくださるから惑わされることはありません。
“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”(ヨハネの福音書3:16)
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イエス・キリストの誕生は人類に喜びと希望を与える偉大なる事件です。イエス様の誕生は人間の科学や知恵では考えられない聖霊によって乙女の体に身ごもって罪もなくきずもない完璧な人間の肉を着てこの地上に来られたことです。こうした奇跡的な事件の故に歴史の中でイエス様の処女誕生を否認する異端たちがたくさん起きました。しかし、どのような理論をもってイエス様の神聖を否認して人々を説得させようとしても聖書に記録された内容を否認することはできません。
ピリピ人へ手紙2:5-8 “あなたがたの間では、そのような心構えでいなさい。それはキリスト・イエスのうちにも見られるものです。キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。”
どんな理論も学説もこの聖書のみことばの前に立つことはできません。あまりにも信じられない出来事であるから人間の知識と知恵では理解することができません。しかし、この驚くべきイエス様の誕生を信じるようになる時から初めてその心にイエス様が入って来られて主の聖霊が働いて下さいます。
惜しいのはイエス様の誕生を否認する理論はイエス様の再臨が近くなればなるほどもっと現れるということです。
この地に主イエスの教会が立てられた後からサタンは主イエスの神聖を信じることができないように学者たちや異端たちを通じてキリスト教の根を揺さぶりました。
しかし、聖霊様が私たちの助け主であり、真理のみことば(聖書)が私たちを教えてくださるから惑わされることはありません。
“神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。”(ヨハネの福音書3:16)
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2010/12/16
メリークリスマス news
2010年クリスマス礼拝は12月26日(主日)
に行ないます。
1部(11時〜12時半):クリスマス礼拝
教会学校の子どもたちによるクリスマス
DVD上映と洗礼式とカレンダー配布と食事会
2部(2時〜3時半):送年礼拝
古い年を送り、新しい年を迎える準備をする
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に行ないます。
1部(11時〜12時半):クリスマス礼拝
教会学校の子どもたちによるクリスマス
DVD上映と洗礼式とカレンダー配布と食事会
2部(2時〜3時半):送年礼拝
古い年を送り、新しい年を迎える準備をする
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2010/11/24
心の内面の癒しはどうして必要なのか? 質問&答え
質問 :
私たちがイエス様を信じれば過去のすべての罪と問題が解決されると聞きました。それなのに、内面の癒しはどうして必要でしょうか?
答え :
もちろんイエス様を信じれば過去の罪だけではなく未来の罪まですべて解決されます。しかし、問題は心(たましい)の領域です。人は霊とたましいと体の三つの部分に分かれています。(Tテサ5:23)また、イザヤ書61章1節の中でイエス・キリストを通じてなさる聖霊様の重要な働きの一つが心の傷ついた者を癒す働きだと言われます。まるで、心は数多くのデータが保存された録音テープのようなものです。このすべてのものが主イエス・キリストを信じることを決心した日に全部消されることではないのです。人が心と頭に保存された間違った記憶と痛み・悲しみの傷が消されないでいると、問題はそのようなものが今の生活に悪い影響を及ぼします。家族関係や対人関係、教会聖徒同士の関係など、さらに神様に対する信仰を持ち続けることに関してもこういう心の中にある闇の傷が聖霊様に逆らいます。例えば、知人や友人が何の話もなしに自分を離れ去ったというショックが心に刻まれたとしましょう。彼はこういう心の傷を受けて“ああ!人は私に過ちがあるのが見えたら音も立てずにすぐ離れ去ってしまうものだね!”という教訓を心に刻んで置くようになります。すると、神様もいつかは私が過ちを犯したらすぐ私を捨て去るに違いないという考えに捕らわれて正しい信仰が育たなくなります。
内面治癒の目的は聖なる神の子として成熟・成長するためです。
クリスチャンは霊において救いを受けているものの、人は心の傷の程度の差があるだけでみんな心に傷を持っています。そういうことで霊の成長のためには必ず心の内面の癒しが先に行われなければならないのです。
救いを受けてクリスチャンになった人は次の段階として心の癒しを受けるべきです。
あなたの心の内面は大丈夫でしょうか?
「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
(詩篇139:24)
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私たちがイエス様を信じれば過去のすべての罪と問題が解決されると聞きました。それなのに、内面の癒しはどうして必要でしょうか?
答え :
もちろんイエス様を信じれば過去の罪だけではなく未来の罪まですべて解決されます。しかし、問題は心(たましい)の領域です。人は霊とたましいと体の三つの部分に分かれています。(Tテサ5:23)また、イザヤ書61章1節の中でイエス・キリストを通じてなさる聖霊様の重要な働きの一つが心の傷ついた者を癒す働きだと言われます。まるで、心は数多くのデータが保存された録音テープのようなものです。このすべてのものが主イエス・キリストを信じることを決心した日に全部消されることではないのです。人が心と頭に保存された間違った記憶と痛み・悲しみの傷が消されないでいると、問題はそのようなものが今の生活に悪い影響を及ぼします。家族関係や対人関係、教会聖徒同士の関係など、さらに神様に対する信仰を持ち続けることに関してもこういう心の中にある闇の傷が聖霊様に逆らいます。例えば、知人や友人が何の話もなしに自分を離れ去ったというショックが心に刻まれたとしましょう。彼はこういう心の傷を受けて“ああ!人は私に過ちがあるのが見えたら音も立てずにすぐ離れ去ってしまうものだね!”という教訓を心に刻んで置くようになります。すると、神様もいつかは私が過ちを犯したらすぐ私を捨て去るに違いないという考えに捕らわれて正しい信仰が育たなくなります。
内面治癒の目的は聖なる神の子として成熟・成長するためです。
クリスチャンは霊において救いを受けているものの、人は心の傷の程度の差があるだけでみんな心に傷を持っています。そういうことで霊の成長のためには必ず心の内面の癒しが先に行われなければならないのです。
救いを受けてクリスチャンになった人は次の段階として心の癒しを受けるべきです。
あなたの心の内面は大丈夫でしょうか?
「私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
(詩篇139:24)
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2010/11/17
農夫のお祈り 牧師コラム
<農夫のお祈り>
秋のある日、大都会からある程度学問を修めたと自負する人が田舍に住む農夫を訪問するようになりました。農夫は夜明けから一日中手まめに畑に出て働いて穀物を収穫しました。その人はそのような農夫をながめながら一日を過ごしました。農夫は用意した食べ物を食べる前にまず、神様に感謝のお祈りを敬虔な様子で差し上げました。すると都会の人が農夫に聞きました。
“あなたは一日中畑で直接苦労して食べる物を用意したが、どうしてそのようにお祈りをするのですか? あなたがこのくらいの生活をすることは当たり前のことなのに、何ゆえに感謝の祈りをささげなければならないのか、私としては理解ができないんですね!”
すると、農夫が都会人を見つめながら答えました。
“私の農場にはあなたとまったく同じ考えをするものがいます。”
都会人はそれが誰なのか知りたくて聞きました。
“それは豚です。主人である私が一日も欠かさずにえさを持って行ってあげても、豚という獣は当たり前に思うだけで全く感謝が分からないんですね!”
− 『プラス人生』2010年11月号から −
感謝が分からないと豚と同じでしょう!
この地上で感謝が分かるのは人間だけでしょう。
私たちは、まず第一に創造主なる神、我らの父に感謝をささげ、また、家庭と教会の家族に感謝を表し、また、ビジネス現場の人々にも感謝を表して地の塩となりましょう。
感謝の実を結びつつ、イエス・キリストのご降誕祭(クリスマス)をお迎えしましょう。
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秋のある日、大都会からある程度学問を修めたと自負する人が田舍に住む農夫を訪問するようになりました。農夫は夜明けから一日中手まめに畑に出て働いて穀物を収穫しました。その人はそのような農夫をながめながら一日を過ごしました。農夫は用意した食べ物を食べる前にまず、神様に感謝のお祈りを敬虔な様子で差し上げました。すると都会の人が農夫に聞きました。
“あなたは一日中畑で直接苦労して食べる物を用意したが、どうしてそのようにお祈りをするのですか? あなたがこのくらいの生活をすることは当たり前のことなのに、何ゆえに感謝の祈りをささげなければならないのか、私としては理解ができないんですね!”
すると、農夫が都会人を見つめながら答えました。
“私の農場にはあなたとまったく同じ考えをするものがいます。”
都会人はそれが誰なのか知りたくて聞きました。
“それは豚です。主人である私が一日も欠かさずにえさを持って行ってあげても、豚という獣は当たり前に思うだけで全く感謝が分からないんですね!”
− 『プラス人生』2010年11月号から −
感謝が分からないと豚と同じでしょう!
この地上で感謝が分かるのは人間だけでしょう。
私たちは、まず第一に創造主なる神、我らの父に感謝をささげ、また、家庭と教会の家族に感謝を表し、また、ビジネス現場の人々にも感謝を表して地の塩となりましょう。
感謝の実を結びつつ、イエス・キリストのご降誕祭(クリスマス)をお迎えしましょう。
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2010/10/28
あなたの所属を意識せよ! 牧師コラム
あなたの所属を意識せよ! ヨハネ3 : 6
イエス様は肉によって生まれたのは肉であり、御霊によって生まれたのは私の霊だと言われました。勿論、人が生まれる時、人の中にも霊はあるけれども死んだ状態だったのです。中身のない殻だったのです。風が抜けているふうせんのような霊だったのです。
肉によって生まれたのは私の肉ですが、後に聖霊によって新しく私の霊が生まれた時、はじめて私は霊的存在になったのです。それで私たちは日々、私のうちにおられる神様と親しき交わりに励まなければなりません。それが神の御霊が私のうちに来られた大きい理由です。
さあ、“私は創造主の神を信じる。”ということばと“私は聖霊によって新しく生まれた。”ということばは同じ意味です。しかし、“私は神様を信じます。”“私はイエス様を信じます。”こういうことばは良く言いますが、“私は聖霊によって新しく生まれた人です。”“私のうちに聖霊様が住んでおられます。”こういうことばはあまり言わないのです。これからはこういうことばをもっと告白しなければなりません。なぜなら、これがもっと霊的なことばであり、信仰のことばだからです。
クリスチャンが創造主の神を信じることは当たり前です。私たちは意味は同じであっても、もっと神様を深く信じる、もっと神様が私のうちに働くことができる信仰のことばを使わなければなりません。
皆さん! 聖霊様は私のうちで私が言うことばを全部聞いておられるし、私の考えもすべて知っておられます。だから、私の心の思いと私の唇の表現に対して聖霊様は敏感に反応されます。それで私たちが神様に対して“私は神様を信じます。”こういうことばよりは“聖霊様が私のうちに住んでおられます。”このように言うことを私のうちに住んでおられる聖霊様がもっと喜ばれるということです。皆さん、私は肉に属しているのではなく、霊に属しています。真の私は私の霊です。私たちの真の国は地上ではなく神の御国です。私たちが栄光を帰して愛の交わりを分かち合うお方は天にいます御父です。私たちが心配すべきことは神様の御業です。しかし、私たちはなかなかそのようにできないのです。なぜなら、私の所属が薄れてゆくからです。初めに聖霊によって生まれて恵みを受けた時は私が神の子であり、私が神の御国に属していて天の父と愛の交わりを交わしながら生きる存在だということがよく感じられるが、その後から時間が経つにつれてこの所属感が曇ってしまうのです。ですから神様の御恵みが持続的に維持されるようにするためには続けて私がどこに属しているか?という所属を宣言し、また神様との親しき交わりに最大の関心を注がなければなりません。私の所属を力強く宣言する時、御恵みを回復し、霊が眠りから目を覚ますことができます。
私の所属を常に意識するために私の唇で具体的な信仰のことば、霊のことばを宣言することが重要です。
そういうことで下の告白を切り取って毎朝見る鏡の上面に付けておいて出かける前に三回宣言して一日を始めてはいかがでしょうか。
“人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。”
(ローマ10:10)
“創造主の神が私のうちに住んでおられます。”
“私は聖霊によって新しく生まれた人です。”
“私は霊的存在です。私は霊の人です。”
“私は地上に属さず、天に属している人です。”
“私は神の御国に引越しする人です。”
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イエス様は肉によって生まれたのは肉であり、御霊によって生まれたのは私の霊だと言われました。勿論、人が生まれる時、人の中にも霊はあるけれども死んだ状態だったのです。中身のない殻だったのです。風が抜けているふうせんのような霊だったのです。
肉によって生まれたのは私の肉ですが、後に聖霊によって新しく私の霊が生まれた時、はじめて私は霊的存在になったのです。それで私たちは日々、私のうちにおられる神様と親しき交わりに励まなければなりません。それが神の御霊が私のうちに来られた大きい理由です。
さあ、“私は創造主の神を信じる。”ということばと“私は聖霊によって新しく生まれた。”ということばは同じ意味です。しかし、“私は神様を信じます。”“私はイエス様を信じます。”こういうことばは良く言いますが、“私は聖霊によって新しく生まれた人です。”“私のうちに聖霊様が住んでおられます。”こういうことばはあまり言わないのです。これからはこういうことばをもっと告白しなければなりません。なぜなら、これがもっと霊的なことばであり、信仰のことばだからです。
クリスチャンが創造主の神を信じることは当たり前です。私たちは意味は同じであっても、もっと神様を深く信じる、もっと神様が私のうちに働くことができる信仰のことばを使わなければなりません。
皆さん! 聖霊様は私のうちで私が言うことばを全部聞いておられるし、私の考えもすべて知っておられます。だから、私の心の思いと私の唇の表現に対して聖霊様は敏感に反応されます。それで私たちが神様に対して“私は神様を信じます。”こういうことばよりは“聖霊様が私のうちに住んでおられます。”このように言うことを私のうちに住んでおられる聖霊様がもっと喜ばれるということです。皆さん、私は肉に属しているのではなく、霊に属しています。真の私は私の霊です。私たちの真の国は地上ではなく神の御国です。私たちが栄光を帰して愛の交わりを分かち合うお方は天にいます御父です。私たちが心配すべきことは神様の御業です。しかし、私たちはなかなかそのようにできないのです。なぜなら、私の所属が薄れてゆくからです。初めに聖霊によって生まれて恵みを受けた時は私が神の子であり、私が神の御国に属していて天の父と愛の交わりを交わしながら生きる存在だということがよく感じられるが、その後から時間が経つにつれてこの所属感が曇ってしまうのです。ですから神様の御恵みが持続的に維持されるようにするためには続けて私がどこに属しているか?という所属を宣言し、また神様との親しき交わりに最大の関心を注がなければなりません。私の所属を力強く宣言する時、御恵みを回復し、霊が眠りから目を覚ますことができます。
私の所属を常に意識するために私の唇で具体的な信仰のことば、霊のことばを宣言することが重要です。
そういうことで下の告白を切り取って毎朝見る鏡の上面に付けておいて出かける前に三回宣言して一日を始めてはいかがでしょうか。
“人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。”
(ローマ10:10)
“創造主の神が私のうちに住んでおられます。”
“私は聖霊によって新しく生まれた人です。”
“私は霊的存在です。私は霊の人です。”
“私は地上に属さず、天に属している人です。”
“私は神の御国に引越しする人です。”
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